この間、TVを見ていたら、85歳になる料理研究科の辰巳芳子さんが
カンカンに起こっている姿で、ビックリしました。
何をそんなに怒っているのか?
辰巳さんの料理教室は、何年も待たないと入れない狭き門・・・その門をくぐった
生徒達が「だしを引かない」と言って怒っているのです。
■ 忙しいのではなく、忙しすぎる
まず思ったのは、”怒りではどうにもならない”でした。当の生徒さんたちも、
したくなくてやっていないわけではないのです、多分。 そういう”手塩にかけた
生き方”が許されない時代なんですよね。今という時代は・・・。
忙しすぎるのです。お料理教室の生徒さんはまだ志の高いほうなのです。
このことがあったので今日は辰巳芳子さんの本を借りてきました・・・
辰巳芳子さんの本はどちらかというと、最近の料理本とはまったく違います。
私は以前に読んでみて、少し古いな、という気がしたのでした。
<辰巳芳子さんの本>
・文章がメイン
・写真が少ない
・手間がかかる → 正統派
<最近の料理の本>
・美しい写真で読者を魅了して、作りたい!という気にさせる
・写真がページの7割を占める
・手間を省いておいしく → 小技
・カリスマ料理研究家
私だけでなく、おそらくほとんどの人がそうだと思うのですが・・・ご飯に味噌汁、
煮物、玉子焼き、焼き魚・・・そうしたものはわざわざ料理本を見て作るというよりは、
既に身についているものに、”別の技を足す”ということになるので本を買ってきて
まで”勉強する”必要がないのですよね。
なので、辰巳さんの本のようなものはどうしても後回しになりがちになります。
そして、最近のこの”世知辛い”世相は料理本にも現れていて、ほとんどの料理の本が、
・料理ってほらこんなにカンタン!
・これだけ手間を省いてもおいしい!
の2点を訴えるものなのです・・・・”手間をかけたらおいしくて当たり前”なので(汗)。
つまり勝負どころが全然違うのですね。
■ 辰巳さんへ 言い訳(笑)
今日は、借りた本は味噌の本でした。
「良い味噌を買い求めましょう。味噌は少なくとも3種類揃えましょう。
ダシは毎日面倒がらずに引きましょう。家族それぞれ食事の時間が違っても
煮えばなではなく、できたての味噌汁を飲めるよう、工夫しましょう。
具は季節の具。大根の千六本と油揚げの取り合わせは誰にでも好かれるものです
吸い口はタダの薬味ではありません。栄養のバランスをも完結させる大事な要素です」
おいしさのためには当然のことが書いてあります。けれども、例えば、毎日かつおぶしを
削って出しを引くのは、出しがらの処分からも合理的でなくなってしまいました。
昔の食卓ではご飯そのものをたくさん食べることが目的で、おかずはそのために
ありました。お米を食べるのが目的ですから、出し殻も、ふりかけにしてしまえば
十分消費できたのですが、今ではお米そのものを食べる量が減っているので
ぜんぜん消費できません。今はお米を軽めに、おかずから栄養を取る。おかずが
豊かになったので、お米をたくさん食べなくても良くなったんですよね。
そういうわけで、出しを毎回引くのは日本の生活スタイルに合わなくなって
しまいました。 朝は洋食、昼は会社、晩御飯だけは死守している、という
生活がメインだと汁ものの出番はどうやっても一日一回・・・そこで毎回ゴミを
出すくらいなら、顆粒の本だしでも、お味噌汁を飲むだけマシというものです。
汁は吸い物と味噌汁がありますから、味噌汁は毎日ではなくなります。
温めなおせる汁と違い、味噌汁は出来立てが良い、けれども、一人分の味噌汁というのは
作れない。となると、インスタントの味噌汁であっても飲もうという人はかなりましな人です。
・・・とまぁ味噌ひとつとっても、こうした事情があるため・・・味噌を3種類常備し、季節の野菜
の具にあわせて味噌の配合を変えるような、昔風の食のライフスタイルを維持するのは
難しくなっているのです・・・。
■ 進化すること
では、昔に戻ればいいかというとそうではないはず。今忙しくて昼はパンしか食べれない
OLさんも、そういう時期にいるだけで、もう少しまともな食の時代に回帰すると
思います。一生そのままじゃないですよね。
ちなみに私は、お味噌を仕込んだこともあるし、パンも酵母から起こして作ったし、
ぬかみそや豆腐づくりも挑戦済み、甘酒は麹をかってきてから、という
かなり手作り派です。でもやっぱり昔の生活には戻れない。そういう手間がかかる
手仕事は、日常ではなく、イベントです(笑)
ダシは私はここ数年ずっと、【こんぶの水出し】です。 15センチくらいに切った
利尻昆布に水をいれ、冷蔵庫で一晩置くだけ。これで澄んだおいしいダシが取れます。
妥協といえば、言葉は悪いですが、現代生活の忙しい中でも成立する、
新しい日本人らしい食を模索しないといけないのだなぁと思います。
今ある世界にマッチする暮らしを作らないと・・・。
実は和食ってけっこう加熱時間が短いので西洋の煮込み料理を作るくらいなら
インスタントな生活にマッチします。味噌汁なんて、だし汁さえあれば、3分で
できますし。 向こうはオーブン料理で1時間煮込むなどなのでガス代も馬鹿になりませんし、全然エコではありません。肉メインですから。
というワケで、省ける手間は省こう!ということになるのですが、省いてはいけない
手間まで省くと不味くなるので、そのバランスや兼ね合いが、各カリスマ料理人さんの腕の
見せ所ってことになっているのです。
今は手間を省かない料理は、レストランで食べるものになってしまいました。ダシを引かないのは、プロの料理人なら許せません(笑)
■ 断絶
辰巳芳子さんは85歳です。ウチのおばあちゃんは86歳になりました。祖母は
辰巳さんと同じ年代なのに、料理はぜんぜんダメ。味噌汁はぜんぜん顆粒だしです(^^;)
ついでに白いお砂糖をどぼん、といれていて、孫のわたしでさえ、その大胆な行動に
度肝を抜かれました・・・(汗)
何を言いたいのかというと、伝統を守る最後の世代であるかもしれない一方では
この世代は、実は今の時代のあり方を敷設した人たちであったのではないかと
思うことです。 添加物一杯の食べ物も、最初に導入したのはおそらく・・・
この時代の人は激動の時代を生き抜きました。そもそも食糧難だったので、
口に入りさえすれば、選り好みはできなかったという事情がそうさせたのでしょうが
食を含む、日本らしい暮らしの伝統の”断絶”がスタートしたのは、この世代からでは
ないかと思います・・・母と祖母は確実に断絶しています。
そういう意味では、今の人の「手間をかけれない」という事情に責任の一端がどこに
あるかというと、やはり今の時代を作り上げた人たち、という面はあるのかも
しれません。
私は小学生の頃、漬物の添加物の害を学び、スーパーでは漬物を買いません・・・
練り製品もできれば買いません。買うなら、作り立てを売っている店で買います。
添加物一杯の漬物を食べるくらいなら食べない。仕方ないですよね。
もうすっかり大人になって、体制側と目されるようになってしまっても、気がつけば
こういう世界に生きていかざるを得ない、というのが私達の実情です。
そのなかで、やっぱり・・・こんな世界に誰がした、という責めはどちらかというと
”もっと大人”、上の世代にあるような気がしてならないのです・・・・正直なところ・・・
ごめんなさい・・・。
追記:埋まらない世代間の価値観の差
全く現代人=私です。何の迷いもなく流れに生きております。
私の母は凄く料理が好きで凄く上手でした。
いつも料理は手をかければかけるほど美味しくなるんだからと。だからちょっと手をかけてごらんと。
でも手をかけるどころかいかに安くいかに早く(手抜き)作るかが私なんです。
でも母をずっと見てきましたから子育ての時は出来合いのものやインスタントなどはほとんど使わず殆ど手作りのものをしてきたと思っています。
でも今はレトルトでも栄養を考えてあるというから私の料理よりはいいんだと思えてきます。
我が家の娘は学校で栄養教諭をしていて子供たちには考えてやってると思います。
私と違って手早いし、ただ仕事で頑張って我が家で手抜きとならないかと少し心配しておりますが…。
確かに辰巳さんの説はわかりますが、やるとなると自信ありません。
考えさせられました。
とっても難しい時代ですよね。
私もお勤めしながら家事をしていたときの名残で家事をする=戦闘モード。猛烈なスピードで掃除して、猛烈なスピードで料理しています(^^;)
丁寧に暮らす、辰巳さんのような暮らしはあこがれです…でもそのためには時間的な豊かさが今の社会には足りなさ過ぎる…私は今のところヨガを教えているだけなので専業主婦に限りに無く近いですがやっぱり忙しいです(><)
でもたまに少しでいいから、子供達のために作ったように自分にも作ってあげてみてくださいね!モノは試し!
「わが子を愛するように自分を愛す」してみると栄養がもっと行き渡るような気がします。
たしか「薄い紙を1枚1枚重ねるように」とかいう表現があったと思います。
伝統とは過去のものではなく、これからも連続し受け継がれていくものだと思います。
私は建築業に携わっておりますが、辰巳さんの思想は常に心のどこかで引っかかります。
以前、「ファーストフードばかり食べる子供は切れやすい」という論評が盛んになったことがありました。
私はバカバカしいと思っていましたが、ある料理番組でそのことが取り上げられました。
その講師は「ありえます。」と断言します。栄養分がどうとかではなくて、ファーストフードでよしとする親や環境にこそ原因があるのだといわれていました。
肝心なのは、テクニックではなくて気持ちでいいのではないでしょうか?
心は所作に表れ、それが雰囲気を作ります。みんな言葉にならなくてもきっと伝わっていますよ。
とりとめのない長文でご迷惑をおかけしました。
カンタンに言うと食事が、”エサ化”したんでしょうね。そうではなく”食事”でなくてはいけない。食事には栄養だけでなく、食べるときの環境や心持ちもあるのだと思います。食べなきゃいけないからと食べるのではなく、”おいしいなおいしいな”と食べる。
多分ファーストフードも”ああ~めんどーマクドナルドでいいかー”と思って食べないで、”すごく食べたい!”と思ってたべるとキチンと消化されてカラダに悪いことはないのかもしれません。
ヨガでは心の無駄、という考え方があるのですが、それは、忙しくやる、興味がないことをやる、価値を認めていないことをやる、慣れていることをやる、と心が無駄に使われた、と考えるのだそうです。食事も似ているかもしれませんね。 大急ぎで食べる、おいしいと思わず食べる、何かをやりながら食べる、いつも食べているから食べる…。カラダは正直なのでそうやって食べたものは、消化しきれないのかもしれません。
辰巳さんの料理についての教えはまだしっかりと学んだわけではないのですが、直感的には「正統派」として尊重する価値があると思えます。
いっぽうで、それを省力化した方法もあるような気がします。
いわばカステムメイドではなくてイージーオーダーのような方法です。
自分の過去の経験から、人間はホンモノに出会うと過去にホンモノを経験していなくてもそれをホンモノだと認識できるちからが備わっていると思っています。
食事にしてもしかりで、世の中、添加物をはじめとして信用がならない既成の食品がまかり通るようになりましたが、ていねいに作られた安心できる食べ物を直感的に選ぶちからが備わっているということを、子どもたちとつき合っているうちに確信するようになりました。
時代が変わって、いまは清濁をバランスよくあわせ飲む心構えが精神衛生上よいと思います。
食事作りでは、正統派の考え方に則りながらも省力化できるところは省力化して、ときにはジャンクな食べ物にも片目をつぶるという気持ちです。
辰巳さんについて、ごまめの歯ぎしりとはわかっていながらもお願いしたいことは、たまには天上から地に降りて、迷える多くのひとたちにその正統派の料理方法を「敷居を低くして」薫陶していただく機会をぜひたくさんもっていただきたいのです。
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たまには天上から地に降りて、迷える多くのひとたちにその正統派の料理方法を「敷居を低くして」薫陶していただく機会をぜひたくさんもっていただきたい
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のくだり共感しました。
というのも、どちらをも分かっている人しか
天から降りてくることはできないと思うからです。
(よく会社で上司が俺の立場を分かれ、と部下に期待しますが上司が部下に甘えてどうするのか…上司の立場は上司になったからこそ分かるものでステップが上に行くと言うことは視野が広がるということだと思うのです。広がれる立場にない人に怒っても…)
同じことで辰巳さんの怒りは、”出しを引く””手間をかける””ホンモノ”の価値を味わったことも想像も出来ないし、またその手段さえ持たない人に向かって、「なんでやれないの!」と行っているような気もします。
「今ある問題を解決するには、今あるものが無用になるような新しいモデルが必要だ」R.バックミンスター・フラーという人の言葉だそうです。
きっと おっしゃるように清濁を合わせた何か伝統的で正統派でありながら、現代の生活にもマッチした、そういうものがある…それをみんなで見つけていくのが、言葉を大げさですが人類の進化の歴史ってことかなーと思います。
とてもわかりやすい文章で、共感しました。
辰巳氏のいる世界は、お金もあって、地位もあってという いわば、上流の位置なのであって、今、精一杯生きてる庶民の世界はご存じないのでしょう。
習いにいく人も、彼女と同じ世界の人。
インスタントのコンソメでもそこらへんの野菜でも心と体にしみるスープは作れることを私は知ってますが、彼女はそういう世界をわかることはできないでしょう。
辰巳氏を持ち上げる人たちにはうんざりですが、こちらのように、健全に考えることのできる人がいてホッとしました。
今日はTVで国産の米作りが海外と比べると8倍のコストを掛けているらしくて、やり方を変えない、ということの傲慢さと言うか、頑なさを感じました。
本質的なもの、心などは大事にやり方は柔軟に、なのかなぁ・・・
そういう母親の背中を見ながら育ち母親と同じ料理研究の道に進んだ辰巳さん、私はこの方のTVも書籍も見てないので深夜便での発言でのみ感じたのですが皆さんのコメントと本人の発言には大分ギャップが有りそうです。
言葉のはしはしに普段の会話にそぐわない話し方がされるのが気に成りましたが山の手育ちなのでしょう!父親が大成建設の常務といえば大倉土木、昔の財閥ですね。これではお嬢様ですよね。そんな方が自ら手料理され料理の神髄を追求されている訳ですのでコメントされた皆さんは逆に負けては居られません!自分のレシピを掘り起こしてみて下さい。