livedoor ニュース
石川県志賀町の北陸電力志賀原発2号機の差し止めを巡る裁判で,金沢地裁は住民らの請求を認め,原発運転差し止めの判決を下しました。それに対し,北陸電力側は控訴する意向を明らかにしています。
この判決自体,想定外でした
正直驚いています。原発賛否以前に,これまでの裁判例を踏まえると,原発建設前の取消を認めたものがあったものの,今動いている原発を止めるという事例がなかったからです。
ところで,この判決ですが,判決本文を読んでいないため,報道内容をベースにしますが,判決の肝は,「マグニチュード6.5に耐える設計であるが,実際はこの地域ではマグニチュード7.6まで起こりうるため,今のままだと『想定外』の被害が発生するおそれがある」ことと「20年前に策定した安全基準に基づく設計であるが,はっきりいって古い。」という点にあろうと思います。
そして,この件について,いろんな方面から議論が錯綜していますが,ここで改めて整理しますと,次のようになります。
1 この裁判では,原発政策自体の可否については全く問題となっていないこと(したがって,この判決が原発不要論である,という議論は成立しない。)。
2 この裁判によって,直ちに原発の運転は停止しないこと。
3 控訴審,上告審で反対の結論が出る可能性もあること(裁判は確定していないこと)。
4 今回の裁判では,この志賀原発の設計建設において「どこまで安全を確保できるか」の安全基準のレベルが問題となっていたこと(原発一般の危険性の議論ではないこと)。
5 今回の判決は,「志賀原発が危険である」と言ったのではなく,「志賀原発が安全といえる立証が不十分であった」と言っているに過ぎないこと(本当に危険かどうかまでは分からない。また,4のとおり,他の原発の危険性についての判断まではしていないし,審理の対象になっていない。)。
6 今回の判決は,遠くは熊本県の住民までも周辺住民としてあつかったこと。
以上を踏まえ,ちょっと私見を述べます。
まず,原発自体の必要性については,これだけの電気文明であり,かつ原子力を越える発電手法が見いだせない現状においては,設置もやむを得ないといえるでしょう。まず,原発を絶対に作りたくないのであれば,昭和30年代頃までの生活に日本国民全員が戻す必要があります(クーラーと冷蔵庫のない暮らし)。特に,真夏のエアコン需要のために原発があるといっても過言ではありません。
ただ,一方で,自分の町に原発ができて欲しくないという心情も当然理解できますし,私もそれは同じ考えです。
では,なぜそう考えるのでしょうか。理由は単純で「何となく不安だから」です。
したがって,国や電力会社は,この「何となく不安」を解消するための努力をする必要があります。
そして,この努力とは,単にCMやチラシ,講演会などといったPR活動だけで留まるものではなく,そもそも原発の設計,運営,維持管理などあらゆる面において,安全性を第一にした検証,検討,是正活動を行うことも含まれます。
今回の判決では,裁判所は,「古い基準のままで本当に大丈夫なの?」という問題を提起したことになります。それに対して,北陸電力はいろいろ反論はしたはずですが,少なくとも金沢地裁は,「その程度の反論じゃあ,住民の『なんとなく不安』はぬぐえないなあ」と結論づけたことになります。
もちろん,今後,高裁や最高裁では,「その反論で十分」と反対の結論を出すかもしれませんが,少なくとも地裁レベルでこのような結論を出したということは,仮に最高裁で北陸電力勝訴となったとしても,それによって周辺住民の「なんとなく不安」は解消されないでしょう。
私は,電力政策上,原発は必要であると考えています。しかし,同時に「まず安全第一」を徹底するべきであると考えます。そして,その安全基準とは「99%」ではなく「100%」にしなければなりません。
とすると,様々な安全基準については,日々見直しを行い,常に最新の基準に基づいて新設の際の設計基準にしたり,既存施設の補強改修工事などを行うべきでしょう。しかも,当然想定外のことはたくさん起こりえます。そのすべてを予測することは不可能に近いでしょうが,原発事故が起こってしまった場合,「想定外」では済まないことになりますから,かなり無駄な投資であったとしても,安全性確保のために最大限尽力するべきであるといえます。
それに対して,「それではお金がかかりすぎて非効率的だ」という批判が予想されます。しかし,効率化,利益率を第一に考えすぎるとどうなるのか,それは去年の福知山線の事故をはじめとして,さまざまな事件事故が発生して問題となっていることをみれば,妥当しない批判であると考えます。
さらに,今回の判決をベースにすると,万一の事故の際,石川県の原発が,遠く熊本県の住民にも被爆の可能性があると指摘しています。とすると,他の原発はともかく,少なくともこの地域で大地震が発生した場合,ほぼ日本全国に対して放射能汚染があり得るということにもなります。
とすると,今回の判決は,決して志賀原発周辺住民に対するものだけではなく,日本国民全員に対しての安全性の確保を図るべきであることを裁判所は言いたかったのではないでしょうか。
国や各電力会社は,今回の判決を真摯に受け止め,こと安全対策については,もっと真剣に議論し,検討を進めてほしいものです。それは,例え高裁や最高裁で電力会社勝訴となったとしても,同じことです。
安全第一,当たり前の言葉ですが,これをモットーにもっと真剣に今後の原発行政を考えてほしいものです。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
TB先一覧
http://sfjohndo.exblog.jp/4297814/
http://blog.livedoor.jp/luckymentai/archives/50476448.html
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1798473/detail
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1799797/detail
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1800152/detail
http://tokyufubai.jugem.jp/?eid=128
http://184.tea-nifty.com/bousai/2006/03/post_e1ec.html
http://love.ap.teacup.com/kouhei2/205.html
石川県志賀町の北陸電力志賀原発2号機の差し止めを巡る裁判で,金沢地裁は住民らの請求を認め,原発運転差し止めの判決を下しました。それに対し,北陸電力側は控訴する意向を明らかにしています。
この判決自体,想定外でした
正直驚いています。原発賛否以前に,これまでの裁判例を踏まえると,原発建設前の取消を認めたものがあったものの,今動いている原発を止めるという事例がなかったからです。
ところで,この判決ですが,判決本文を読んでいないため,報道内容をベースにしますが,判決の肝は,「マグニチュード6.5に耐える設計であるが,実際はこの地域ではマグニチュード7.6まで起こりうるため,今のままだと『想定外』の被害が発生するおそれがある」ことと「20年前に策定した安全基準に基づく設計であるが,はっきりいって古い。」という点にあろうと思います。
そして,この件について,いろんな方面から議論が錯綜していますが,ここで改めて整理しますと,次のようになります。
1 この裁判では,原発政策自体の可否については全く問題となっていないこと(したがって,この判決が原発不要論である,という議論は成立しない。)。
2 この裁判によって,直ちに原発の運転は停止しないこと。
3 控訴審,上告審で反対の結論が出る可能性もあること(裁判は確定していないこと)。
4 今回の裁判では,この志賀原発の設計建設において「どこまで安全を確保できるか」の安全基準のレベルが問題となっていたこと(原発一般の危険性の議論ではないこと)。
5 今回の判決は,「志賀原発が危険である」と言ったのではなく,「志賀原発が安全といえる立証が不十分であった」と言っているに過ぎないこと(本当に危険かどうかまでは分からない。また,4のとおり,他の原発の危険性についての判断まではしていないし,審理の対象になっていない。)。
6 今回の判決は,遠くは熊本県の住民までも周辺住民としてあつかったこと。
以上を踏まえ,ちょっと私見を述べます。
まず,原発自体の必要性については,これだけの電気文明であり,かつ原子力を越える発電手法が見いだせない現状においては,設置もやむを得ないといえるでしょう。まず,原発を絶対に作りたくないのであれば,昭和30年代頃までの生活に日本国民全員が戻す必要があります(クーラーと冷蔵庫のない暮らし)。特に,真夏のエアコン需要のために原発があるといっても過言ではありません。
ただ,一方で,自分の町に原発ができて欲しくないという心情も当然理解できますし,私もそれは同じ考えです。
では,なぜそう考えるのでしょうか。理由は単純で「何となく不安だから」です。
したがって,国や電力会社は,この「何となく不安」を解消するための努力をする必要があります。
そして,この努力とは,単にCMやチラシ,講演会などといったPR活動だけで留まるものではなく,そもそも原発の設計,運営,維持管理などあらゆる面において,安全性を第一にした検証,検討,是正活動を行うことも含まれます。
今回の判決では,裁判所は,「古い基準のままで本当に大丈夫なの?」という問題を提起したことになります。それに対して,北陸電力はいろいろ反論はしたはずですが,少なくとも金沢地裁は,「その程度の反論じゃあ,住民の『なんとなく不安』はぬぐえないなあ」と結論づけたことになります。
もちろん,今後,高裁や最高裁では,「その反論で十分」と反対の結論を出すかもしれませんが,少なくとも地裁レベルでこのような結論を出したということは,仮に最高裁で北陸電力勝訴となったとしても,それによって周辺住民の「なんとなく不安」は解消されないでしょう。
私は,電力政策上,原発は必要であると考えています。しかし,同時に「まず安全第一」を徹底するべきであると考えます。そして,その安全基準とは「99%」ではなく「100%」にしなければなりません。
とすると,様々な安全基準については,日々見直しを行い,常に最新の基準に基づいて新設の際の設計基準にしたり,既存施設の補強改修工事などを行うべきでしょう。しかも,当然想定外のことはたくさん起こりえます。そのすべてを予測することは不可能に近いでしょうが,原発事故が起こってしまった場合,「想定外」では済まないことになりますから,かなり無駄な投資であったとしても,安全性確保のために最大限尽力するべきであるといえます。
それに対して,「それではお金がかかりすぎて非効率的だ」という批判が予想されます。しかし,効率化,利益率を第一に考えすぎるとどうなるのか,それは去年の福知山線の事故をはじめとして,さまざまな事件事故が発生して問題となっていることをみれば,妥当しない批判であると考えます。
さらに,今回の判決をベースにすると,万一の事故の際,石川県の原発が,遠く熊本県の住民にも被爆の可能性があると指摘しています。とすると,他の原発はともかく,少なくともこの地域で大地震が発生した場合,ほぼ日本全国に対して放射能汚染があり得るということにもなります。
とすると,今回の判決は,決して志賀原発周辺住民に対するものだけではなく,日本国民全員に対しての安全性の確保を図るべきであることを裁判所は言いたかったのではないでしょうか。
国や各電力会社は,今回の判決を真摯に受け止め,こと安全対策については,もっと真剣に議論し,検討を進めてほしいものです。それは,例え高裁や最高裁で電力会社勝訴となったとしても,同じことです。
安全第一,当たり前の言葉ですが,これをモットーにもっと真剣に今後の原発行政を考えてほしいものです。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
TB先一覧
http://sfjohndo.exblog.jp/4297814/
http://blog.livedoor.jp/luckymentai/archives/50476448.html
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1798473/detail
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1799797/detail
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1800152/detail
http://tokyufubai.jugem.jp/?eid=128
http://184.tea-nifty.com/bousai/2006/03/post_e1ec.html
http://love.ap.teacup.com/kouhei2/205.html
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます