退院した翌日、近くの喫茶店に出かけた。
いつも通う道の花壇の花が見事なほど咲き誇っていた。
3月13日火曜日。
6日振りに退院となった。
3月7日木曜日は、入院当日も冬は遠くに追いやったような穏やかな日だった。
病室は8階の窓際で北中城、中城の町が、眼下に一望できた。
琉球大学付属病院は高い丘の上にある。
中城湾の向うには知念半島の低い山なみが長く横たわって見える。
一週間を過ごすには悪くないなと気が楽になった。
10時に入院、午後から多少の検査があった。
手術は、翌日午後2時半からと知らされた。
生まれて初めての手術である。
この先生なら任せられると納得した手術ではあったが、時折、不安がよぎる。
手術当日、車椅子に乗せられ手術室に向かう。
「歩けますが?」
と無用な心遣いと言ったが、なんと言ったか看護師の説明にするがままに任せた。
手術室に入る。
あかるく清潔な室は白一色の透明感といろいろな機器類に溢れていた。
手術は椅子で行なわれるらしい。
両手が肘駆けに縛られ、注射液が高く吊り下げられたスタンドから体内に入ってゆく。
電気椅子で刑の執行を受ける死刑囚の心境を探った。
「安定剤を一緒に注入しますから」
そういった信頼する担当医Y先生のやさしい黒い眼がほほ笑んだ。
看護師に起こされた時はベッドに戻っていた。
右目は眼帯がかけられ何とも不自由であった。
翌日朝、若い医師が眼帯を外しに来た。
外した瞬間、眼前が別世界に入ったように明るくなった。
窓外の景色が昨日とはまるで違う。
きらきら光る宝石のようだ。
家々の佇まいもビルも、山も。木も、青く光る海も、遠望の山のように連なる丘もこの世のものとは思えぬほど輝いていた。
やがて、Y先生がいつもの穏やかな笑顔で現れた。
「どうですか?」
この一言に涙が出そうになった。
「こんなに良く見えるとは思いませんでした。ありがとうございました」
思わず叫んで頭を下げた。
「よかったですね」
翌々日は左目だ。
麻酔をかけるとうわごとを言うらしい。
「次回は部分麻酔でやりましょう」
Y先生の言葉には穏やかだが有無を言わさぬ力があった。思わず、
「はい」
と応えてしまった。
左目の方が良かったはずなのに、右目よりは良くない。
なみだ目のようになっている。
白内障は医者から手術を勧められた訳ではない。
軽度とはいうものの糖尿病があるし、歳を考えると早いほうがいいと思ったからである。
眼鏡を付けて0.8位は見えていた。
ただ、ものが、すっきりと見えない。いつも、少し霞がかかっているようであったし、思い切って昨年、Y先生に手術を申し出たのである。
「いい時期じゃないかとおもいますよ」
とY先生も賛同してくれた。
「しばらくすれば落ち着くでしょう」
Y先生は静かに言った。
入院は誰にも告げず、独りで準備した。
大きな旅行カバンと拓大の紙袋を買い込んで、着替えの下着や常用薬など、日常品のこまごまを忘れ物をしないように2日がかりで用意万端整えたつもりであったが、結局、入院して8,000円ほど買い足す羽目になった。
こんなとき、由布子やアコ、モコがいてくれたらと、ついつい思ってしまう。
自分で選んだ道じゃないかと邪念を振り払い、己を戒める。
家族。
それは面倒なことがいっぱいあるけれど、いいものだ。
空気のようなものだが、決して疎かにはしてはならない。
こうしてパソコンに向かっていても空しさがこみ上げる。
逢いたい・