あれは,あれで良いのかなPART2

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たいしたもんだ聖徳太子,でも本当にいたの?

2007年11月25日 23時09分49秒 | 歴史の話
テレビ朝日系列で「聖徳太子の超改革,遣隋使1400年目の真実」が放送されていました。型破りな歴史番組好きな私としては,これを見ない手はないと思い,2時間じっくり見ましたが,結構おもしろかったです。

ただ,少々強引だったかも

聖徳太子蘇我馬子との駆け引きを現代社会風にアレンジしていた点は結構面白かったです(首相官邸や料亭,自動車や新聞記者などが登場するところは,賛否分かれるでしょうが,個人的には大好きな演出です。)。ただ,あそこまで突っ込む上に,聖徳太子を「良い人」,蘇我馬子を「ちょい悪オヤジ」という設定をあえて貫くのであれば,もう少し馬子,蝦夷親子の「悪さ」を出しても良かったのではと思います。

ところで,聖徳太子ですが,果たして本当に「超人」だったのでしょうか。実は近年の研究で,「聖徳太子不在説」がかなり急浮上しています。
正しく言えば,「厩戸皇子=聖徳太子」ではなく,「厩戸皇子を聖徳太子にしてしまおう」ということです。
すなわち,まず聖徳太子という名前,これ自体は100年後につけられた名前で,これは今の歴史の教科書でもはっきりと明記しています。
では,なぜ100年後に聖徳太子と名づけた超人が必要だったのでしょうか。それは,「国内政治への威厳付け」と「唐対策」のためと考えられています。もっといえば,「大化の改新」すら歴史的には怪しいもので,実際は「単なるクーデターでは」との説があり,そのクーデターの首謀者たる天智天皇中臣鎌足らが,「自分たちは正当な権力者である」ことをことさらに主張するため,100年前から蘇我氏が傍若無人であったことを明らかにする必要がありました(だから蘇我氏の名前はみんな卑しい響きになっている。)。ところが,実際の蘇我氏は決して傍若無人ではなく,むしろ飛鳥時代の安定政権を樹立した功労者であり,特に馬子は数々の実績を作ってきた立役者だったのです。
そこで,「馬子の実績」を抹消する必要があるが,一方で中国や朝鮮には公式記録が残っているため,完全抹消はできない,そのために「馬子以外の人間がやった」ということに捏造する必要があったのです。そして,その第三者こそが同じ時期にいた厩戸皇子なのです。
また,唐に対しては,日本が律令国家でものすごく政治が安定していることをアピールする必要があります。そうしなければ,一気に唐に攻められてしまう恐れすらあるからです。そこで,「日本は100年前からすごい国だったんだぜ」と見栄を張る必要があったわけで,そこで「聖徳太子伝説」を作り上げたのです。
それを補強するように,更なる説として,「17条憲法はそのときに作られたもので,聖徳太子と蘇我馬子が作ったものではない」がありますが,これこそ,「あたかも100年前から律令国家だったよ」をアピールするための代物であるというわけなのです。

とまあ,聖徳太子不在説を縷々述べてきましたが,歴史とは時の権力者によっていとも簡単に捏造されます。歴史上悪人といわれた人間は,実はその時代の民からは神のように敬われていたという例はかなりあります(例えば,賄賂で有名な田沼意次は,実は江戸時代にはありえなかった重商主義を推進し,経済活動をかなり発展させた立役者です。)。
今回の聖徳太子についても,果たして彼が実在したのか,実在したとしたらどこまで自分が改革を推進したのかは正直よく分かりません。ただ,確実にいえること,それは「何らかの理由で時代が変わった。それによって日本が大きく成長し,民の暮らしも大きく変わった」ということです。真実か捏造かはともかく,過去の歴史から学べるものがあれば,我々はそれをしっかり取り入れる必要があるといえるでしょう。それが,歴史を学ぶということなのです。
聖徳太子伝説,これはどのように評価して学ぶべきなのでしょうか。この番組では,「いいとこどり」の柔軟性と「独創性」の融合を図ることを述べていました。もちろん,そのような評価も可能でしょうが,もう少し進めると,「前例にこだわらない政治」と「万人にチャンスのある社会」,そして「周りの人との協調」,それが社会の変革には大切であると解釈できるのではないでしょうか。今の社会にはこれらが欠け始めているような気がします。
21世紀の聖徳太子が誕生することを願ってやみません。

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4 コメント

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嬉しくなるエントリーですね (takeyan)
2007-11-26 17:51:53
田沼意次も柳沢吉保も優れた経済官僚で、重農主義の松平定信などは愚か者の典型なのですが、どうも当時の為政者の仕組んだわなに多くの日本人がはまっています。
大悪人扱いの人々、侮れないです。
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日本人堅気 (masa)
2007-11-26 22:08:31
 越後屋商店全てがワルでは無いというのと似ている感じがします。
 まぁ、日本人というのは、自国に都合の悪いことは昨今の事でさえ、教科書には載せていないです(敗戦記念日とは言わないし、皇族にしてもうやむやがお好き)。

 そうなると、何百年も前の事をどうやって確証させているのかがまず疑問ですね。
 日本史は嫌いではなかったですが、この手の疑問を担当教師に投げ続けていた私は、日本史の教師から逃げられるようになりました。
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takeyanさま,コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-11-26 23:52:38
こんばんは。
例えば江戸時代一つ取ってみても,イメージと実際とが大いに異なる人は多いですね。吉宗などは,「ものすごくいい人」のイメージが強いですが,実際は大岡越前らが中心となって徹底した言論弾圧を行ったため,単に「変な記述が残らなかった」だけにすぎなかったりするのが現実だったりします。
歴史って,結構逆に見ていくと真実が見えることがありますね。
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masaさま,コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-11-26 23:55:12
こんばんは。
日本書紀や古事記は100年以上の前のことを書いている書物ですが,今でさえ100年以上前の歴史をまとめるのが大変なくらいですから,当時は相当な脚色があって当然だったかと思います。
歴史的事実は一つしかないのですが,いろいろな発見から歴史というものが変わっていく,ここが実は歴史を勉強するおもしろさかもしれませんね。
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