■ 孤独と行政
祖母は孤独だ。娘とは自らの意思で何年も口を利かない。実の妹には嫌われている。
親しくしていた近縁者は愛想を付かして寄り付いてくれない。
私や妹の孫がかろうじて数年に一回たずねてくる。
もしその人がさみしいと感じれば、そうした孤独、は喜ばしいとはいえない状況だろう。
でも誰が作った孤独かと言えばそれはその人が作ったものなのだが、現実問題として
その孤独はさしあたりどうにかしなくてはならず・・・・
そして、この日本ではそれはなんと行政のお仕事なのだ!!!なんという心温かな行政なのだろう・・・もう本当に頭が下がる・・・。
■ 恐怖と同情
祖母のことを考えると、胃が痛くなる気がする。それはやっぱり、人間同士のよしみ、というヤツで孤独に対する同情だ。
私が祖母に感じる恐怖は、その辺に住んでいた浮浪者のおじさんのブルーハウスがなくなった時の恐怖と同じだ。
多分おじさんは亡くなったのだろう。ある日キレイさっぱり整地されて、駐車場になっていた。無事天国へいけたのだろうか?
上出来の死、というのは、周囲がその人の死を惜しんでくれる死ではないだろうか。
生まれてくるときには自分はなき、自分以外のみんなが笑い、死ぬときには自分は笑い、自分以外のみんなが泣いている、と英語では良く言う。
弟の死には300人の人が集まった。大きなお葬式だった。だから弟は唐突とは言え、惜しまれて死に幸せだったと思う。
ところが私が知っているアルツハイマーのメイおばあちゃんは、私が出た後数年で亡くなったが、娘と暮らしていたにも関わらず自分の家ではないと周囲をうらみ、スリッパを投げたり、壁を叩いたり、逃げようとしたり、と当り散らすのが日課で大変な介護生活だった。
メイは他人の目には幸せな人だが、本人は幸せではなかった。メイの死ではほっとした人の方が多かった。死んで周囲がほっとする死は幸せな死とはいえない。
メイは覚醒する時があり、いつもそういう時は、死にたいと言って泣いた。私はそのたびに抱きしめてあげるのだけれども、それ以上はどうしようもない。
祖母にはメイにとっての私のような人はいないのかもしれない。 それが私の根源的な恐怖になっている。
■ 楽を共にしないと苦も共にする気になれないという人情
この恐怖はなぜだろう?と考えると、やはり、それは儒教で植えつけられた家族観と人間的な同情がまざりあったものになっていると思う。
肉親の情、というけれど・・・ソレって何?
私は父親はほとんど知らずに育った。特に父親がいなくて困ったことはなく、問題とは思えない。
弟の葬式の後、父から電話がかかってきた。「いや~俺ももう老年にさしかかってさー」だって・・・(汗)
どうも向こうだって、肉親の情がどうやって湧くものか分かっていないらしい。
この人は弟の葬式に泥酔して出てきた・・・むしろこの行動が問題だ。これで情が湧け!というほうがムリってものだ。
じゃあ、情というのは何で湧くのか?それは、やはり楽しいひと時を一緒に過ごすことではないか?と思う。
人生の苦楽を共にするというが、楽を共にしないと苦も共にする気になれない、というのが平均的な人ではないだろうか?
そもそもあったことがない人になんらかの感情を抱け、ということがムリなわけだし、同じ印象をもたれるなら好印象を与えるしかない。
祖母の場合、ソレが困ったことなのだ。祖母が楽と感じる人、一緒にいたいと感じ、一緒にいてうれしいと感じる相手は、いつだって相手自身はその正反対に感じているのである・・・平たく言うと片思いってワケ。
そういう片思いの人は、義務を強調する。つまり家族なんだから会いにこなきゃいけない、などと発言する。
悲しきかな、義務感を協調すること自体が、絆のなさを自覚していることなのだ。
絆があれば、義務はいらない。
最後にすがりつくところ、それは社会的な義務感への訴え。だから、人は逆に反発するわけだ。義務を果たさないと痛い目(非難)にあわせるぞ!というわけで、結局は責任の擦り付け合いになる。
つまり、文字通りババ抜きみたいなことだ。
■ 遠くにいる家族
アメリカでも日本でも、家族が遠く拡散しているという事実は同じだ。
アメリカでは遠くにいる家族、というのは”自慢の種”であって、疎遠や孤独、をあまり意味しない。
家族が西海岸と東海岸にいる、というのは自宅が二つある、みたいなことを意味する。
つまり、いつでも西海岸に行きたくなったら行けちゃうし、ということで”自由が広がった”という意味になる。
日本では、必ず一方が取り残された気分でいる。取り残されたほうは大概実家と呼ばれる。
で実際実家が出て行った側についていくか?というと、ついて行くのは嫌だ、という話になっている。
つまり、片思いの側が一方的に相手を非難している。 会いたいと思っている側が会いに行かない。
来てくれない、と言っていると言う構図。
同じ、(遠くにいる家族)という事実に対して、(受け取り方=主観)の差でこれほど開きがあるもの、なのだ。
というワケで家族が遠くに住んでいることはそれ自体は本質的には問題ではない。
過疎地という、一般的に好まれない場所であったりや、本人が好ましい人物でない、ということのほうが本質的に問題なのだ。
主観を変えるほうが重要だ。
なぜこんなに疎まれる存在になったのか?愛される存在にはなれないのか?
愛されるためには何をすればいいのか?そんな思想はない…そこが本当に不思議だ。
世界中で、こんなに幸せな国はない、と本当に思う。ところが感謝というのはあまり
聞かれない。
どんなに心やさしい人(行政)でもそこまで感謝されずに愛情を注ぎ続けるのは、ムリ、というのが今日本で起きていることの現実ではないのだろうか・・・?
なぜそこまで感謝ができないのか?そう思うとやはり、自分は常に弱者である、という、やってもらって当然感、というのが根本にあると思う。
なぜそうなのかは分からないが・・・当然と思うかぎり、不平しかない、ということは分かる・・・
そうやって旅立つ命は人間らしい死を迎えられるのだろうか・・・?
祖母は孤独だ。娘とは自らの意思で何年も口を利かない。実の妹には嫌われている。
親しくしていた近縁者は愛想を付かして寄り付いてくれない。
私や妹の孫がかろうじて数年に一回たずねてくる。
もしその人がさみしいと感じれば、そうした孤独、は喜ばしいとはいえない状況だろう。
でも誰が作った孤独かと言えばそれはその人が作ったものなのだが、現実問題として
その孤独はさしあたりどうにかしなくてはならず・・・・
そして、この日本ではそれはなんと行政のお仕事なのだ!!!なんという心温かな行政なのだろう・・・もう本当に頭が下がる・・・。
■ 恐怖と同情
祖母のことを考えると、胃が痛くなる気がする。それはやっぱり、人間同士のよしみ、というヤツで孤独に対する同情だ。
私が祖母に感じる恐怖は、その辺に住んでいた浮浪者のおじさんのブルーハウスがなくなった時の恐怖と同じだ。
多分おじさんは亡くなったのだろう。ある日キレイさっぱり整地されて、駐車場になっていた。無事天国へいけたのだろうか?
上出来の死、というのは、周囲がその人の死を惜しんでくれる死ではないだろうか。
生まれてくるときには自分はなき、自分以外のみんなが笑い、死ぬときには自分は笑い、自分以外のみんなが泣いている、と英語では良く言う。
弟の死には300人の人が集まった。大きなお葬式だった。だから弟は唐突とは言え、惜しまれて死に幸せだったと思う。
ところが私が知っているアルツハイマーのメイおばあちゃんは、私が出た後数年で亡くなったが、娘と暮らしていたにも関わらず自分の家ではないと周囲をうらみ、スリッパを投げたり、壁を叩いたり、逃げようとしたり、と当り散らすのが日課で大変な介護生活だった。
メイは他人の目には幸せな人だが、本人は幸せではなかった。メイの死ではほっとした人の方が多かった。死んで周囲がほっとする死は幸せな死とはいえない。
メイは覚醒する時があり、いつもそういう時は、死にたいと言って泣いた。私はそのたびに抱きしめてあげるのだけれども、それ以上はどうしようもない。
祖母にはメイにとっての私のような人はいないのかもしれない。 それが私の根源的な恐怖になっている。
■ 楽を共にしないと苦も共にする気になれないという人情
この恐怖はなぜだろう?と考えると、やはり、それは儒教で植えつけられた家族観と人間的な同情がまざりあったものになっていると思う。
肉親の情、というけれど・・・ソレって何?
私は父親はほとんど知らずに育った。特に父親がいなくて困ったことはなく、問題とは思えない。
弟の葬式の後、父から電話がかかってきた。「いや~俺ももう老年にさしかかってさー」だって・・・(汗)
どうも向こうだって、肉親の情がどうやって湧くものか分かっていないらしい。
この人は弟の葬式に泥酔して出てきた・・・むしろこの行動が問題だ。これで情が湧け!というほうがムリってものだ。
じゃあ、情というのは何で湧くのか?それは、やはり楽しいひと時を一緒に過ごすことではないか?と思う。
人生の苦楽を共にするというが、楽を共にしないと苦も共にする気になれない、というのが平均的な人ではないだろうか?
そもそもあったことがない人になんらかの感情を抱け、ということがムリなわけだし、同じ印象をもたれるなら好印象を与えるしかない。
祖母の場合、ソレが困ったことなのだ。祖母が楽と感じる人、一緒にいたいと感じ、一緒にいてうれしいと感じる相手は、いつだって相手自身はその正反対に感じているのである・・・平たく言うと片思いってワケ。
そういう片思いの人は、義務を強調する。つまり家族なんだから会いにこなきゃいけない、などと発言する。
悲しきかな、義務感を協調すること自体が、絆のなさを自覚していることなのだ。
絆があれば、義務はいらない。
最後にすがりつくところ、それは社会的な義務感への訴え。だから、人は逆に反発するわけだ。義務を果たさないと痛い目(非難)にあわせるぞ!というわけで、結局は責任の擦り付け合いになる。
つまり、文字通りババ抜きみたいなことだ。
■ 遠くにいる家族
アメリカでも日本でも、家族が遠く拡散しているという事実は同じだ。
アメリカでは遠くにいる家族、というのは”自慢の種”であって、疎遠や孤独、をあまり意味しない。
家族が西海岸と東海岸にいる、というのは自宅が二つある、みたいなことを意味する。
つまり、いつでも西海岸に行きたくなったら行けちゃうし、ということで”自由が広がった”という意味になる。
日本では、必ず一方が取り残された気分でいる。取り残されたほうは大概実家と呼ばれる。
で実際実家が出て行った側についていくか?というと、ついて行くのは嫌だ、という話になっている。
つまり、片思いの側が一方的に相手を非難している。 会いたいと思っている側が会いに行かない。
来てくれない、と言っていると言う構図。
同じ、(遠くにいる家族)という事実に対して、(受け取り方=主観)の差でこれほど開きがあるもの、なのだ。
というワケで家族が遠くに住んでいることはそれ自体は本質的には問題ではない。
過疎地という、一般的に好まれない場所であったりや、本人が好ましい人物でない、ということのほうが本質的に問題なのだ。
主観を変えるほうが重要だ。
なぜこんなに疎まれる存在になったのか?愛される存在にはなれないのか?
愛されるためには何をすればいいのか?そんな思想はない…そこが本当に不思議だ。
世界中で、こんなに幸せな国はない、と本当に思う。ところが感謝というのはあまり
聞かれない。
どんなに心やさしい人(行政)でもそこまで感謝されずに愛情を注ぎ続けるのは、ムリ、というのが今日本で起きていることの現実ではないのだろうか・・・?
なぜそこまで感謝ができないのか?そう思うとやはり、自分は常に弱者である、という、やってもらって当然感、というのが根本にあると思う。
なぜそうなのかは分からないが・・・当然と思うかぎり、不平しかない、ということは分かる・・・
そうやって旅立つ命は人間らしい死を迎えられるのだろうか・・・?
いなくなってホッされる人のあり方で悲しいのは、その人が心から切望したもの、それが愛だったに…ということです・・・。
悲しすぎる構図。 そして残るのは、憔悴しきった家族。
戦争世代は人を構っていたら自分が死ぬ、と人の不幸を見てみぬ振りして生き抜いたという過去があるせいで、助け合い、というのは実はあまりしない世代なのかもしれないと気がつきました。意外ですが…。戦争体験、がやってもらって当然の言い訳みたいです。
確かに戦争があって気の毒でしたが…そんな大変な時代に生き残れた幸運については思いがおよばぬ様子でした。祖母は。
なのに、病院に行くのもサボリ勝ち
言い訳は、タクシー代が高い。だそうです…
タクシーに乗るときは、「病院代はタダなのにタクシー代は高い」と言うのだそうです。
するとタクシーの運ちゃんは2000円を1000円に負けてくれるそう・・・
「ダメよ、おばあちゃん、タクシーの運転手さんにも生活があるんだよ」
「いやよかとたい。あの人たちは儲けとらすけん。おばあちゅんたちのときは戦争でもっと大変だったとだけん」
「…」(絶句。運転手さん、ごめんなさい…)
この会話が、老人世代→若い世代 の搾取の構造を凝縮しているような気がします。
ありがたいと思っていないこと、明白。
違う人もいると思いますが、祖母の話を聞くと病院にワラワラと集まる人たちのメインストリームの考えはこのようなもののようです。
結婚して、日本に帰国するために、睡眠時間を削って実を粉にして働いて旅費を貯めている妹夫婦が可哀想でなりません…
祖母に会うためどんな苦労が必要かも一瞬も理解せず…会いにきて当然どころか、もっと会いにこないのが不服 &会いに行けば愚痴だらけ。
これも実際に現社会で起きていることを縮図化しているような気がします。
今の時代、”弱者”とは老人ではなく、若者です…
ご友人も入りますよね…(ため息)
ヨガ用語は自分用の備忘録なので軽~く読み流してくださいね。ヨガはほんとサンスクリット語が大変・・・頭こんがらがってます。
バレエに役立ちそうなのは時々バレエと比較して書いています。
バレエはやっぱり体を偏って使うのでたまには足を内旋してあげてくださいね~ 内回りができないと外旋もできないんですよ~!