50年前の今日の数枚、1974年8月3日、北海道遠征六日目です。
遠軽6時12分発の551Dで常紋信号所へ行き、丸一日常紋信号所付近でD51牽引の貨物列車上下5本を撮影していました。
その中から、一番コマ数の多い2594レをピックアップ。到着から発車までをご覧下さい。
先ずは金華から上ってくるシーン、機関車が見えてから撮影開始し、この写真は8コマ目です。
66判二眼レフなので、フィルムを巻き上げ、シャッターをチャージしてから撮影ですから、一眼レフで一コマ撮影する時間の数倍は掛かります。それでも9コマ撮影出来ているので、D51が如何にゆっくり登ってきたかが分かります。
モノクロなので分かりませんが、夏の常紋信号所は草花が沢山咲いていて綺麗でした。
この後、引き込み線に入った頃にD51がボー、ボッボッと絶気合図を吹鳴すると、ややあってDE10もピー、ピ、ピと応答、列車は停止し山間には一瞬の静寂が訪れます。
ガチャンと音がして信号が切り替わり、D51が再びボッ、ボッ、ボーと後進の合図を吹鳴、DE10もこれに応えて吹鳴。2594レはバックして本線を横切り、信号所の小さなホームを通過。引き込み線に入って再び絶気合図を吹き交わし、ブレーキ音も鋭く停車。
信号所には再び静寂が訪れます。
...と如何にも真実らしく書いていますが、全部覚えていたわけでは無く、同じシーンのレコードを聞きながら...多分こうだったんだろう劇場。(^^ゞ
遠方、トラの前辺りに三脚が林立していますが、あそこが定番アングルでした。
2594レは信号所で長時間停車するので、機関士さん、機関助士さんは降車して休憩。
大勢居たカメラマンの誰かが、機関士さんに了解を得て機関士席に座り記念撮影。すると、他のカメラマンも次々に記念撮影。自分も近くに居た人にシャッターを押して貰いました。(^^)v
今では考えられない事ですが、当時は大らかでしたね。
50年前、25歳の自分です。
2594レが停車中に、生田原側から急行大雪2号が信号所に到着、金華側からは特急北海が峠を登ってきて、タブレット授受しながら通過...
急行大雪も発車し、漸く2594レが発車です。
石北本線 常紋信号所にて1974年8月3日撮影
この日も遠軽泊、翌日は常紋信号所で少し撮影してから石北本線を下っています。
今のデジタルカメラで連写したら、カードフルになってしまいますね。(笑)
夏場でも木陰は涼しくて気持ちよく、朝夕は煙も良く出て、一日居ても飽きない所でした。
三並びは良く撮っていたと自分でも思います。
冬の常紋は寒かったですね。
今のような防寒着や靴も無く、良く行ったものだと思います。
撮っている時は寒くてもう来たくないと思っても、翌日になるとまた行ってしまう...二日酔いの日、夜になるとまた呑んでしまうのと同じです。(爆)
2594ㇾ、北海、大雪の3並びは貴重です。いや、もっと貴重なのが、佐倉様のご登場写真でしょうか。
乗降扱いがない信号所なのでホームがなく、撮影後客車によじ登る感覚で乗ったのを覚えています。(笑)
生田原側は魔のトンネルがあったので金華側でしか撮りませんでしたが、何しろ自転車が登ってくるような速度なので、枚数だけは撮れましたね。
運転席での記念撮影良い記念になりましたね。
冬場は寒くてそれどころではありませんでしたが、、、(笑)