おかあさんのうた

どこをどう歩いてきたんだろう。
おかあさん、子供たちよ。
あのぬくもりはもう帰っては来ないのだろうか。

白内障手術

2012-12-11 00:17:31 | 随筆
5月8日。仕事を終え、少し足を伸ばして郷里に帰り、墓参りに行った。


 寒くなった。
夜更けの11時。道行く車のエンジン音が透き通って聞こえる。
どうしているかな。
今夜は酒も飲みたくない。

 眼底出血から3ヶ月に一度、眼科に通っている。
4,5日前、白内障が悪化していると医師から告げられた。
来年春に両眼の白内障の手術をすることになった。
「2月に手術前の検査と承諾をいただくことになります。ご家族の方どなたかと一緒に来てください」
医師から当たり前のように告げられた。
「わたしは今ひとりです。家族はいません」
医師は何故とも訊かなかった。
「私がサインします」

 眼底出血した当時のことが頭に浮かんだ。
日記を取り出してみる。
3年前の7月22日だった。


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 今夜も飲んだ。
最近、酒が強くなった。
もう、3合は飲んだかな。
 おまえに手紙が出せなかった。
こんな手紙見たら誰でも愛想つかすよな。
4月、検査してもらった眼科の医師の言葉が気にかかっている。
「眼底出血が片目というのは珍しい。何百万分の一の確率だけど、肺がんの可能性が考えられる」
肺がんから転移したという医師の説明を他人事のように聞いた。
「関係ないと思うのですが、肺がんは辛いからねえ」
この言葉が脳裏から離れない。
でも、誰にも云えない。
ゆふこ、おまえの信頼も失ってしまっているからだ。
そう。きょう手紙が出せなかったのはおれはずっとおまえを裏切るような事ばかりしてきたからだ。
「家族」
自分なりに大切にしてきたつもりだった。
今夜、テレビのある番組で、
「やっぱり家族だよね」
と言ったとき、はっと気付いた。
おれは家族の為とがんばってきたつもりだったが、何が家族の為だったんだ、と。
何もしてない。
 子供のころ、近所では親孝行でいい息子で通っていた。
40歳も過ぎた頃、親の事など全く考えてなかったことに気付いた。
そのときは父も母もいなかった。
慙愧の思いに心身を掻き毟られた。
自業自得という奴だ。
 今度は自分の家族にさへ何もしていない。
できればこの世から消えたいが、消えたところで災厄は消えない。
出たとこ勝負かと思ってきたが、その気も失せてゆく。
おまえとヨーロッパ旅行をしたかった。
倹約家のおまえは、
「わたしはどうでもいい。あなたが好きなら行ってきたらー」
というに違いない。
「こんな金どうする。これくらい贅沢してもいいだろう」
そうして、スイスのあの農村の風景の中を二人で歩きたかった。
宮殿での室内楽、おまえから教えてもらったクラシック。おまえと聴きたかった。
そしてね、おまえとのお墓を造りたかった。
おれの夢はそれだけだった。
それなのに、家も手離し、もう引くに引けないところまで来てしまった。
数ヶ月、こんな状態が続いている。
2ヶ月前から安酒浸り。

 ゆふこ、おまえは生まれ替わったら俺とは夫婦にならないと云ったけど、おれは生まれ変わって本当におまえを幸せにする。
もう寝るよ。9時半になる。
アコやモコ、そしておまえからブツブツ文句を言われながら酒を呑みたい。

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 馬鹿な決断をするひと月前のことだ。
酔ってるな。
重いが乱れているあの夜を思い出した。

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