1972年の秋に運転されたC57三重連、撮影に集まったSLファンです。ざっと見渡して5~600人でしょうか、このほかにも大勢のファンが居ましたので、1,000人以上は集まったと思います。
当時、神戸に単身赴任中の父のアパートを6時前に出発,三宮~姫路と山陽本線を下り,姫路から急行但馬1号で播但線の新井に着いたのは9時27分でした。大勢のSLファンと先を争うようにして駅前からタクシーを拾い、円山付近にやって来ましたが、既にこの人出でした。
人垣の中で何とか場所を確保して撮影出来ましたが、レンズの焦点距離に合わせて好きな様に切り取れるところが非電化区間の良いところです。
6×6判二眼レフ(モノクロ)と35mm一眼レフ(カラー)はいずれも標準レンズを付けて三脚にセット、もう1台の35mm一眼レフ(モノクロ)に135mmレンズを付けて手持ち撮影でした。
標準レンズで撮影したカラー写真もどうぞ。
播但線 新井~生野
636レ、C5795+C57113+C57156
1972年9月30日撮影
当時、神戸に単身赴任中の父のアパートを6時前に出発,三宮~姫路と山陽本線を下り,姫路から急行但馬1号で播但線の新井に着いたのは9時27分でした。大勢のSLファンと先を争うようにして駅前からタクシーを拾い、円山付近にやって来ましたが、既にこの人出でした。
人垣の中で何とか場所を確保して撮影出来ましたが、レンズの焦点距離に合わせて好きな様に切り取れるところが非電化区間の良いところです。
6×6判二眼レフ(モノクロ)と35mm一眼レフ(カラー)はいずれも標準レンズを付けて三脚にセット、もう1台の35mm一眼レフ(モノクロ)に135mmレンズを付けて手持ち撮影でした。
標準レンズで撮影したカラー写真もどうぞ。
播但線 新井~生野
636レ、C5795+C57113+C57156
1972年9月30日撮影
わざわざこちらにもコメントを有り難うございます。
拡大すると、小山の天辺付近の人が何人かこちらにカメラを向けている様子が分かります。この中のどなたかですね。(笑)
1枚目には自分の三脚が写っている筈なのですが、もう何処だったか思い出せません。(^^ゞ
これだけの人出を見たのは、この時と平成初のお召し列車が両毛線を駆け抜けた時だけです。
この時はどこで撮っても人間を入れずに撮る事は出来ませんでした。標準で撮った写真にも人の頭が写っています。(^^ゞ
この人垣を避けるのであればリンクの貼ってある標準で撮影したのが正解でしょうか??