これまで選挙経営学の実態について説明をしていきましたが,これらは氷山の一角にすぎません。実際には,もっと露骨で,もっと我田引水的な選挙経営学を行使している政治家もいます。もちろん,最初に書いたとおり,すべての政治家や候補者がこうしたいやらしい選挙経営学に基づく選挙活動や政治活動をしているわけではありません。
したがって,政治を変えたいとか良くしたいと考える場合は,「選挙経営学のみに終始している政治家」を排除することが大切なこととなります。今回は,そういう政治家の見分け方の一つの参考として読んでいただければ幸いです。
ところで,そうはいっても,実際,今の政治に満足している人は少ないのではないでしょうか。もっというと,政治に興味すらないっていう方もかなりいるはずです。そして,そういう人の多くは,すぐに「今の政治家はろくなやつがいない」などと言います。
確かにそうかもしれません。ただ,よーく考えてください。政治家って,だれが選んでいるかというと,私たち有権者です。つまり,有権者がきちんと選挙に行き,きちんと政治家を選べば,「ろくなやつがいない」ということにはならないはずなのです。くだらない人を排除することができるのが,有権者としての権利であると同時に義務であるともいえるでしょう。
ただ,そうすると,次にこういう反論が必ず出ます。「そうはいっても,候補者自体,ろくなやつがいないから選びようがない。」とか「誰を選んでも結局は一緒。」など。
それも十分理解できる反論です。しかし,これも,実はちょっと違います。選挙経営学がはびこっている最大の理由,それは,「有権者が政治家をないがしろにしてきたので,政治家も有権者をないがしろにしている。」という点なのです。平たく言えば,「有権者のチェックが選挙で働かないから,政治家は何でもありになり,余裕かましている。」ということなのです。だから,「適当に政治家になって,利権におぼれて金もうけしよう。」みたいな人が,選挙経営学というテクニックだけを行使することで,案外選挙に当選しちゃうのです。
ってことは,逆に言うと,「有権者が厳しくチェックする選挙」ということになれば,おのずと政治家も有権者をないがしろにしなくなります。極論ですが,投票率100%の選挙となれば,もはや組織票も無意味ですし,政治家もすべての有権者が見ているとなれば,そうそう変なことはできなくなり,まっとうな政治活動をするはずです。
選挙経営学のみをよりどころにする政治家が減少すれば,官僚サイドも動きが変わります。これまでは,官僚主導で政治家を使い,また力のある政治家のいうことだけを聞いていればどうにかなったわけですが,有権者の厳しいチェックが働く選挙になれば,政治家が「有権者主体」として動かざるを得なくなるわけですから,官僚主体で政治家を使おうとしても,政治家から「それは有権者視点が抜けている」などという反論が出ることになり,施策を進めるうえでも民意を反映した修正案が出ることになりますし,現在問題となっている事項についても,多くが問題の解決または少なくとも解決に向けた具体的(形だけではなく)取り組みが期待できるわけなのです。
こうしてみると,政治不信の根本って,実は,「選挙経営学」による選挙の横行にあるわけで,その横行の原因を作っているのは,実は私たち「有権者」なのです。
政治がまっとうに機能するためには,「選挙に行く」,これにつきます。投票率が高い選挙が3回も続けば,政治家は確実に有権者の顔色を常に窺うようになりますから,政治家の意識は確実に大きく変わってきます。
政治不信の解決は,誰か優れたリーダーが出てくるまで待つ必要はないのです。次の選挙から,「あなたの力」で十分解決できるのです。そうすると,政治不信も徐々に解決し,いずれは幸せな生活が待っているのです。「選挙」とは,実はそれだけ大きな力を持っているのです。ぐたぐたな政治情勢であればあるほど,逆に有権者の選挙という力は,時に革命並みの絶大なパワーにもなるのです。
だから,「どーせ選挙に行ったって,何にも変わりはしないし,これから日本がよくなるはずないよ」などと決してあきらめないでください。なでしこジャパンのごとく,有権者として最後まであきらめることなく,毎回真剣に考えて選挙に行けば,絶対に,政治も大きく改善され,日本も大きく息を吹き返すはずです。「あきらめたら,それでゲームは終わりです。」なのです。
さあ,あきらめることなく,また義理やしがらみだけにとらわれることなく,雨にも負けず風にも負けず,選挙という選挙には必ず投票をするようにしましょう。己の利権に終始し,中身もなく,選挙経営学のみを駆使する政治家を排除するためにも!
今回の連載をお読みいただきましてありがとうございました。
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したがって,政治を変えたいとか良くしたいと考える場合は,「選挙経営学のみに終始している政治家」を排除することが大切なこととなります。今回は,そういう政治家の見分け方の一つの参考として読んでいただければ幸いです。
ところで,そうはいっても,実際,今の政治に満足している人は少ないのではないでしょうか。もっというと,政治に興味すらないっていう方もかなりいるはずです。そして,そういう人の多くは,すぐに「今の政治家はろくなやつがいない」などと言います。
確かにそうかもしれません。ただ,よーく考えてください。政治家って,だれが選んでいるかというと,私たち有権者です。つまり,有権者がきちんと選挙に行き,きちんと政治家を選べば,「ろくなやつがいない」ということにはならないはずなのです。くだらない人を排除することができるのが,有権者としての権利であると同時に義務であるともいえるでしょう。
ただ,そうすると,次にこういう反論が必ず出ます。「そうはいっても,候補者自体,ろくなやつがいないから選びようがない。」とか「誰を選んでも結局は一緒。」など。
それも十分理解できる反論です。しかし,これも,実はちょっと違います。選挙経営学がはびこっている最大の理由,それは,「有権者が政治家をないがしろにしてきたので,政治家も有権者をないがしろにしている。」という点なのです。平たく言えば,「有権者のチェックが選挙で働かないから,政治家は何でもありになり,余裕かましている。」ということなのです。だから,「適当に政治家になって,利権におぼれて金もうけしよう。」みたいな人が,選挙経営学というテクニックだけを行使することで,案外選挙に当選しちゃうのです。
ってことは,逆に言うと,「有権者が厳しくチェックする選挙」ということになれば,おのずと政治家も有権者をないがしろにしなくなります。極論ですが,投票率100%の選挙となれば,もはや組織票も無意味ですし,政治家もすべての有権者が見ているとなれば,そうそう変なことはできなくなり,まっとうな政治活動をするはずです。
選挙経営学のみをよりどころにする政治家が減少すれば,官僚サイドも動きが変わります。これまでは,官僚主導で政治家を使い,また力のある政治家のいうことだけを聞いていればどうにかなったわけですが,有権者の厳しいチェックが働く選挙になれば,政治家が「有権者主体」として動かざるを得なくなるわけですから,官僚主体で政治家を使おうとしても,政治家から「それは有権者視点が抜けている」などという反論が出ることになり,施策を進めるうえでも民意を反映した修正案が出ることになりますし,現在問題となっている事項についても,多くが問題の解決または少なくとも解決に向けた具体的(形だけではなく)取り組みが期待できるわけなのです。
こうしてみると,政治不信の根本って,実は,「選挙経営学」による選挙の横行にあるわけで,その横行の原因を作っているのは,実は私たち「有権者」なのです。
政治がまっとうに機能するためには,「選挙に行く」,これにつきます。投票率が高い選挙が3回も続けば,政治家は確実に有権者の顔色を常に窺うようになりますから,政治家の意識は確実に大きく変わってきます。
政治不信の解決は,誰か優れたリーダーが出てくるまで待つ必要はないのです。次の選挙から,「あなたの力」で十分解決できるのです。そうすると,政治不信も徐々に解決し,いずれは幸せな生活が待っているのです。「選挙」とは,実はそれだけ大きな力を持っているのです。ぐたぐたな政治情勢であればあるほど,逆に有権者の選挙という力は,時に革命並みの絶大なパワーにもなるのです。
だから,「どーせ選挙に行ったって,何にも変わりはしないし,これから日本がよくなるはずないよ」などと決してあきらめないでください。なでしこジャパンのごとく,有権者として最後まであきらめることなく,毎回真剣に考えて選挙に行けば,絶対に,政治も大きく改善され,日本も大きく息を吹き返すはずです。「あきらめたら,それでゲームは終わりです。」なのです。
さあ,あきらめることなく,また義理やしがらみだけにとらわれることなく,雨にも負けず風にも負けず,選挙という選挙には必ず投票をするようにしましょう。己の利権に終始し,中身もなく,選挙経営学のみを駆使する政治家を排除するためにも!
今回の連載をお読みいただきましてありがとうございました。
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