大河ドラマ「功名が辻」で,今日は本能寺の変だったようです(今回の大河は全く見ていないので,完全に伝聞ですが。)。また,6月2日が本能寺の変でした。
ところで,本能寺の変については,様々な研究がなされており,真犯人が誰なのかも含めて諸説あります。
そこで,今回はちょっとその辺をまとめて,勝手に私なりに犯人探しをしたいと思います。
真犯人は誰か探してやる,じっちゃんの名にかけて
まず,本能寺の変の教科書的知識を整理しますと,明智光秀が突然謀反を起こし,本能寺で150人程度の守備兵しかいなかった織田信長を討ち取ったが,その後山崎の戦いで秀吉軍にあっさり敗れ,その後山中で農民に殺害された,ということです。その後,柴田勝家は秀吉に負けてしまい,秀吉の天下になりました。
とまあ,ここまでは普通の話です。
次に,不思議な話や前提となりうるはいくつかあります。
1 秀吉の中国大返しの謎(中国地方で戦っていながらわずか3日ですぐに帰ってきたのはかなり無理があるのではないか)
2 家康のアリバイ工作(家康は利休と堺にいたことになっているが,火曜サスペンス的に言うと無理なアリバイ工作の臭いがする)
3 光秀は死んでいないのではないか。今でこそテレビのチカラである程度偉い人の顔は分かりますが,この当時,山中の農民が光秀の顔を知っているはずがない。また都にクビが届いた頃には腐っているため,判別はマズ無理)。一説には,天海上人になって家康をフォローしていたという話も・・。
4 実はイエズス会から信長は嫌われていた(信長はイエズス会に対するNGワードである「神」という単語を言ってしまったため,唯一の神はイエスのみ,という彼らの思想に反してしまった)
5 朝廷は完全な抵抗勢力であった(比叡山という抵抗勢力を制圧した次は,朝廷改革に乗り出す準備をしていた。郵政民営化改革の次に政府系金融改革を行おうとしている小泉首相と同じような立場にあったといえよう。)。
6 平気で解雇するため,恨まれていた(冷酷さをもっていたが,一方で経営者としてはカルロスゴーン並みであったともいえる。)。
7 本能寺はただの寺ではなく,軍事拠点(だから,本能寺の炎上は,実際は火縄銃の火薬が大爆発したため,信長の遺体は完全に飛び散ってしまい見つからなかったのではないかという仮説もあり。)。
さて,ここからは私の推理です。
まず,容疑者をピックアップしましょう。
1 明智光秀単独犯行説(単純な下克上のつもり)
2 豊臣秀吉陰謀説
3 徳川家康陰謀説
4 イエズス会陰謀説
5 足利義昭または公家陰謀説
6 柴田勝家その他家臣陰謀説
次に,少しずつつぶしていきましょう。
まず,明智光秀はものすごい戦略家でした。もちろん,下克上の世の中である以上,守備兵しかいない本能寺を狙えば勝てるという計算くらいはすぐにできるでしょう。
しかし,その後秀吉らが血相を変えてやってくること,支持者は自分の方が少ないことからこの先勝ち目がないことくらいは十分読めたはずです。
よって,彼の単独犯行は可能性は低いでしょう。
また,秀吉,家康及びその他家臣の陰謀説については,その後彼があっという間に天下人で無くなっているとすれば,俄に考えにくいです。もし,彼らとつるんでいたとすれば,裏切られたということも考えられますが,前述のとおり,戦国の世の中,裏切りも常識であった以上,そんなリスキーな取引を彼がするとは思えません。
さらに,イエズス会陰謀説については,高山右近宛の二重の手紙(日本語とポルトガル語のもの)が発見されており,その内容は全く異なっていましたことを根拠にしていますが(日本語の手紙には,光秀をよろしくとありながら,ポルトガル語の手紙には光秀無視の内容が記載されていた),イエズス会は信長を失ってしまうと一気に後ろ盾がなくなるというリスクを負っていましたから(事実,秀吉以降は一気に弾圧に回った),単に教義に反する程度のことで,果たしてこんな大がかりな陰謀を図るでしょうか。仮に,日本国自体を乗っ取ろうと画策していたのであれば,明智以外にも複数の有力大名と接触しておく必要がありましたが,一部キリシタン大名(しかも大きな力は持っていない)しか接点がありません。よって,この説も可能性は低いでしょう。
そうなると,残るは「公家」です。
もともと,明智光秀は公家との接点はかなりありました。また,明智光秀はいろんなアイデアを出す一方で,伝統を重んじる「保守的」なところもありました(一説では,比叡山の焼き討ちで信長からの離脱を考えたといわれています。)。
また,前述のとおり,公家は信長による朝廷改革をものすごく恐れていました。公家も天皇も,この頃には軍事力はもちろんのこと,政治力もほとんど無かったため,信長の改革に対して抵抗する力はほとんどありませんでした。
そこで,公家は明智光秀を使って謀反を起こそうとしたのではないかと考えられます。
もちろん,前述のとおり,明智光秀からすれば,先を読めば公家からの見返りはほとんど期待できないこと,このままでは結局秀吉らに討ち取られてしまうことくらいは想定内でしょう。
しかし,公家はウルトラCを使おうとしました。それは「大義名分」です。これを明智光秀に与えれば,天皇の命によって謀反者たる信長を討ったに過ぎないとなり,他の家臣も明智を討つと「謀反者」とされるため,手が出せないだろうと思っていたのです。
しかし,公家サイドは結局彼を見殺しにしました。おそらく,中国大返しが「想定外」だったのでしょう。ゆっくりやろうと思っていたところ,突然秀吉がやってきたので,朝廷内部は大慌てで「聞いてないよ」状態となり,大義名分を取る決裁ももらえなかった,その結果彼を見殺しにしたのではないでしょうか。
以上から,私の結論。
犯人は「公家」である。動機は,朝廷と天皇制度を守るため。
もちろん,真相は,タイムマシンでもできない限り分かりません。ただ,本能寺の変が歴史上のターニングポイントになったことは事実ですから,皆様も一度考えてみてはいかがでしょうか。
さらに,歴史は繰り返します。小泉首相ももしかしたら,側近から謀反にあう可能性だって考えられます。その際には,この本能寺の変を検証しておくと,似たような傾向が出てくるかもしれませんね。
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ところで,本能寺の変については,様々な研究がなされており,真犯人が誰なのかも含めて諸説あります。
そこで,今回はちょっとその辺をまとめて,勝手に私なりに犯人探しをしたいと思います。
真犯人は誰か探してやる,じっちゃんの名にかけて
まず,本能寺の変の教科書的知識を整理しますと,明智光秀が突然謀反を起こし,本能寺で150人程度の守備兵しかいなかった織田信長を討ち取ったが,その後山崎の戦いで秀吉軍にあっさり敗れ,その後山中で農民に殺害された,ということです。その後,柴田勝家は秀吉に負けてしまい,秀吉の天下になりました。
とまあ,ここまでは普通の話です。
次に,不思議な話や前提となりうるはいくつかあります。
1 秀吉の中国大返しの謎(中国地方で戦っていながらわずか3日ですぐに帰ってきたのはかなり無理があるのではないか)
2 家康のアリバイ工作(家康は利休と堺にいたことになっているが,火曜サスペンス的に言うと無理なアリバイ工作の臭いがする)
3 光秀は死んでいないのではないか。今でこそテレビのチカラである程度偉い人の顔は分かりますが,この当時,山中の農民が光秀の顔を知っているはずがない。また都にクビが届いた頃には腐っているため,判別はマズ無理)。一説には,天海上人になって家康をフォローしていたという話も・・。
4 実はイエズス会から信長は嫌われていた(信長はイエズス会に対するNGワードである「神」という単語を言ってしまったため,唯一の神はイエスのみ,という彼らの思想に反してしまった)
5 朝廷は完全な抵抗勢力であった(比叡山という抵抗勢力を制圧した次は,朝廷改革に乗り出す準備をしていた。郵政民営化改革の次に政府系金融改革を行おうとしている小泉首相と同じような立場にあったといえよう。)。
6 平気で解雇するため,恨まれていた(冷酷さをもっていたが,一方で経営者としてはカルロスゴーン並みであったともいえる。)。
7 本能寺はただの寺ではなく,軍事拠点(だから,本能寺の炎上は,実際は火縄銃の火薬が大爆発したため,信長の遺体は完全に飛び散ってしまい見つからなかったのではないかという仮説もあり。)。
さて,ここからは私の推理です。
まず,容疑者をピックアップしましょう。
1 明智光秀単独犯行説(単純な下克上のつもり)
2 豊臣秀吉陰謀説
3 徳川家康陰謀説
4 イエズス会陰謀説
5 足利義昭または公家陰謀説
6 柴田勝家その他家臣陰謀説
次に,少しずつつぶしていきましょう。
まず,明智光秀はものすごい戦略家でした。もちろん,下克上の世の中である以上,守備兵しかいない本能寺を狙えば勝てるという計算くらいはすぐにできるでしょう。
しかし,その後秀吉らが血相を変えてやってくること,支持者は自分の方が少ないことからこの先勝ち目がないことくらいは十分読めたはずです。
よって,彼の単独犯行は可能性は低いでしょう。
また,秀吉,家康及びその他家臣の陰謀説については,その後彼があっという間に天下人で無くなっているとすれば,俄に考えにくいです。もし,彼らとつるんでいたとすれば,裏切られたということも考えられますが,前述のとおり,戦国の世の中,裏切りも常識であった以上,そんなリスキーな取引を彼がするとは思えません。
さらに,イエズス会陰謀説については,高山右近宛の二重の手紙(日本語とポルトガル語のもの)が発見されており,その内容は全く異なっていましたことを根拠にしていますが(日本語の手紙には,光秀をよろしくとありながら,ポルトガル語の手紙には光秀無視の内容が記載されていた),イエズス会は信長を失ってしまうと一気に後ろ盾がなくなるというリスクを負っていましたから(事実,秀吉以降は一気に弾圧に回った),単に教義に反する程度のことで,果たしてこんな大がかりな陰謀を図るでしょうか。仮に,日本国自体を乗っ取ろうと画策していたのであれば,明智以外にも複数の有力大名と接触しておく必要がありましたが,一部キリシタン大名(しかも大きな力は持っていない)しか接点がありません。よって,この説も可能性は低いでしょう。
そうなると,残るは「公家」です。
もともと,明智光秀は公家との接点はかなりありました。また,明智光秀はいろんなアイデアを出す一方で,伝統を重んじる「保守的」なところもありました(一説では,比叡山の焼き討ちで信長からの離脱を考えたといわれています。)。
また,前述のとおり,公家は信長による朝廷改革をものすごく恐れていました。公家も天皇も,この頃には軍事力はもちろんのこと,政治力もほとんど無かったため,信長の改革に対して抵抗する力はほとんどありませんでした。
そこで,公家は明智光秀を使って謀反を起こそうとしたのではないかと考えられます。
もちろん,前述のとおり,明智光秀からすれば,先を読めば公家からの見返りはほとんど期待できないこと,このままでは結局秀吉らに討ち取られてしまうことくらいは想定内でしょう。
しかし,公家はウルトラCを使おうとしました。それは「大義名分」です。これを明智光秀に与えれば,天皇の命によって謀反者たる信長を討ったに過ぎないとなり,他の家臣も明智を討つと「謀反者」とされるため,手が出せないだろうと思っていたのです。
しかし,公家サイドは結局彼を見殺しにしました。おそらく,中国大返しが「想定外」だったのでしょう。ゆっくりやろうと思っていたところ,突然秀吉がやってきたので,朝廷内部は大慌てで「聞いてないよ」状態となり,大義名分を取る決裁ももらえなかった,その結果彼を見殺しにしたのではないでしょうか。
以上から,私の結論。
犯人は「公家」である。動機は,朝廷と天皇制度を守るため。
もちろん,真相は,タイムマシンでもできない限り分かりません。ただ,本能寺の変が歴史上のターニングポイントになったことは事実ですから,皆様も一度考えてみてはいかがでしょうか。
さらに,歴史は繰り返します。小泉首相ももしかしたら,側近から謀反にあう可能性だって考えられます。その際には,この本能寺の変を検証しておくと,似たような傾向が出てくるかもしれませんね。
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