土佐のくじらです。
今日は少し、趣向を変えて。(笑)
さて皆様は、「国境」という言葉に、どういうイメージをお持ちですか?
国境とはその名の通り、国家の境ですけど、
日本人がイメージする国境と、世界の人々がイメージする国境とは、微妙なズレがあると、私は思うのですね。
かつては、そう、第2次世界大戦以前には、今よりももっと明確な「ズレ」がありました。
日本人がイメージする国境というのは、「国民の生活圏」だと思うのです。
日本国民が、自由に行き来して良い地域・・・とでも言いましょうか。
もっと厳密に言うと、「日本人の生活圏で、かつそれを、日本国や世界が認めている範囲。」と言えると思うのですね。
一方、世界で言う「国境」のイメージというのは、「防衛圏」だと思うのですね。
自国軍が、手持ちの軍勢で、他国軍を追い払うことのできる範囲ですね。
言い換えれば、「軍事境界線」が「国境」なのです。
しかしこれは、近年の世界では、随分と日本に近い感覚になってきました。
今では多くの国々が、日本では当たり前とも言える「国境観」を持つようになりました。
私がこういう言い方をするのは、この現代的な国境への感覚を、最も古くから持っていたのは、他ならぬ日本人だからです。
第2次世界大戦までの世界は、完全な、国境=軍事境界線でした。
大事なのは、それまでは現代のような、厳密な国境への意識を持っていたのは、世界では日本人だけだったということです。
ある意味で世界は、日本化したのですね。
なぜそうなったかは、また後日ご紹介いたします。
さて、戦国時代が終わるまでの日本人は、世界共通の国境への概念、国境=軍事境界線でした。
しかし徳川幕府によって、国内の幕藩体制が推し進められると共に、年貢の取れ高を決める上で、とても重要な国境(くにざかい)を決めましたけど、
その時に決まった国境(くにざかい)が、今の日本人の、国境への基本概念を決めたと私は思います。
この時に徳川幕府は、各藩の国境(くにざかい)を、山の峰や大きな川で仕切りました。
それは今でも、都道府県境にその名残を残しています。
大抵の都道府県境は、山の峰や河川ですからね。
山の峰や河川は、戦国時代までの軍事境界線でもありました。
しかし、その後徳川幕府は、藩通しの流通や、勝手な戦を禁じたので、その後長きに渡って続く江戸時代により、
その藩の国境(くにざかい)がそのまま、領内の人々の生活圏になっていったのですね。
こうして日本人の国境への意識は、長期間に渡って、ごく自然に形成されたのですね。
つまり、現代的国境観とも言える、「生活圏+それを、その国や世界が認めたもの」という概念の元は、
日本の江戸時代なのです。
これを明治以降の日本人は、海外に新しく得た朝鮮などの領地や、日本の後押しでつくった、満州国においても適応させてしまいました。
元来の日本は、海に囲まれた国ですので、他の国々との国境への対応に未熟なところがあると思います。
ですから、現代の皆様が普通にイメージするように、「世界の国々の了承を得た地域。」として、韓国を独立させたり併合したり、満州国を創設したりしていたはずですね。
当然明治以降の日本人は、「世界が定めた国境ならば、当然日本人の安全と権利が保証されて然るべきである。」と思ったはずです。
しかし、ところがどっこい、当時の世界の人々の感覚では、日本人が持つような、厳密な国境という概念はないのですね。
あくまで当時の外国人は、軍事境界線=国境なので、目に見えない国境なんて、おかまいなしでどんどん進入してくる訳ですよ。
今の尖閣諸島沖の、中国漁船問題みたいな事例は、あちこちで多発していたはずですね。
ですから、朝鮮を独立させれば、国境線も同時に確定するはずだ・・・という、明治日本の読みははずれたと思います。
そこで、大韓帝国創設→日韓併合→満州国創設と、日本的価値観で押し広げたのだと思いますね。
いずれも、当時の国際社会の信認は得ておりますのでね。
我々はつい、現代の国々の感覚、地図で惹かれている、国境線の枠国の中の国々という、現代的感覚で思考してしまうのですけど、
当時と今では、一つ一つの物事への考え方が、全く違うということを前提に議論しなければならないと思います。
とまぁ、長々と書きましたけど、この日本と世界の国境への、感覚の明らかな違いなども、
当時の日本が、侵略国家ではなかった証拠であると私は思っております。
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