見られる自分、それに納得してない自分

2019-09-30 17:01:28 | 考える
いつも思うことがある。
車イスを押してもらい、ご近所の方にお会いする。
ご近所の方と、車イスを押してくれる人とで、会話がはじまる。

私は話せないから笑っている。
そのとき自分は傍からどう見えているのか。
話すことができない、ベビーカーにいるニコニコした赤ちゃん?

自分を知っている方ならそういう捉え方はされなくても、初対面であれば、自分は何に似ているかで、自分の人物像を想像する気がする。

親と筆談で喧嘩するときがある。
明らかに喧嘩しているなら、書かれたものを見なければ不快にならずに済むのに、なんか見てしまう。
先日、「あー、あー、えー、えー、で、何を言ってるかさっぱりわからない」と言われたが、自分の発する言葉が、自分のイメージからかけ離れているとはびっくりであった。


こうありたい欲求。
最近、話せるようになる思いが小さかった。
コメント (4)
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オーバー?忍耐

2019-09-30 13:11:52 | 透析
嚥下の仕組みは難しそうだ。
体調を崩すと、今までできた飲む噛むという単純な動作がやりづらい。
一言で言えば、食事は面倒なものになる。
食欲がない現在、どうすれば飲む噛むできるか、考えてもわからない。

こんなときに頼りにしているのが、リーナレン、エンシュアリキッドという病院おすすめの飲み物がある。
リーナレンは、アマゾンで注文でき時々購入してる。

リーナレンは、脳出血で胃ろうだったとき、点滴のようなプラスチックに入れてるのを見たことがあり、この飲み物だけで生きられるんだとびっくりしたことがある。

味はイマイチだが、食欲が落ち、気力がなくなるはずがそれがない。

何度もこの飲み物のお世話になっているが、水分制限ある患者ならではの辛い面ところある。

これを飲んでいる間は、1日摂取水分は500ml位だから、早く治したいし、飲み物はこれのみにするのである。

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