土佐のくじらです。
国境線に関する話題をもう一つ。
世界地図を見ると、各国のを仕切る国境線が書いてあります。
それは大抵のところでは、山地の峰伝いや、大河がそれを兼ねているところが多いと思います。
それは、軍事境界線であり、同時にそこに暮らす人々の生活圏でもあります。
ですから国境線は通常だと、まっすぐにはなりませんね。
しかしアフリカ大陸の国々の国境線では、まっすぐなものが多いです。
またアメリカ合衆国とカナダとの国境線や、アメリカやオーストラリアの州境線は、ほぼまっすぐな形をしています。
これらはなぜかと申しますと、あらかじめ地図を広げて、サァーーーーーと、大雑把に引いたものなのですね。
これらを引いた者は、ここに最近入植した人ですね。
大きな地図を見る知識があるますからね。
そう、このまっすぐな国境線を引いた人たちこそ、これらの地域を植民地化した侵略者たちなのです。
まっすぐに引いた国境線は、現場ではほとんど無意味です。
なぜなら、当然その間には高い山があり、大きな川もあるからです。
これらは人の行き来をかなり妨げますので、山や川を越えて生活することはないからです。
ということは、まっすぐに引かれた国境線が意味するものは何かと申しますと、
「そんなものは、事実上無意味だ。」ということなのです。
つまり、占領地の大まかな線引きというのは、あらかじめにとりあえず決める、適当な振り分け程度のものであって、
実際には、その時々の軍事境界線が、我々の取り分だ・・・ということです。
現地地理の緻密な調査すら、費用がもったいないとも取れますしね。
つまり、初めからビジネス的な侵略的経済を前提としていない限り、まっすぐな国境線というものは引けないのです。
国境を定めることを、その中における自国の自由と安全の国際的担保・・・と、日本人なら自然と思い描いてしまうのですね。
それは江戸時代初期から続く、日本特有の国境概念です。
ですから、大韓帝国独立の際にも、満州国創立の際にも、緻密な生活圏に根ざした国境線を引いております。
ここには、国境内の自由と安全の担保の思想、国内の充実の思想はあっても、侵略の思想は出てこないのですね。
そして、そういう国境概念を持つ日本人は、国境からは出ないのです。
自由と安全が担保されませんし、国境から出る=悪となるからです。
つまり、ここが日本侵略国家説が間違っている大きな証拠です。
日本人は元々、侵略を発想しないのです。
昔の古い侵略的な世界世論=白人社会の当たり前とは、日本人の概念がかけ離れていたのですね。
ともあれ、この白人系侵略者たちが、全世界に勝手に引いた国境線が、いまだに禍根を残しております。
それはアフリカ大陸諸国で今も続く、部族間構想の火種になっているからです。
まっすぐな国境線だと、現場レベルでは生活圏を無視したものとなります。
生活圏を無視した国境による国家設立は、仲の悪い部族通しの国家ができたり、各国で少数部族が多数排出されることになりますね。
大抵、隣通しの国や部族というものは、世界どこに行っても仲の悪いものです。
となると、国内で内乱の火種を、アフリカ諸国は最初から持たされた結果になっているのですね。
かつての植民地時代に、侵略者である白人が勝手に引いた国境線は、
今もアフリカ諸国民に、多大なる不幸の影を引きずらせているのです。
これが、本当の侵略の歴史の禍根というものです。
彼らはこの歴史的事実をきちんと認識し、反省してアジア・アフリカ諸国民に詫びるべきです。
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