みどりきみどり空色

草花とそれにまつわるetc.

君のためなら千回でもを見て

2009-01-19 22:16:49 | Weblog
 DVDを借りた。タイトルは「君のためなら千回でも」。アフガニスタンを舞台にした映画だ。
 西アジアの映画を、いくつか見たことがあるが、心に響く作品が多い。登場する人物たちの情愛が、深く細やかで、少し前の、日本の田舎の素朴な人間関係を思い出させる。言葉や国が違っても、人間というものは、誰でも心はいっしょなんだと安心感を覚える。また、イスラム圏の言葉が好きだ。ささやくようで、耳に心地よい。北朝鮮のテレビの女性アナウンサーの激しい口調と対極だ。
 この映画も案に違わずとてもよかった。
 タイトルシーンからステキだ。アラビア文字のカリグラフィーが、画面のあちこちからはじまり消えていく。
 原題はカイト(凧)ランナーとあった。
 今はアメリカに住んでいる一人の青年、一冊の本を書き上げたのだが、その青年の回想から始まる。
 時は1975年、アフガニスタンでの少年時代の頃にさかのぼる。町の雑踏が賑やかだ。裕福な家の息子アミール(母はいない、父の愛情を疑っている)が彼である。彼と使用人の息子ハッサン(父と二人暮らし)とは兄弟のようにとても仲良しだ。今日も空高くたこ揚げに興じている。その二人を軸に物語は広がっていくのである。ハッサン少年(年の頃は小学3年頃か)がとてもいい。控えめで素直な感じがいじらしいほどだ。無心にアミールを信頼し、いつもついてまわっている。
 町のあちこちで、子供たちが相手のたこの糸を切る競技のたこ揚げ大会がはじまった。アミールもハッサンを従え参加する。大人たちもこぞって観戦だ。乾いた青空にあちらこちらから凧が揚がる。
 アミールの凧が最後まで残り、勝ち名乗りを上げた後にある事件が起きる。衝撃的なそのことがきっかけで、アミールはハッサンに対する思いを変化させる。地位を利用し、どうしようもなくいびつな憎しみをぶつけていく。疑うことも知らず、自分を責めつつ、傷ついたのはハッサンの方なのに、なおもよりそおうとする姿に胸が痛くなる。暗い陰湿さとハッサンの素朴な一途さが際だつ。
 二人の関係が壊れるように、その頃からアフガンをとりまく状況はしだいに崩れていく。
 そして、ソ連の横暴な侵攻がはじまるのである。
 あと一歩のところで暗殺されたかのマスード将軍が活躍した頃だ。
 
 着の身着のままパキスタンに脱出するアミール親子。最終到着地はアメリカだ。 アメリカで成長し、作家をめざす青年になったアミール。共に苦労した父はなくなり、恋人を得て穏やかに過ごすアミール。
 念願の本が上梓され喜びに満ちていたある日、パキスタンに住む叔父より一本の電話がかかる。ぜひともこちらに一度もどってほしい。ハッサンのことを伝えたいと。ハッサンに対する懺魏を片時も忘れたことがなかったであろうアミールは行かないわけにはいかない。
 今ではすっかり年老いた叔父より出生の秘密やその後のハッサンのことなどを聞き愕然とさせられる。ハッサンの遺児がアフガンのどこかにいるという。どうか助け出してほしいという。
 アフガンに入国することを怖れたアミールだが、過去を償うために、タリバーンの支配しているアフガンへ向かう決意をする。
 人の命を虫けらのごとくあつかうタリバーンの支配するアフガン。ハッサンへのつぐないのための命をかけた真実の旅が始まるのだ・・・・。
 アフガンの北方に連なる山脈は雪を頂いて澄みきった青空に映え、とても美しいが、麓に広がる裾野は、果てしなく、どこまでも荒涼としていて、命のかけらも見えない。木々一本もなく、草も生えず、殺伐とした大地がはてしなく広がる。
 本当にアフガンで撮影したのだろうか。
 かのタリバーンという組織が生まれたのも、この荒廃した地をみれば、無理からぬ事のように思える。
 人間は、生まれながらに平等であるというが、出生場所で大変な違いがある。苦しみの連鎖みたいなあのすさんだ場所で人間らしく生きていくということは大変なことだ。
 二人の少年を通して国とか体制、個人の弱さとか強さなど簡単に答えなど見つけられないが、いろいろとても考えさせられた。何気ない会話が出来ることがどんなに幸せなことか。
 全てのことは網の目のようにつながりあっているというから、小さな微々たることでもいいからなにかできることを考えてみたい。

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