金岡ドクターが載せていた
朝日新聞の記事。
転載を転載します。
小沢さんと小泉さん。
私たちもホントo(゚Д゚)お世話になりました。
水連トレーナーの記事を転載します。
競泳トレーナー陣 身体と心、信頼がほぐす
(2012/01/09 朝日新聞 朝刊)
昨夏の水泳世界選手権。200メートル平泳ぎを2位で終え、サブプールに戻った北島康介(29)=日本コカ・コーラ=が、スタッフに向かって大きく頭を下げた。
「申し訳ない」
4日前の100メートル平泳ぎは4位だった。股関節の動きが悪いのを見て、同行していた国立スメ[ツ科学センターの小泉圭介(40)は普段なら大会中では避ける強度の高い陸上トレーニングで尻の筋肉を刺激するよう提案した。
2000年から北島のマッサージをしているトレーナーの小沢邦彦(42)「自分の力を発揮すればいいだけ」と声をかけ、関節周りの筋肉をほぐして疲れを取り除いた。
そうやって本来に近い泳ぎを取り戻した北島だが、優勝には届かず。だからこその、「申し訳ない」だった。 「その言葉で、またがんばろうと思えた」。小沢は言う。
小沢が競泳の海外遠征に同行するようになった1999年当時、マッサージはマネジャーやコーチが担当していた。当時ヘッドコーチだった上野広治・日本水連競泳委員長は「数に限りがある五輪のIDカードをトレーナーに割り振ってプールサイドに入れることには、議論もあった」と話す。
小沢には元競泳選手として五輪を目指した経験があった。選手の愚痴を受け止めつつ、わずかな変化を見逃さずコーチ陣に伝える。北島ら選手の信頼を得て、コーチと選手の間を橋渡しした。今や競泳日本代表に欠かせない存在だ。
08年北京五輪では、日本水連はトレーナーの態勢を増強し、小沢のほか、はりの専門家、トレーニングを補助するトレーナー、理学療法士ら計6人を帯同させた。プールサイドに3人、会場外に3人を置き、分業体制を確立させた。他国や他競技に先駆けた取り組みで、選手は自らの状態に応じてトレーナーを選べるようになった。上野委員長は「トレーナーはもはや、疲れを取るだけの役割にとどまらない」と言う。
北京後、小泉とともに体のバランスの矯正に取り組んだ北島が10年のパンパシフィック選手権で好成績を挙げると、松田丈志(27)=コスモス薬品=や入江陵介(21)=イトマンSS=も小泉のメニューを取り入れた。
10年の競泳W杯直前に腰に痛みが出た松田は、小沢の元に飛び込んで2時間マッサージを受けたところ違和感が消え、大会で日本新をマークした。松田は「この分野は日本が世界一」とトレーナー陣に全幅の信頼を置く。
小沢は「自分がスーパーマンになる必要はない。複数のトレーナーが連携して選手を見ないと勝てない」、小泉は「小沢さんは癒やし系。自分は動かせ、動かせと対極の立場。いろいろな人間がいてチームはうまくいく」と話す。
小沢の携帯電話の待ち受け画面は、アテネ五輪の金メダルを北島に首にかけてもらい、2人で並んで撮った写真だ。「信頼の証し」こそが、宝物だ。(阿久津篤史)
2010年PANPACのときの小泉さん。
朝日新聞の記事。
転載を転載します。
小沢さんと小泉さん。
私たちもホントo(゚Д゚)お世話になりました。
水連トレーナーの記事を転載します。
競泳トレーナー陣 身体と心、信頼がほぐす
(2012/01/09 朝日新聞 朝刊)
昨夏の水泳世界選手権。200メートル平泳ぎを2位で終え、サブプールに戻った北島康介(29)=日本コカ・コーラ=が、スタッフに向かって大きく頭を下げた。
「申し訳ない」
4日前の100メートル平泳ぎは4位だった。股関節の動きが悪いのを見て、同行していた国立スメ[ツ科学センターの小泉圭介(40)は普段なら大会中では避ける強度の高い陸上トレーニングで尻の筋肉を刺激するよう提案した。
2000年から北島のマッサージをしているトレーナーの小沢邦彦(42)「自分の力を発揮すればいいだけ」と声をかけ、関節周りの筋肉をほぐして疲れを取り除いた。
そうやって本来に近い泳ぎを取り戻した北島だが、優勝には届かず。だからこその、「申し訳ない」だった。 「その言葉で、またがんばろうと思えた」。小沢は言う。
小沢が競泳の海外遠征に同行するようになった1999年当時、マッサージはマネジャーやコーチが担当していた。当時ヘッドコーチだった上野広治・日本水連競泳委員長は「数に限りがある五輪のIDカードをトレーナーに割り振ってプールサイドに入れることには、議論もあった」と話す。
小沢には元競泳選手として五輪を目指した経験があった。選手の愚痴を受け止めつつ、わずかな変化を見逃さずコーチ陣に伝える。北島ら選手の信頼を得て、コーチと選手の間を橋渡しした。今や競泳日本代表に欠かせない存在だ。
08年北京五輪では、日本水連はトレーナーの態勢を増強し、小沢のほか、はりの専門家、トレーニングを補助するトレーナー、理学療法士ら計6人を帯同させた。プールサイドに3人、会場外に3人を置き、分業体制を確立させた。他国や他競技に先駆けた取り組みで、選手は自らの状態に応じてトレーナーを選べるようになった。上野委員長は「トレーナーはもはや、疲れを取るだけの役割にとどまらない」と言う。
北京後、小泉とともに体のバランスの矯正に取り組んだ北島が10年のパンパシフィック選手権で好成績を挙げると、松田丈志(27)=コスモス薬品=や入江陵介(21)=イトマンSS=も小泉のメニューを取り入れた。
10年の競泳W杯直前に腰に痛みが出た松田は、小沢の元に飛び込んで2時間マッサージを受けたところ違和感が消え、大会で日本新をマークした。松田は「この分野は日本が世界一」とトレーナー陣に全幅の信頼を置く。
小沢は「自分がスーパーマンになる必要はない。複数のトレーナーが連携して選手を見ないと勝てない」、小泉は「小沢さんは癒やし系。自分は動かせ、動かせと対極の立場。いろいろな人間がいてチームはうまくいく」と話す。
小沢の携帯電話の待ち受け画面は、アテネ五輪の金メダルを北島に首にかけてもらい、2人で並んで撮った写真だ。「信頼の証し」こそが、宝物だ。(阿久津篤史)
2010年PANPACのときの小泉さん。