最近様々な事件事故が発生し,その後必ずと言っていいほど,「**県警の対応が悪い」「児童相談所の対応が悪い」「市役所の動きが甘い」など,必ずと言っていいほど行政機関の対応の悪さが問題となります。
もちろん,対応が悪いということ自体は紛れもない事実ですし,かく行政機関は変に隠し立てすることなく,悪かったと思う点は素直に認め,真摯に反省すると共に,再発防止策を真剣に検討することが求められます。
ただ,本当に行政機関だけの責任かな?
例えば,警察の初期捜査の対応の悪さを例にしましょう。
なぜ,警察が初期捜査に本腰を入れないのか,究極の理由は「人手不足」です。警察官が今の倍以上いれば,おそらく本腰入れて捜査に着手するでしょう。しかし,絶対的に人が少ない以上,どうしても事件に軽重を付けてしまいます。とすると,目の前にある凶悪事件処理を最優先し,初期捜査(例えばストーカー的な相談等)は後回しになるでしょう。
これを後回しにしたことで,後に重大事件に発展することが防げなかったということになり,非難の対象になるわけですが,自分自身の仕事や学校のことを考えた場合,このような軽重を付けていないでしょうか。目の前に締め切りの迫った仕事がありながら,毎日新規の小さな仕事が10件位やってきた場合,どのように処理しているでしょうか。おそらく,新規の小さな仕事は最低限のことだけやった上で,次に回すのではないでしょうか。
警察や行政機関だって,同じことなのです。
もちろん,特に警察の場合人命に関わることなので,他の仕事と同列に扱うことはできませんが,しかしながら絶対的に人手不足である以上,仕方ない面があるといえるでしょう。
それと,もう一つ,なぜ絶対的に人手不足となったのか,その要因について考えてみる必要があります。もちろん,治安悪化による犯罪の増加という点が上げられます。
ただ,最大の要素は,「事件性のない相談や告発が多数寄せられている」という点です。他の行政機関も同じことで,明らかに事件性がないのに何でも行政機関に相談し,時には自分でやるべきことまでやってもらおうと相談するケース,もっと悪質なのは「狂言犯罪」なども増加しているようです。
このような「余計なこと」が増えると,必然的にその分に人手が取られるため,肝心なことに手が回りません。
もちろん,警察や行政機関の職員自身の意識改革や,人員配置や事務分担がいい加減であること,さらには限られた人数でいかに効率よく仕事をするべきかという機能改革などについてまだまだ検討する余地は残っていると思いますし,そういう点をもっとしっかりとやるべきであることはいうまでもありません。
しかし,私たち自身も,「何かあったら何でも行政」という依存体質はそろそろ改めるべきでしょう。依存体質が財政難を招き,結果その後の増税につながることになり得ます。
「自分のことは自分でやろう」
この精神を私たち自身がもたなければ,残念ながらまだまだこのような行政機関の動きの甘さは改善されないといえます。
もし,それが受け入れられないのでであれば,公務員を増やすこと,その結果経費がかかり,その分を増税として甘んじて受け入れることを容認するべきでしょう。サービスが増えれば費用がかかるのは,普通の商売でも同じことですから。
ただ,誤解のないようにいいますと,ここでいっているのは「全く事件性のないことについての相談等」についてであり,「事件性が疑われる相談」はむしろ積極的に行うべきです。特に児童虐待のケースの場合は,むしろ「誰かが言ってくれるだろう」とみんなが思っていると,全く話が伝わらない可能性があります。多くの人が言ってくれば,児童相談所も「その話か」という感じで動きやすくなるといえます。
ただ,その場合も,「何がどうだから事件性が疑われるのか」をはっきりと説明するべきです。説明がうまくできないと,本当に事件性があったとしても相手に伝わりません。
そういう意味では,プレゼン能力をしっかりと身につける必要があると共に,もし自分にプレゼン能力がないと思う場合は,早期に弁護士など然るべき人に相談することが大切です。費用がかかりますが,「お金で生命身体の安全を確保できる」のであれば安いものでしょう。少なくとも,意図が伝わらず警察や行政機関に放置されるよりは遙かにましです。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
もちろん,対応が悪いということ自体は紛れもない事実ですし,かく行政機関は変に隠し立てすることなく,悪かったと思う点は素直に認め,真摯に反省すると共に,再発防止策を真剣に検討することが求められます。
ただ,本当に行政機関だけの責任かな?
例えば,警察の初期捜査の対応の悪さを例にしましょう。
なぜ,警察が初期捜査に本腰を入れないのか,究極の理由は「人手不足」です。警察官が今の倍以上いれば,おそらく本腰入れて捜査に着手するでしょう。しかし,絶対的に人が少ない以上,どうしても事件に軽重を付けてしまいます。とすると,目の前にある凶悪事件処理を最優先し,初期捜査(例えばストーカー的な相談等)は後回しになるでしょう。
これを後回しにしたことで,後に重大事件に発展することが防げなかったということになり,非難の対象になるわけですが,自分自身の仕事や学校のことを考えた場合,このような軽重を付けていないでしょうか。目の前に締め切りの迫った仕事がありながら,毎日新規の小さな仕事が10件位やってきた場合,どのように処理しているでしょうか。おそらく,新規の小さな仕事は最低限のことだけやった上で,次に回すのではないでしょうか。
警察や行政機関だって,同じことなのです。
もちろん,特に警察の場合人命に関わることなので,他の仕事と同列に扱うことはできませんが,しかしながら絶対的に人手不足である以上,仕方ない面があるといえるでしょう。
それと,もう一つ,なぜ絶対的に人手不足となったのか,その要因について考えてみる必要があります。もちろん,治安悪化による犯罪の増加という点が上げられます。
ただ,最大の要素は,「事件性のない相談や告発が多数寄せられている」という点です。他の行政機関も同じことで,明らかに事件性がないのに何でも行政機関に相談し,時には自分でやるべきことまでやってもらおうと相談するケース,もっと悪質なのは「狂言犯罪」なども増加しているようです。
このような「余計なこと」が増えると,必然的にその分に人手が取られるため,肝心なことに手が回りません。
もちろん,警察や行政機関の職員自身の意識改革や,人員配置や事務分担がいい加減であること,さらには限られた人数でいかに効率よく仕事をするべきかという機能改革などについてまだまだ検討する余地は残っていると思いますし,そういう点をもっとしっかりとやるべきであることはいうまでもありません。
しかし,私たち自身も,「何かあったら何でも行政」という依存体質はそろそろ改めるべきでしょう。依存体質が財政難を招き,結果その後の増税につながることになり得ます。
「自分のことは自分でやろう」
この精神を私たち自身がもたなければ,残念ながらまだまだこのような行政機関の動きの甘さは改善されないといえます。
もし,それが受け入れられないのでであれば,公務員を増やすこと,その結果経費がかかり,その分を増税として甘んじて受け入れることを容認するべきでしょう。サービスが増えれば費用がかかるのは,普通の商売でも同じことですから。
ただ,誤解のないようにいいますと,ここでいっているのは「全く事件性のないことについての相談等」についてであり,「事件性が疑われる相談」はむしろ積極的に行うべきです。特に児童虐待のケースの場合は,むしろ「誰かが言ってくれるだろう」とみんなが思っていると,全く話が伝わらない可能性があります。多くの人が言ってくれば,児童相談所も「その話か」という感じで動きやすくなるといえます。
ただ,その場合も,「何がどうだから事件性が疑われるのか」をはっきりと説明するべきです。説明がうまくできないと,本当に事件性があったとしても相手に伝わりません。
そういう意味では,プレゼン能力をしっかりと身につける必要があると共に,もし自分にプレゼン能力がないと思う場合は,早期に弁護士など然るべき人に相談することが大切です。費用がかかりますが,「お金で生命身体の安全を確保できる」のであれば安いものでしょう。少なくとも,意図が伝わらず警察や行政機関に放置されるよりは遙かにましです。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
まず謙虚であること,これが大切ですね。
自己中心的な生活ばかりしていると,必ず天につばをするごとく,そのしっぺ返しがやってくることでしょう。
確かに,「自己責任」とかいいながら,肝心なところでは「自己無責任」の人が多いことに驚かされます。
昔は「自分の責任です」と進んで言うのが美徳だったのですがねえ。
ただ,確かに,「責任は自分です」というと,ワシントンのようにはいかず,むしろ一斉にその人にすべてを押しつける風潮があることから,誰も責任を取りたくないと言うのが本音でしょうね。
最近のいろいろな事件や記事のオチは責任を第4者くらいの無関係なものに押し付けていると思います。
「子供は悪くない、親が悪い
親は悪くない、社会が悪い」とか。
激しい責任逃れですよね。
「お前が悪い」って、スパッって言ってくれる辛口タレントの出現を待つしかないですかねー。