東日本大震災以降、毎年3月11日には復興の大きな担い手となったタンカートレインを掲載して来ましたが、それも尽きてしまったので、今日は日付ネタです。
先ずは47年前の今日(1973年3月11日)に撮影したC11の311号機です。
1973年(10月)は鉄道開業100年の年、それに合わせて全国各地から16形式17輌の蒸気機関車が梅小路蒸気機関車館の扇形庫に集結しましたが、その片隅に寂しく佇むC11の姿がありました。ナンバープレートが外されていますから、廃車でしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b9/ed0ae4c8795e6d5d48d57f2e8a84f14a.jpg)
バックの築堤は山陰本線、給水塔は現在も健在です。
築堤の向こうには京都タワーも見えていますが、現在は木が繁って見えないですね。
梅小路蒸気機関車館にて1973年3月11日撮影、原板は135ネガ
これだけでは詰まらないので、もう一枚311号機を...
遠軽機関区にお休み中のD51311です。(この写真は再掲ですが、モノクロにしました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a4/f8ba9f2795df5b91f79e6d788ffa280b.jpg)
もう一輌見えているD51は484号機、庫の窓からは午後の柔らかな光線が差し込んで、微かに蒸気機関車の息吹が聞こえる静かな空間でした。
遠軽機関区にて1975年1月1日撮影、原板は135カラーネガ
東日本大震災で被災された方に安寧の時が戻り、そして新型コロナウィルスが一刻も早く終息して人々の生活が元に戻る事を切に祈念します。
先ずは47年前の今日(1973年3月11日)に撮影したC11の311号機です。
1973年(10月)は鉄道開業100年の年、それに合わせて全国各地から16形式17輌の蒸気機関車が梅小路蒸気機関車館の扇形庫に集結しましたが、その片隅に寂しく佇むC11の姿がありました。ナンバープレートが外されていますから、廃車でしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b9/ed0ae4c8795e6d5d48d57f2e8a84f14a.jpg)
バックの築堤は山陰本線、給水塔は現在も健在です。
築堤の向こうには京都タワーも見えていますが、現在は木が繁って見えないですね。
梅小路蒸気機関車館にて1973年3月11日撮影、原板は135ネガ
これだけでは詰まらないので、もう一枚311号機を...
遠軽機関区にお休み中のD51311です。(この写真は再掲ですが、モノクロにしました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a4/f8ba9f2795df5b91f79e6d788ffa280b.jpg)
もう一輌見えているD51は484号機、庫の窓からは午後の柔らかな光線が差し込んで、微かに蒸気機関車の息吹が聞こえる静かな空間でした。
遠軽機関区にて1975年1月1日撮影、原板は135カラーネガ
東日本大震災で被災された方に安寧の時が戻り、そして新型コロナウィルスが一刻も早く終息して人々の生活が元に戻る事を切に祈念します。
被災地の復興も道半ばですが、年々大きな自然災害が増えているのも気にかかります。
74年頃でも時たまこういう情景に出会いましたが、ナンバーを外されペンキで番号が書かれた姿は何とも寂しい限りです。
その後、ホテルのロビーで見た、津波が押し寄せる生映像の記憶が今も鮮明に残っています。
さて、昨夜山籠もりから戻りましたが、山籠もり中はスマホで拝見していました。スマホの小さな画面でも、梅小路というのは分かりましたし、311号機が播但線を走っていたという記憶も、鮮明に残っていました。
もう9年ですが、未だ道半ばですね。
地震、台風、大雨、そしてコロナウィルスと、厄災が続きますが、早く平穏になって欲しいものです。
70年代初頭は無煙化の波が押し寄せてきていた時代で、ペンキでナンバーを書かれた車体をあちこちで見かけましたが、写真を撮ったのは少ないです。
311号機は播但線でしたか。播但線のC11は何輌か撮っていますが、311号機には巡り逢えませんでした。
震災の日は自宅に居て必死に本棚を押さえていました。(^^ゞ