2022年5月10日
5月8日は母の日だったね。
blogやInstagramの方を拝読していると、「母親」に関する話が綴られているものが多かった。
私も、昨日Instagramの方で「母親」に関することを綴って投稿した。
色んな意味で「有難う」だと思いながらね。
今日は、一寸角度を変えて「母親」をキーワードにして綴っていこうかな?と思っている。
タイトルに付けた【母ちゃんにしてくれて有難う】というものにした。
私には、娘が2人居る。
実は、結婚してから妊娠しては流産を繰り返していた私。
落ち着いたなぁ~と思ったら、お腹の中で亡くなっている経験もした。
だから、妊娠してから出産する前の10ヶ月間(37週持ったよ)という月日は本当に大切な時期であることと、娘たちが生まれてから大人になるまでの間の苦労というものは計り知れないものであったなぁ~と思う。
長女に関して言うなら、最近まで苦労した。
小さい頃から夜泣きは激しいし、人見知りはするし、やることが遅くて学校の先生から注意を受けたり、担任からのいじめも受けた。
拒食症・引きこもりも経験した。
今思えば、その事があったからこそ私は強くなれた部分はある。
一番苦労したのは、学校の先生とのやり取りだった。
ハッキリ言ってブラックリストに載ったんじゃ無いかな?という位、長女の担任と揉めた。
自分の悪口を言われるのは許せるが、長女のことに対してごちゃごちゃ言われるのが許せなかった。
長女には長女なりの考えがある。こだわりがある。はみ出た行動自体が担任としては許せなかったのだろう。
それがエスカレートして、担任が児童(クラスの子達)をグルにして長女にいじめをするわけだ。
小学1年生の時からするんだよ。あり得ない。
元気だった長女が、他人と話すことを止めた瞬間だった。
そして、中学受験をすることを小学4年の時に決めた長女。
『みんなと同じ中学には行きたくない』という理由だった。
必死に勉強した。塾にも通った。そして合格した長女。
成績も良くて、学年で1~3位以内には入っていた。
ただ、勉強は出来ても社会性(協調性が無い)に欠けていた長女は本当に苦労したと思う。
でも、こればかりは親が関わるわけにはいかないと思い、守ることに徹した。
それが私の中で辛かった経験でもある。
この時期に、コーチングとか心理学の勉強を始めるきっかけを作ってくれたので、今は感謝だけどね。
そんな長女がやっと昨年の8月から社会人として働くようになったわけだ。
自分から就職活動を始めて、自分の力で見つけた職場。
仕事は大変ではあるが、自分なりに戦いながら頑張っているなぁ~というのは凄く伝わる。
次女に関しては、生まれた時からアトピー皮膚炎との戦いだ。
食物アレルギーもあるので、食事作りに苦労した。
そのお陰で、食に関する事を勉強することになった。
アレルギー対応の本も買って、次女に合う食事作りも頑張った。
食事で苦労したのは、修学旅行で出される食事である。
小学校、中学校は、旅行先の旅館のとやり取りをしながら、出来るだけ食物アレルギーが出ないような食事作りを次女のためにして下さった。
凄く手間がかかるのに快く作って下さった旅館の方に感謝したい。
ただ、これは日本だからして貰えることで有り、高校の時は修学旅行でオーストラリアへ行っているのでそのやり取りが出来なかった。
野菜がほとんど無く、肉ばかりの食事。
食べられる物が限られていたので、家に戻ってきた時はゲッソリしていた。
家に戻ってきた次女の第一声が『和食が食べたい。納得するまで白御飯が食べたい』と言っていたのが懐かしい。
長女とは違う苦労を味わったが、この2人が居たからこそ私は成長出来たわけだ。
今、声を大にして言えることは、『私を母ちゃんにしてくれて有難う』である。
医学の進歩により、2人の命を守って貰えることが出来た。
妊娠してから出産まで、身体は元気なのに、一寸でも動いたら(赤ちゃん)外へ出ようとするのでそれを抑える薬などを使ってベッドの上での生活をしていた。
その薬は、心臓に負担がかかるのでしょっちゅう心電図を取らされていた。
先生によると、「赤ちゃん=異物」と捉える体質らしく、それを外へ出す働きを子宮がしていたという事のようだ。
悪いものを外へ出すという事は良いことなんだけど、『赤ちゃんだけは堪忍しておくれ』って思っていた。
普段から頼りなく、危なっかしい行動をする私を支えてくれて、メンタルが弱い私を逞しくしてくれた事に感謝したい。
少し前も、私が悪夢に魘(うな)されていた時に(夜中1時頃の話らしい)長女が私を起こして『大丈夫か?』と言ってくれたし、
お風呂の中で時々居眠りが入るみたいで、溺れそうになったんだよね。
(その時は、湯船に顔を突っ込んでいたようだ)
『ゴボゴボ・・・』という音が聞こえたみたいで、お風呂の扉を開けて『ママ、寝ないでよ』と次女に怒られた。
そのあとに、『ママがお風呂から出るまでここで待ってるから』と言って、お風呂から近い部屋で待っていた次女。
と、こんな具合でご迷惑をかけている私だ。
なので、この世で私を母親にしてくれたことは最高の幸せなのかもしれない。