読了 『死なないカラダ、死なない心』

2012-10-21 22:06:19 | 読書ログ
■読了 『死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる』

死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる (講談社BIZ)

この本は日本人でハタヨガを極めた人が書いているので、とても参考になりました。

インド哲学…が現代人をひきつけるのは、それが”体験知”をベースにするからですね。

実体験として”知っていること”。例えば、前世を見たことが無ければ信じるのは難しいですが、見たことがあれば、信じることが出来ます。

ヨガにおける解脱は、カルマから抜け、輪廻転生を繰り反えなさいことなので、生きている間にはありえない、という部分がなるほどと思いました。解脱を目差すヨガ行者としてのヨガはあくまで来世に生まれないためですね。

この本で一番参考になったのはプラーナの説明です。プラーナは一般的には気と訳されていますが、気だと意味が小さすぎる。気というより、エネルギーそのもの、生命力そのものだそうです。

宇宙もプラーナだし、気もプラーナだし、物質の分子もプラーナ… 

ヨガで体とプラーナを自在にコントロールできるようになれば、空中浮遊とか心臓を止めるとかできるのだそうです。鼓動や基礎代謝もコントロールできるならば…仮死状態にも入れるわけで、それで長寿が可能になるとか…

でも仮死状態で長寿に入っても…その間生きていることの楽しみはないわけで、長寿のためのヨガというのはなんとなく意味が無いような気がしたのですが…(汗)

■ 観察眼

ヨガをやっていて思うのは、ヨガというのは体の観察眼を養うこと、という点です。体の感覚、快不快、力がどこに入ったか、筋肉の使い方などに敏感になる。

繊細な観察眼を肉体について向けます。

論理思考と言うのは、そういう観察眼を思考に向けますよね。

で、最近自然栽培の勉強会に出て思ったのですが、農業はそれを畑に向ける。

山では安全に帰ると言うことに対して向けます。

繊細な観察眼を
 体に向ける → ヨガ
 思考に向ける → 論理思考
 心に向ける  → 心理学・瞑想
 畑に向ける → 自然栽培
 安全に向ける → 登山

というわけで、どれも細かな観察眼を利用するのは変わりないのですね。

そういう意味では、鈍感な人よりも、繊細で神経質な人のほうが観察眼的にはすぐれていますね。

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