奥田中バスケ部

OKUDA JR BASKETBALL CLUB

指導を初めて15年

2008-08-19 08:56:48 | スタッフルーム
昨日、miyuのお母さんの焼肉店に家族で行きました。(長男の誕生日ということで)
偶然、H川(兄)キャプテンと遭遇しました。僕が初めてバスケット指導に関わった時の1年生です。今年28歳になって、今は、某大手銀行で、がんばっているそうであります。
 「コーチには、人生のなんたるかをを教えていただきました。」
 「歴代の生徒の中で、僕ほど鉄拳を浴びたものは、たぶんいないと思います。ぼくが、卒業してからずいぶんやさしくなられました。」
 とあっさり言われてしまいました。(決してそんなことはないと思っていんるだけど。)
 当時は、この奥田中学校も、迫力のある学校のひとつでした。
 放課後の、体育館では、土足でバレーボールでサッカーを楽しむ生徒達が、頻繁に遊びにきていました。(部活の生徒は、壁際で見学。)
 そんな日に限って、きまりにうるさい、バトミントンの先生や、野球の先生は、不在でありました。(見て見ぬふりかな?)
 ある不良のまねをした生徒が、バスケットボールを蹴った瞬間スイッチが入って
体育館が、血だらけになったこともありました。(頭突きで、僕の額がわれました。)
 何日かして、ひどいめにあった子供達が、ニッカポッカをはいたお兄ちゃんをつれて、鉄バットをもってやってきました。
 「先生が、暴力ふるっていいんかい。」そんなようなことを言ってからんできました。
 事情をよく説明したところ、お前達が悪いと、中学生達をひざまつかさせて、「この方にあやまりなさい。」と言ってくれました。
 「後輩を頼むな。」心臓がパクパクさせながらそう言ったのを今でも覚えています。(彼らは、うちの会社の従業員の光三君の弟分だったそうです。)
 この年代のエピソードは、話がつきません。
 今度、同級の大手証券会社にいっているO上君が、九州から帰ってくるらしいので、その時、また、話をしようと、焼肉店をあとにしました。
 娘を見て、「この方は当時、赤ちゃんだったお嬢さんですか?」と、H川君も、時代の流れを感じ取っていたみたいです。