いわゆる和歌山ヒ素カレー事件について,21日最高裁は被告人の上告を棄却し,死刑判決を維持しました。これにより死刑が確定することになります。
一方,林被告は冤罪であるとして,今後再審請求も含めた検討をするとのことです。
林被告の死刑確定へ=発生から11年、上告棄却-和歌山毒物カレー事件・最高裁(時事通信) - goo ニュース
疑わしきは被告人の利益,されど疑わしきがたくさん積み重なれば有罪も「あると思います」
この事件,感情論は完全に抜きにして,一番の問題点が「直接的な証拠が全くない上に動機すら分からないという状態において,果たして有罪か否かの認定はどのようにするのか」という点にありました。
最高裁は,これまでの判例どおり,「状況証拠を積み重ねていき,それが被告人以外の犯行に間違いないといえる合理的理由があれば有罪認定できる」としました。
今回の事件では,直接の目撃者もなく,また自宅からヒ素それ自体は検出されていませんでした。そして,何よりも「動機が分からない上に,殺害するメリットすら全くない。」という状態であったことから,果たして有罪認定が可能なのかという点に注目が集まりました。
最高裁は,簡単に言うと,「同じようなヒ素が自宅の排水路や被告人の髪の毛から検出された。だからヒ素を扱っていた可能性は極めて高い。」と,まず「被告人とヒ素」とのつながりを認め,その上で「証人の証言を総合すると,カレー鍋に何らかの異物を混入できる可能性があったのは被告人以外にはあり得ない。」と,第三者がカレー鍋に何か細工する可能性も否定することで,「ヒ素の所持+鍋に物が入れられる唯一の人物」と認定し,それで「だから被告人がヒ素を入れた」という結論にしたのです。
また,動機については,「動機がないから犯罪をしないとは限らない。」ということで,動機が不明確であっても犯行を行ったといえる客観的証拠があれば,動機がないことが有罪認定を阻害するものではないとし,あえて動機について深く突っ込まずに有罪認定をしたのです。
つまり,「証拠が必要なのは当然の話」という前提において,「直接的な証拠がなかったとしても,いろいろな証拠を積み重ねることで事実認定ができるのであれば,それで十分」と判断したといえるのです。つまり,「事実認定は一般常識で行えばよいのである。」と言ったといえるのではないでしょうか。
今回の最高裁判決は,おそらく「裁判員裁判」を意識したものと思われます。すなわち,裁判員でも「事実認定は一般常識」という前提に立っているため,最高裁としては「一般常識で裁判をやってね。それで十分だよ。」というアピールしたのではないでしょうか。動機にこだわらない部分についても,「とにかく主観より客観的な証拠を重視して事実認定すればいいんだよ。」ということを言いたかったのかもしれません。
いずれにせよ,これでひとまずこの事件は終了したことになります。しかし,動機が分からずじまいであることから被害者としてはなんとも消化不良の判決になっていると思います。
逆に,被告人は冤罪を叫んでいますので,今後,何らかの問題点を提起して再審請求をすると思われます。そうすると,もう少し時間がかかる可能性もあります。
本当の真実はどこにあるのか,なにかしっくり来ない幕切れな感じがしてなりません。
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http://adachi51.at.webry.info/200904/article_56.html
一方,林被告は冤罪であるとして,今後再審請求も含めた検討をするとのことです。
林被告の死刑確定へ=発生から11年、上告棄却-和歌山毒物カレー事件・最高裁(時事通信) - goo ニュース
疑わしきは被告人の利益,されど疑わしきがたくさん積み重なれば有罪も「あると思います」
この事件,感情論は完全に抜きにして,一番の問題点が「直接的な証拠が全くない上に動機すら分からないという状態において,果たして有罪か否かの認定はどのようにするのか」という点にありました。
最高裁は,これまでの判例どおり,「状況証拠を積み重ねていき,それが被告人以外の犯行に間違いないといえる合理的理由があれば有罪認定できる」としました。
今回の事件では,直接の目撃者もなく,また自宅からヒ素それ自体は検出されていませんでした。そして,何よりも「動機が分からない上に,殺害するメリットすら全くない。」という状態であったことから,果たして有罪認定が可能なのかという点に注目が集まりました。
最高裁は,簡単に言うと,「同じようなヒ素が自宅の排水路や被告人の髪の毛から検出された。だからヒ素を扱っていた可能性は極めて高い。」と,まず「被告人とヒ素」とのつながりを認め,その上で「証人の証言を総合すると,カレー鍋に何らかの異物を混入できる可能性があったのは被告人以外にはあり得ない。」と,第三者がカレー鍋に何か細工する可能性も否定することで,「ヒ素の所持+鍋に物が入れられる唯一の人物」と認定し,それで「だから被告人がヒ素を入れた」という結論にしたのです。
また,動機については,「動機がないから犯罪をしないとは限らない。」ということで,動機が不明確であっても犯行を行ったといえる客観的証拠があれば,動機がないことが有罪認定を阻害するものではないとし,あえて動機について深く突っ込まずに有罪認定をしたのです。
つまり,「証拠が必要なのは当然の話」という前提において,「直接的な証拠がなかったとしても,いろいろな証拠を積み重ねることで事実認定ができるのであれば,それで十分」と判断したといえるのです。つまり,「事実認定は一般常識で行えばよいのである。」と言ったといえるのではないでしょうか。
今回の最高裁判決は,おそらく「裁判員裁判」を意識したものと思われます。すなわち,裁判員でも「事実認定は一般常識」という前提に立っているため,最高裁としては「一般常識で裁判をやってね。それで十分だよ。」というアピールしたのではないでしょうか。動機にこだわらない部分についても,「とにかく主観より客観的な証拠を重視して事実認定すればいいんだよ。」ということを言いたかったのかもしれません。
いずれにせよ,これでひとまずこの事件は終了したことになります。しかし,動機が分からずじまいであることから被害者としてはなんとも消化不良の判決になっていると思います。
逆に,被告人は冤罪を叫んでいますので,今後,何らかの問題点を提起して再審請求をすると思われます。そうすると,もう少し時間がかかる可能性もあります。
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「推定無罪」は,日本ではほとんど根付いていませんね。っていうか,松本サリン事件(河野さん問題)での教訓を,報道機関はあまりいかしておらず,また私たちもそのときのことを忘れている雰囲気すらあります。
推定無罪の精神が根付かない背景は,「自分は何もしていないから絶対逮捕されない」という「根拠のない安心感」によるものでしょうか。「地震が来ても自分の家は壊れないから大丈夫」っていう根拠のない防災対策未対応の考え方に似ているのかもしれませんね。
別の方にもコメントしましたが,最高裁判決は実は結構丁寧に論じていて,「なんとなく」っていう論調にはなっていません。
「なんとなく犯人」にされた日には,裁判の信用性自体なくなっちゃいますからねえ。
とはいえ,かなりの苦悩のあとも伺えます。
死刑を裁判員として言えるか,っていう点も問題になっていますが,まさにこれを機に今までタブー視されてきた「死刑問題」や「刑罰のあり方」について,国民的議論にする時期に来たのかな,って思います。
刑罰を受けるのは他人事,悪い人が受けるからそれでいい,っていう風潮が強かったと思いますが,逆に言うと「自分に降りかかるかもしれないこと」なわけですから,自分のこととして,そして社会のこととして考える時期なのかもしれませんね。
動機がなにか知りたいものですが,ひょっとすると「聞くと余計腹が立つ」程度の些細なものである可能性も否定できませんよね。
遺族にとっては,場合によっては知らないほうが幸せってこともありうるかもしれません。
マスコミの報道が結構アバウトですが,判決では,結構丁寧に「他の人が犯人である可能性」を排除して,「残ったのが被告人だけ」という論法にしています。
なので,決して推定有罪にはなっていないのです(っていうことを報じないからなあ・・。)。
ただ,実際のところ,状況証拠だけで判断するのは怖いですよね。でも,逆に「状況証拠しかなければ無罪」ってなると,犯人は証拠隠しに躍起になることでしょうね。それはそれで困ったものです。
推定無罪という考えが根づいておらず、報道(と言えるものは民放には殆どありませんが)がどんどんエキセントリックになり、犯人紙報道が後を絶たないなかで、「事実認定は”一般常識”で行えばよいのである。」というのはあまりにも乱暴すぎるとおもいますが。
しかも「前例さえ作っときゃ、後々その手が使える」といった細工がバレバレですね。
林被告の擁護はしませんが、遺族側からも歯切れの悪い結果と言われてもゴリ押しする意図は、果たして裁判員制度の意識だけなのでしょうか?
結果オーライは私のポリシーですが、憲法の番人もそれと同様なら、今後はジャッジだけで理由は無用となる可能性もあるのではないでしょうか。
とにかく死刑か無罪なんて、市民感覚ではきつすぎます。
被害者の立場から言えば、みんな死刑になっちゃうし、被告人の立場からいえば無罪ですよ。
コメントされた方と意見がダブりますが・・・。
最近の事例からいうならば、名古屋のインターネット殺人の場合は全く関係のない人を殺したということで、死刑っていうのは、納得いきますが、カレー事件に関しては、近所という何らかのしがらみがあったかもしれないという可能性もある訳で、被告人にとって、精神的苦痛みたいなのもあったとすれば、猶予があると考えてあげたいものです。
また足利事件でしたっけ?裁判の後にDNA鑑定で不一致いうのありましたね。やってもいないことを、やりましたと言わざるを得ない可能性もある訳ですし。
裁判員制度をするなら、もう少しハードルが低いものができないか、と思います。今の状況では関わりたくありません。
犯罪を増やさないというもくろみがあるようですが、それとともに、被告人にとって不利な判決が出ないかとか(いわゆる冤罪など)、偏りのある判決が出ないか、心配になります。
本当に犯人なら有罪で良いのですが、
状況証拠だけって…
冤罪だったら目も当てられないよ…