友人Aが、逝きました。
1月にAのことを書いた時には、
まだ希望もあって回復を祈っていたけれど、
その後 状況の変化が伝わってからは、
次に仲間からメールがきたら、
”そういうこと”だと思っていた。
お通夜へ参列。
お焼香の時は、家族の方の顔が見られなかったな。
病室に通っていた先生が、
「Aは最後まで生きることに
希望をもっていたんだよ」と
私達を励ますように力強く、
キラキラした表情で教えてくださり、
力がわいた。
容姿の変わってしまった自分を
見られたくないという気持ち。
でも、
本当は、みんなと会いたかったんだよ、とも
聞かされて、切なかった。
今、それはどうすることが
正解だったのかわからない。
友人たちのお見舞いは、
はばかられる雰囲気だった。
ずっと遠慮していたんだ。
身内だけで過ごしたいから、という言葉を
伝え聞きして、それでも会いに行くというのは、
こちらのエゴのような気がして。
ただ、家族と濃密な時間が過ごせることだけ
毎日思い続けていた。
お清めの席でいろいろな人と
話しているうちに、良い方に、
気持ちがすっかり変わってしまった。
うまく書けないけれど、
人の縁というものを強く感じて。
このことがなかったら
もう会う機会もないような人と話すことができた。
付き合いは続いていながら、
先延ばしになってたクラスメイトとも再会できて。
きっとAが集めてくれたんだね、と
みんなの顔が明るかった。
次に会うのは先になることと思うけれど、
笑顔で「またね」といいあえたことで、
それぞれの記憶に
お互いの笑顔を残すことができて、
何よりだった。
Aのおかげ。感謝しなければ。