土佐のくじらです。
拙ブログの記事では、戦争の歴史を扱うことが多いので、誤解なさっている方も多いかも知れませんが、私はこれでも平和主義者のつもりです。(笑)
世界から戦争をなくしたいがために、戦争の歴史を研究しているのです。
その平和主義者(笑)である私が、最近のニュースなどで、とても気になっていることがあります。
福島第一原発の、冷却水の水漏れ事故を、ことさら大げさに報道する風潮です。
数日前に記事にもしましたが、これを前回衆院選挙で破れた、脱原発への世論誘導にマスコミが利用しているとするならば、それは大変な問題です。
これは、戦前に朝日新聞を中心としたマスコミ勢力が、アメリカへの宣戦布告を世論誘導したのと同じ結論に至るからです。
現代の日本国民の多くの方の常識では、「原子力は制御不可能技術だから、もうやめた方が良い。」と、いうイメージでしょうね。
確かに、原子力エネルギーは膨大で、事故れば手が付けられないところがあります。
しかし私は、脱原発は反対です。
原発問題は、放射線の防御技術の問題だからです。
今の技術で、放射線をさえぎることは、完全にできるからなのです。
放射能は、何か汚染物質のようにお考えの方もおおいですが、要するに「光」です。
放射能は光ですから、遮蔽(しゃへい)することができます。
分厚いコンクリートや、重い金属は通れない性格があるのです。
病院のレントゲン室は、これで放射線を遮蔽し封じています。
つまり、原発施設の外側を、もっと強固な建築物にすれば良いだけです。
原発テロや他国の攻撃も怖いので、兵器に対応できるくらいの強さが必要です。
それに原発は、発電を止めても安全ではないです。
核燃料は、もう既に国内にあるからです。
核燃料がある限り、放射能汚染の危険はあるわけですから、厳重に管理された原子炉の中で、燃え尽きるまで発電させた方が安全です。
そして、安全基準をいくら上げても無意味です。
もう既に、十分すぎるほどの、高いレベルでの基準だということは、以前の記事でご紹介した通りです。
最も危険度の高い、半減期の短い放射性ヨウ素の場合、基準値を超える水を、最も身体への影響が大きいとされる妊婦が、一体どれだけ飲めば、影響が出ると思いますか?
1tです。
1tの水なんて、普通の人は飲めないです。
妊婦がそれだけの水を飲めば、絶対に妊娠中毒症になります。
放射性ヨウ素は、半減期が1週間と短いので、1tの水を飲むのに半年かければ、もう最初の放射能は消えています。
基準値とはそういうレベルなので、いちいち気にするのは無意味です。
また、基準値を上げても安全性は変わらないので、むしろ安全性をこそ上げるべきです。
福島第一原発は、M9の地震でシステムどおり自動停止しました。
その後の事故は、自家発電用ディーゼル発電機の故障のためです。
津波で、ディーゼル発電機が壊れたのです。
しかし大事なのは、大地震でも津波でも、40年前作の原子炉自体は壊れなかったのです。
これで世界では、日本の原子力産業の信用は、実は大幅アップしたのです。
今年の春に、ベトナムとウクライナが、日本の原子力発電を購入する契約をしましたが、あの東日本題震災を耐えた日本の原子炉技術を、世界が認めたのです。
チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故は、ウランの暴走を止められない事故でしたので、その後の死の灰による放射能汚染が深刻でした。
福島の原発事故は、それらとは違い、原発ゴミによる放射能汚染です。
ですから実は、あまり深刻ではないのです。
もう少し冷却が進めば最終的には、施設ごとコンクリートなどで封印すれば終わります。
ですから、福島の教訓を生かすなら、これから造る原発は、鉄壁な放射線遮蔽対策と、水素爆発でも耐える外壁で守れば良いということです。
また、地下水で冷やせるくらいの小型のものなら、都市の地下でも裏山でも造れます。
分厚い土の中なら、放射能は絶対に漏れないし、水素爆発でもびくともしません。
原子炉は原爆と違い爆発しませんが、万一爆発しても、山を崩すほどの爆発力を人類は造れません。
原発のコストのほとんどは、保障費用です。
地下や山中に小型の施設を大量に造れば、コストも安く、地上への影響もありませんから、いざとなれば捨てれば良いです。
原発を止めるなら、せめて代わりの大規模エネルギーを、政治は創出しないと無責任です。
エネルギー問題は国家根幹問題です。
太陽光など自然再生エネルギーは、費用がかかる上に発電量が小さく、不安定な性能しか得られません。
費用は100兆円かかるというじゃないですか。
人間は、自然をコントロールできないです。
不安定な電力状況だと、製造業も情報サービスも、医療もお手上げです。
100兆円使うなら、原発の放射能は完全に封じ込めます。
その方が、現実的です。
福島では大勢の方々が、今でも避難生活を続けています。
福島第1原発は、今も事故処理中です。
しかしエネルギー問題は、国家の根幹の、超重要課題です。
一地方の問題だけではありません。
少なくとも、次世代大規模エネルギーのめどが立つまでは、止めてはいけません。
脱原発は、大人として無責任な判断です。
先の戦争の原因は、エネルギー問題でした。
「石油一滴は、血の一滴」
という合言葉の元、あの苦しい戦争は始まったのです。
今の日本は、電気文明です。
電気をいかに作るか、どう利用するかが、日本の文明の質です。
次の大規模発電の見通しが立つまでは、原発を止めてはいけません。
石油輸入の如何では、先の大戦の二の舞になりかねません。
エネルギー問題とは、そういう問題なのです。
私は心から、平和を愛しています。
ですから、資源のない日本は原発は保持すべきだし、むしろ安全性を上げて、もっと推進できるように工夫するべきだと思います。
土佐のくじらです。
さて、平安時代の末期には、地球レベルで寒冷化の兆しが見えてきます。
そして日本でも争いごと、揉めごとが増え始め、その対応の必要性から、武士が台頭してきます。
温暖な気候が続いた平安時代ですが、末期になると世界規模で寒冷化が進みます。
それまでは、多少作物を取られても、「まッいいか。」とやり過ごせたことでも、寒冷化で収穫量が収穫量が減ってくると、そう安穏とはしていられません。
どうしても、ぶつかり合いが多くなります。
そこで、自分たちの取り分や領地を、実力で護衛する動きが出てくるのは、時代的要請として致し方ないであろうと思います。
恐らく、平安初期からの鎖国政策(遣唐使の廃止)からの長期の平和ボケで、朝廷の常備軍などの警備組織の弱体化もあったのではないでしょうか?
そういう時代背景から、時の政府の治安が当てに出来なくなり、平安時代の日本国民は、自分たちの利益は自分たちで守る・・・という行動に出たのが、このころの武士の出現に、大きく関わっていたと私は推測いたします。
これが、源氏や平氏以外の武士の姿なのだと思うのですね。
でなければ、後に源平合戦をやったり、鎌倉時代に全国規模で武士による政治が現実的に起こりますが、短期間にそれだけの武士を出現させるだけの、時間的な説明ができないのです。
そして鎌倉期など、その後も武士は年貢を納めていますが、やはり武士とて、【農家】なのですね。
武力を持ち、それを駆使した農家なのです。
これが崩れるのは、後の豊臣秀吉の刀狩までであり、完全に農家が身分として定着するのは、江戸時代からです。
ですから、それまでの日本国民は、総農民・・・なのですね。
これを見落とすと、武士なら武士・・・という人たちが、古来より日本にいたような認識をしてしまいがちなのです。
何を隔そう、私がそういう眼で歴史を見ておりました(笑)。
しかし、【かつて日本国民は、全て農家であった】というキーワードに気づいてから、日本史が面白くなったのですね。
ですからこの時期は武士という身分は、完全には確立しておりません。
あくまで、自力で領地を守る者や、領地を守るために雇われた、ガードマンのような位置づけですね。
あくまで武具を身に着け、それを使う農民なのです。
そして、後の世に権力者として振舞う平氏や源氏ですが、これらは他の農家から自然発祥的に出現した武士とは、ちょっと違うのですね。
どこが違うかと言いますと、お家の成り立ちが、歴代の天皇から来ているところが違うのです。
平氏は、桓武天皇の血筋からの分家です。
源氏は、清和天皇の血筋です。
つまり、家柄が違うのですが、恐らくこれらの血筋の方々は、朝廷ゆかりの土地を警備していたのではないかと、私は推測いたします。
このころは、庶民が勝手に土地を開墾して良い時代ですから、一般庶民も自前の農地があったのですね。
またそれとは別に、朝廷の承認を得た土地というのもあり、その所有者が貴族なのです。
天皇や貴族の所有する土地を、警護する役割としての軍事組織の仕事が、天皇一族の分家としての、平氏や源氏一族の役割だったのではないでしょうか?
まぁ、言葉は悪いかも知れませんが、多くの武士が自衛団的組織とは言え、ヤ○ザや山賊的な要素が大きかったのに対し、平氏や源氏は一応、国家が認めた警察や自衛隊的な、由緒正しき組織であったとは思います。
そして、寒冷化が進み、増加する現実的ないざこざ・・・つまり、戦闘ですけど(笑)、それらを通して、地侍などの軍閥派閥を取り込むことで、平氏や源氏が年々、現実的な力・・・つまり、軍事力ですけど(笑)や、発言力を増して行ったのではないかと、私は推測している次第です。
(続く)
土佐のくじらです。
平安時代というのは、貴族文化の華やかな時代というイメージがあります。
その事実の大部分は正しくて、実際にこの時代の豊かさのイメージは、日本を超え、コロンブスの大西洋インドルートへの情熱へと結びついた可能性が高いことは、以前の記事でご紹介した通りです。
この貴族の豊かな生活を支えたものは、荘園の存在です。
荘園というのは、個人が自由開拓した大農地ですね。
奈良時代(743年)に発布された、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)の以前は、律令制と言って、土地は個人の所有物ではありませんでした。
墾田永年私財法により、豊かな大地主が日本に現れたのですね。
貴族と平民・・・と言う風に、我々は身分制で古い時代を、つい見勝ちなのですが、実は当時は、貴族とて農家なのですね。
貴族と言うのは、天皇など朝廷から官位や官職を授けられた一族のことですが、実際は農家なのです。
彼らの主な収入は農地からの収穫物ですから、実態は大農家です。
まぁ彼らが、実際に農地を耕すことはなかったでしょうけどね。(笑)
それ以外にも、朝廷とは無関係の大地主も農家ですし、実際に農地を耕す人も農家です。
つまりこの時代は、国民全てが農民だったのですね。
そして農地は自分のものですから、その警護も自分でしていたわけです。
その警護をしていた人が武士ですけど、結局武士も農民だったのですね。
武士・・・という身分が完全に確定するのは、豊臣秀吉以降なのです。
古来の日本国民は、すべからず全員農家である・・・
これが実は、日本史を読み取る上での、大切なキーワードなのですね。
当時の背景をまとめると、
朝廷ゆかりの、由緒正しき家柄の農家が【貴族】。
農地を、実際の武力でもって自衛していた農家が【武士】。
そして、それ以外の【農家】です。
貨幣経済が浸透するのは、室町幕府以降ですから、お買い物のほとんどは物々交換ですので、商業自体がこの時代にはまだ、事実上存在いたしません。
この時代の漁業、林業、手工業の専従従事者以外は皆、事実上の農家です。
縄文時代を読み解くキーワードが【栗】
弥生時代は、【米と酒】
飛鳥奈良・平安初期が、【神仏融合】
であるならば、古代からその後の日本史全般を読み解く上でのキーワードは、
【日本人全体が、実は農家だった】なのです。
これを外すと日本史は、訳のわからんものになります。(笑)
まぁ、そういった前置きでまた平安時代戻りますが、農業の大規模化だけが、この時代の豊かさの基盤ということだけではなく、当時の平均気温が、今よりも高かったことの方が、大きな要因だと私は思います。
平安時代などの古地図を見れば、今よりも随分と海岸線が手前にあります。
これは土砂の堆積を差し引いたとしても、今よりも海抜(海の高さ)自体が高かったはずですね。
これは今年の夏のように、突発的な最高気温が高いだけではなく、年間を通じて温暖であった・・・という意味の暖かさです。
でなければ、氷河を発生させないレベルでの、気候の定着には至らないからです。
今は氷河で覆われておりますが、日本が平安時代であったころのグリーンランドは、緑豊かな島でした。
ここでバイキングは、トナカイなどを放牧していたのです。
当時、今よりも二酸化炭素量が多いわけありませんから、
地球温暖化の原因は、二酸化炭素の温室効果ではないことは明らかですね。
これは、原因結果から見た、地球温暖化への正しい見解でもあります。
今、測定上の平均気温の上昇があることは事実でしょうが、それは二酸化炭素が原因ではなく、周期性などの別の要因だと私は思っております。
日本の歴史平安時代もグリーンランド同様、この地球温暖化温室効果説を否定する、貴重な歴史的事実であります。
このとても温かく、それによってたくさんの食べ物を採ることができたことが、平安時代の豊かさを支える基盤となっていたと思われるのです。
しかし、平均気温が低くなり始めました。
当然、作物の収穫量は減りはじめますね。
作物の収穫量が減り始めると、
もめごと、争いごとが増え始めますね。
故に、平安時代末期、武士が台頭し始めるわけです。
時代の流れとすれば、争いごとが増え始めると、
武力がものを言う時代に、どうしてもなる訳であります。
そして日本の時代は、武士の時代へとシフトして行くわけです。
(続く)
土佐のくじらです。
今回はいつもどおり、歴史に関する私見を述べます。
教科書で習った遣唐使は、平安時代の初期に廃止されておりますので、実は平安時代のほとんどは鎖国状態でした。
理由は、「もう、唐から学ぶものがないから。」というものです。
歴代中国は、大きくて立派な国家・・・というイメージがありますが、まぁ、政治システムや国家の建築物等は立派ではあったのでしょうが、一般市中の人々の暮らしであるとか、国全般の豊かさ、国民の文化程度の高さなど、国の文化レベルは、トータルで日本が、歴史上ずっと上に行っていたはずですね。
まぁ、飢饉や戦になれば、人肉を食う国ですからね。
雅な平安人には、野蛮国と見えても仕方ないですよね。
平安時代だけでも、紫式部や清少納言などの女流作家も既におります。
これは、宮中文化が相当発展していた明らかな証拠ですね。
そして詩歌も、天皇から一般庶民に至るまで、万葉集や古今和歌集などで、身分に関わりなく平等に扱われるなど、まさに「歌の前に平等」と言ってよいほどの平等思想が、この時代の日本には既に芽生えています。
いや、定着している・・・と表現する方が正しいでしょう。
これは、聖徳太子以降の、共に万物に神性、仏性を見出す宗教である、神道と仏教の融合型の信仰観からくるものだと思います。
「身分の差は、この世界における立場の差であって、それが人間そのものの、尊さの違いではない。」という、確固たる信仰観と平等観が、この時の日本には既にあった証拠だと思うのです。
今はまだ中国においても、また朝鮮韓国においても、そのような平等観はないと思います。
彼らはまだ、時代遅れの差別観のまま、現代を生きているように見えます。
彼らの基本は、人間差別観なのです。
つまり、身分や社会の地位、民族や男女の上下観にとらわれています。
そして、「立場の上の者は、下の者に対して、何をしても良い。」という感覚を、今だに抱いております。
それが彼らの、ゆがんだナショナリズムの根源だと、私は思っております。
つまり彼らは、人間社会に差別があることが前提なのですね。
ですから何とかして、自分が差別できる強い立場を創出しようとするわけです。
それが、中朝韓の国のあり方なのです。
まぁたとえて言うなら、犬の群れ社会ですね。
今の中朝韓は、日本の平安時代にでさえ民族レベルが追いついていないと、私は断言せざるを得ないのです。
まぁ、そういうメンドクサイ国々を隣近所に持つ日本人は、とかく国を超えてのお付き合いも、メンドクサイと感じるのも致し方ないのかもしれません。
それが日本人の、鎖国願望にスイッチを入れてしまうことが、日本の歴史を見ると、随所に現れてまいります。
日本人は、国通しのお付き合いで、ある一定までは我慢しますが、ある一定のレベルを超えると、切れたように鎖国に走る・・・
こういう法則を、歴史を眺めていると、見て取れるように私は感じます。
平安時代のほとんどが鎖国状態であったように、室町末期そして江戸時代と、実は日本の歴史のほとんどは鎖国状態なのですね。
近代においても、戦前には国際連盟を脱退しました。
これも、鎖国の一種だと思います。
このように、外国からとやかく言われ続け、メンドクサイ状況が重なると、日本ではある日突然、鎖国状態に入ってしまうのですね。
まぁ、自分たちだけだと、何事もスムーズですし、私も日本人ですからその気持ちは理解できるのですが、鎖国状態の後には、必ず国難が、しかも、か・な・り・ヤバいレベルの国難が、そのたびに訪れていることも、法則として認識していなければなりません。
平安時代 → 元寇襲来
室町末期 → ポルトガル船の種子島上陸
江戸時代 → 欧米列強との対峙
国連脱退 → 大東亜戦争
ポルトガルの種子島を国難と言うのは、ひょっとすれば日本で私だけかも知れませんが(笑)、他の国々では、キリスト教と軍隊が連動して、大航海時代のヨーロッパ諸国は、全世界に植民地を作りはじめていましたので、私は、信長や秀吉なくば、日本は危うかったと考えています。
このように、鎖国は平和でもあるし、メンドクサくもないのですが、その後には必ず、第一級の国難が来ることも知っておいてください。
今中韓を中心に、戦前のABCD包囲網作成時と似た、歴史認識における日本包囲網を構築する動きがあります。
日本はこの動きに対して、粘り強く反論し、また必要な法整備もして、彼らの浅薄な思惑を、絶対に実現させないようにしなければなりません。
決して決して、短気を起こしてはなりません。
粘り強く、具体的で効果的な国家戦略と施策を構築し、そのような浅薄な野望を、彼らに諦めさせなければなりません。
これは、真に過去を反省するという意味でも、そうしなければならないのです。
土佐のくじらです。
ここ数日、東京電力の福島第一原発で起こった、貯蔵冷却水を溜めるタンクからの水漏れ騒動が、メディアを騒がしております。
貯蔵タンクから漏れた水が、海へ流出した可能性が云々・・・と、取り出さされておりますが、この時期においては、たとえ放射能緯線レベルが高い冷却水が海へ流出したとしても、それほど大騒ぎする必要はありません。
なぜなら、問題となっている福島第一原発一号炉は、核分裂していないからです。
ウランは燃えにくいので、一度核分裂すると、核分裂が終了しても余熱が長く続きます。
ですから、長期間の冷却が必要です。
しかし原子炉を継続して冷却でき、核分裂していなければ、半減期の短い放射能物質は発生いたしません。
福島第一原発一号炉で問題であったのは、冷却経路システムができる以前の、放射性ヨウ素が発生していた時だけなのです。
冷却できず余熱が多大な時には、多量の放射性ヨウ素が発生いたしますが、冷却できれば、半減期の長いものに移行してまいります。
放射性ヨウ素は、半減期が約1週間と短く、すぐに消えて、放射能を発生しない別の物質になります。
ですから今、現場でどれだけ放射能が検出されようが、それらは半減期の長い、セシウムやストロンチウムなどのはずです。
半減期の短い放射性物質が、なぜ怖いかと言いますと、要するに勢いが強いわけです。
放射能とは、放射線を発生させる物質とお考えになればよろしいいです。
放射線とは、要するに、眼には見えない光です。
物質から飛び出した光の粒が、放射線です。
光も、たとえば、紫外線などを多量に浴びると、日焼けや火傷になりますね。
放射線は、とても波長の短い光ですから、可視光線や紫外線より、物資を通過しやすいのですね。
半減期の短い放射線は、この光が飛び出す勢いが強いので、生態に与える影響が大きいのです。
たとえば、パチンコ玉を放射線にたとえるとするならば、これを銃に詰めて発射すると、殺傷能力が発生するでしょうね。
これが、放射性ヨウ素などの、半減期の短い放射性物質です。
でもパチンコ玉を、手でポイっと投げたくらいでは、身体はビクともしませんよね。
これが、半減期に長いセシウムや、ストロンチウムなどの物質とお考えになればよろしいです。
今の福島第一原発の冷却水は、こういった、半減期の長いものしか存在しないはずです。
まぁ、パチンコ玉とて、ダンプカーいっぱいの量であれば、下敷きになって大事になるかも知れませんが。
ですから、たとえば、セシウムを基準値超えした肉で、人体に影響があると思われるくらいを摂取しようとすれば、大体一日1Kgの肉を、3食5年間食べ続けなければならない・・・という計算になりますね。
これでは、放射線障害になる前に、別の病気に罹ってしまいます。(笑)
また、セシウムは水に良く解けるので、農作物や海産物に吸収されやすいのですが、尿からの排泄もされやすいので、摂取しても、人体にそれほどの影響はないのです。
またこれも、半減期の長いストロンチウムですが、今から2~40年前の、北海道の土壌のストロンチウムは、原発事故直後の、福島での数値の1万倍以上ありました。
ストロンチウムは比重が軽いので、遠くの原子力関係の影響も受けます。
気流の関係で日本では、北海道が最もストロンチウムの汚染状況がひどかったのです。
この時期は、世界中で地上核実験を行っておりました。
ですから当時は、現代の原発事故直後より、土壌ははるかに放射能汚染されておりました。
しかし幼少時より、雪印の乳製品をバカスカと食べ(笑)、サッポロビールを水代わりに飲み干す青春時代を送った私は、今でもいたって健康体でございます(爆笑)。
このように、半減期の長い放射性物質は、生態にはほとんど影響はございません。
齢48歳の私が、生き証人でございます。(笑)
今回の福島での水漏れは、適切な後処理がなされれば、何の問題もありません。
ですからいたずらに、話題づくりに熱心なマスコミの風潮に惑わされることなく、また、福島の農作物や海産物を怖がることなく、皆様が安らかに日々をお過ごしなさることを、私は心より願っております。