あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

最近のライブドアブログ

2005年04月20日 02時02分27秒 | 徒然日記
時間帯を問わず,すぐに「混んでます」と表示されてしまいます。
また,そうでなくても書き込みなどでかなりの時間がかかってしまいます。
最近アクセスが増加したのでしょうか。それとも,回線やサーバに何か問題があるのでしょうか。
かなりストレスを感じます。

奈良女児殺人事件から犯罪被害者の報道を考える

2005年04月20日 00時56分48秒 | 裁判・犯罪
奈良女児児童殺人事件の初公判がありましたが,その中で被害者の両親からの談話が掲載されていました。
そこには,被告人に対する恨みつらみのみならず,報道各社に対する痛烈な批判が縷々述べられていました。

報道関係者は,まだ懲りてないの?

確かに,日本では憲法21条の表現の自由の前提として,報道の自由も憲法上保証されています(博多駅事件)。しかし,一方で,報道者には特権が与えられているわけでもないことは最高裁も明言しています(石井記者事件)。
そもそも,報道の自由が認められるのは,表現の自由に基づくものですが,表現の自由は,国家に対して何を言ってもよい,という対国家に関するものです。また,逆に国会に対して情報を提供してほしいという知る権利を満たすためにも報道は重要になります。さらに,近年では,国家権力に近い権力を持つ私人(大企業や議員など)が現れたことから,彼らに対しても,一定の自由権を有する,というものになります。
つまり,報道の自由は強大な権力に対して向けられるものであり,その内容も国民の世論を形成するような公益性の高いものになるべきなのです。

ところが,現実にはどうでしょうか。最近の報道で,国家権力や大企業,議員がビックリして襟を正すようは報道は少ないです(企業の不祥事報道はちょこちょこでていますが,あまり突っ込んだものは少ないですね。)。むしろ,弱いものに対してこれでもか,と言わんばかりの報道が目に付きます。
犯罪被害者は弱いものの究極ですが,「犯罪被害者は社会に報告する義務がある」と言わんばかりに報道陣は集中します。
さらに,このような弱者からコメントが取れたことを「スクープ」と豪語する報道社もありますが,スクープとは,前述のとおり,本来的には国家や大企業などからの極秘事項や問題事項などをすっぱ抜くことを言うべきなのです。個人の私生活や犯罪被害者の心境をすっぱ抜いたところで,世論が形成されるものでもありません。

今回,女児の親はこの一連の報道により,本当に進退窮まったのだと思います。私の理解を遙かに超えるつらい体験をしてきたのだろうと思います。まさに報道被害者であったといえるでしょう。
毎度のことですが,報道を司るものは,報道の自由とはなんぞや,をもう一度よく考えて,本来的な報道活動をしてほしいものです。
ちなみに,報道の前提となる取材の自由は,憲法上保証されておらず,「尊重に値する」といっているに過ぎません(レペタ事件)。取材は,正当な権利だ,といって犯罪被害者に接することは絶対に避けなければいけません。

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4月21日追記
時を同じくして,文京区女児殺人事件の被害者母親に対する報道被害について,週刊文春が謝罪的記事を掲載することを発表しました。
正直,私もこの母親のことは全く知らないくせに,あらぬ偏見を持っていました。それは,報道を信じてしまったからです。これについては,自分自身反省しなければいけないと思います。
それよりも,被害者を苦しめるような報道は本当に慎まなければならないでしょうね。