時々のブログ

取り敢えずよろしくお願いします。
暫く大量懲戒事件へのコメントが中心になるかと思います。

裁判所は危険が一杯

2020-10-13 22:58:41 | 日記

 

今日はこの時期としては日差しが強い日でした☼

日中汗ばむ日がまだ有ります。

こまめな水分補給を心掛けましょう💦

 

 

昨日のお話の補足です。

オウム真理教関連の審理を担当した裁判所が手荷物検査を実施したのを始めとして、

他の地域でも検査を行う様になったと昨日お話しましたが、実はオウム事件の遥か以前に

裁判所、裁判官がテロの標的となった事件が起きています。

 

先ずは海外の事例から

コロンビア最高裁占拠事件

コロンビア最高裁占拠事件(コロンビアさいこうさいせんきょじけん)は、

1985年11月6日から11月7日にかけてコロンビアで起きた人質事件である。

11月6日午前11時35分、首都ボゴタの最高裁判所兼法務省ビル(正義宮殿)に

左翼ゲリラ組織4月19日運動(M-19)の武装ゲリラ35名(男性25名、女性10名、

ルイス・オテロ司令官)が侵入し、警備員ら2名を殺害し、国会議員や市民、

判事12人を含む約300人を人質に取った。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(上記より)

コロンビアで1986年に起きた事件の概要です。

日本でも死者は出ていませんがテロは起きています。

 

以下はWikiより・・・

東京高裁長官室乱入事件

1974年(昭和49年)10月29日東京都千代田区で発生したテロ事件。

日本の新左翼社青同解放派が起こした事件である。

事件の発端[編集]

東京高等裁判所では、1974年10月31日狭山事件控訴判決を出すことになっていた。

狭山事件の被告人を支援していた新左翼各派は不穏な動きを見せていた。

事件の概要[編集]

1974年10月29日午後3時15分頃、東京高等裁判所庁舎の4階にあった高裁長官室に、

背広姿の4人が鉄パイプでドアを破壊して乱入した。また隣の高裁事務局長室にも1

人が乱入し、中にいた事務局長に暴力を振るった。事務局長は

弁護士がそんなことをしていいのか」(暴漢はニセの弁護士バッジを付けていた)

と言ったが、聞く耳を持たなかった。

長官室にいた市川四郎高裁長官は、事務局長室の騒ぎの隙を見て脱出に成功した。

また事務局長も何とか脱出することができた。暴漢らは避難する長官たちに対して

爆竹バルサンを投げつけた。バルサンの煙が裁判所内に立ち込めたため、

開廷中の裁判を全て延期した。

その後、暴漢らは長官室にバリケードを築いて立て篭もり、

窓から「狭山差別裁判糾弾」「革マルせん滅」といった垂れ幕を吊り下げた。

午後3時30分、裁判所職員からの通報を受けた警視庁警察官が長官室に突入し、

中にいた5人を現行犯逮捕した。

垂れ幕に「社青同全学連」と書かれていたことから、公安警察

社青同解放派の犯行と断定した。

社青同解放派は、2日後の控訴審で有罪判決を下した裁判官に対してもテロ事件

東京高裁判事襲撃事件)を起こしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E8%A3%81%E9%95%B7%E5%AE%98%E5%AE%A4%E4%B9%B1%E5%85%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(上記より)

 

東京高裁判事襲撃事件

事件の発端[編集]

狭山事件控訴審は東京高等裁判所で開かれることになり、

寺尾正二判事が裁判長として審理することになった。

寺尾判事は第二次羽田事件の差し戻し審で無罪判決を出していたことから、

被告の支援者らは「寺尾判事ならば、きっと無罪判決を下してくれるだろう」と

判決を楽観視していた[1]。しかし寺尾判事は、狭山事件の被告人

無期懲役の有罪判決を言い渡した。

支援者らは、一転して寺尾のことを「差別裁判官」呼ばわりし、

悪罵を投げつけた。また狭山事件の被告を支援していた新左翼も不穏な動きを見せ、

事件前から寺尾が住む官舎に爆竹を仕掛けるなどの嫌がらせを行っていた。

事件の概要[編集]

1976年9月17日午前9時20分頃、寺尾を乗せた公用車新宿通りの四谷三丁目交差点付近で、

渋滞のため停車していた。すると、後ろのライトバンから賊3人がバットを持って飛び出し、

寺尾の公用車のガラスを叩き割り、中にいた寺尾を殴打した。

運転手は機転を利かせて急発進し、猛スピードでそのまま東京高裁に直行した。

賊らは乗っていたライトバンに飛び乗り、車内にいた2人とともに四谷方面に逃走した。

寺尾は頭と両腕に全治1週間の打撲傷を負った。

9月26日、社青同解放派は集会を開き、その席で「革命的人民により、

反革命裁判官寺尾に報復の鉄槌が下った」と発言し、事実上の犯行声明を出した。

公安警察はその他の証拠などから社青同解放派によるテロ事件と断定した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E4%BA%8B%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(上記より)

 

※狭山事件とは・・・

狭山事件(さやまじけん)は、1963年5月1日埼玉県狭山市で発生した、

高校1年生の少女被害者とする強盗強姦殺人事件

誘拐殺人事件」と呼ばれる場合もあるが[1][2][3]誘拐罪では起訴されていない[注釈 1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

裁判所や裁判官、職員が常に危険なのは言うまでも有りません。

裁判官が公用車で登庁しているのも頷けます。

職員以外の一般人にとっても、近寄らない方が良い人達が集まる危険な場所ですが。

 

 

以下はツイッターより

 

日本学術会議の推薦名簿から外された松宮先生の「これほど名誉なことがあるだろうか」
っていうの、めっちゃ好き。 尊敬する刑事弁護士の先輩方も
裁判官や検察官に嫌われウザがられてこそ本物」って言ってた。
権力にウザがられることこそ名誉なのだ
 
権力にウザがられることこそが名誉なのだ・・・
 
自分達が権力の一部を担っているという事に気付けないのかな。
 
 
以下はノース先生のツイートより・・・
 
来週月曜日の仙台地裁、日曜日に前入りしておこうかと思ったけど
当日の朝行っても良いような気がしてきた…。
 
 
やはり前日入りしておこう。もう若くないのだし。
 
 
ノース先生、遠方への出張お疲れ様です。
 
 
本日もありがとうございました
 
※当ブログはアフィリエイトはありません
 
 

 

コメント
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