3度目の盆。
この地はみな旧盆で執り行なう。
今年は8月30日~9月1日。
大きな台風が通り過ぎて秋風が吹き始めていた。
9月1日、送りの日。
6時前の夜明けの空は秋の気配だった。
起き際の肌を過ぎる風がなぜか寂しい。
お前と別れなければ解決の目処が立たないと決心したのが
秋風の吹く哀しい日々であった。
親父とお袋と兄のまつりごとはすべてお前に任せっ切りだった。
ひとりでロウソクに灯を灯していると
おまえがひとりでやってくれていたことに感謝した。
ひとりでやるようになって3回目の盆を迎える。
なんと空しい日々であろうか。
おまえもこんなわびしさに耐えていたのだと思うと
感謝などと言えたことではない。
おれの一生はこうだったのだろう。
何も思いやれず
誰も思いやれず
一所懸命やっていればいつかわかってくれる。
一所懸命やっているのだから選択の余地はない。
自分に言い聞かせ、納得してきた。
うそだ。
一所懸命とはそんなことじゃない。
ただ、自分が納得行く方法をとったに過ぎない。
そう思った。
こうしようと思うがどうだろう?
どうればいいかな?
どうしてほしいの?
一度も、誰にも、たずねたことがなかった。
言い出す勇気がなかった。
それが、どんなに大切なことだったろうか。
今でさえ云えない。
父母に対しても同じだった。
逃げる。
とても嫌いなことだ。
俺は逃げなかった。
そう自負し、他言もしてきた。
迎え日に、仏壇の前で母と酒を酌み交わした。
突然、
俺の人生が逃げの人生であったことに気付いた。
逃げてばかりいた。
時は還らない。
過ぎた人生は悔いる以外にない。
明日をどうしよう。
絶望、という言葉がよぎる。
そこには夢も、生き甲斐も、障害さえもない。
ひとは無力感だけだと蔑むだろう。
どうすればいい。
今更、だれに相談できると言うんだ。
せめて、来年の盆までにーーー。
そう考えて思考を止めた。
また逃げるのか!
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