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線香と数珠のお店

駄菓子は日本の文化

2020-03-12 13:08:05 | ◇ トピックス          

和歌山県海南市の橘本神社は田道間守(たぢまもり)を祭神としています。
田道間守によって当時の天皇に不老長寿の食物として持ち帰られたのが橘(たちばな)という果物
結局、十余年探し求めている間に天皇は崩御され田道間守は落胆し絶命したとされています。
その橘が最初に移植されたのが橘本神社です。
橘はミカンの原種で酸味が強く食用にはならないようです。


⇒公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会

橘本神社は、この由来からミカンの発祥地ともいわれますが、砂糖などを使えなかった時代に橘は加工してお菓子として食べられていたようで、このことから田道間守はお菓子の神様とも称されます。
そのお菓子の神様田道間守の命日が3月12日で、その日を「だがしの日」と制定されたというわけです。

駄菓子の歴史は、江戸時代にさかのぼります。
江戸の各町の見張り番がいる番屋で、黒砂糖で作った安いお菓子を売っていました。(⇒駄菓子辞典
その頃は「一文菓子」と呼ばれていました。

番屋

⇒時代劇を10倍楽しむ講座

最近ではあまり見なくなりましたが、お菓子屋さんに子どもたちが集まるのは今も昔も変わりませんね。


⇒とらや

年々駄菓子屋に限らず菓子店は減少傾向にあります。


⇒FNN PRIME

30年前には7万ほどあった菓子店が、2016年には1万5千店にまで減少しています。
少子化で子供の数が減り、コンビニが数を増やし、子供の遊びはゲームやスマホなどに変化していく時代に、駄菓子屋さんの前で子供達が自分のお小遣いで一つ二つ駄菓子を買って集まる子供の社交場は、なくなっていきます。

それでも元気に続けているお店もあります。
駄菓子は日本固有の文化ですからね。
色彩豊かな店内に手書きで書かれた札、そして名物店主の明るい声などなぜか誰にも懐かしい気持ちにさせるものです。


⇒コームズチャンネル

古ければいいというものではありませんが、数が少なったとしても長く生き延びてきたものには、やはりいいものがあります。


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