朋友(ほうゆう)ママの心の動きを知るblog

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「ありがとう」の言葉って、素敵だね

2021-10-16 10:41:51 | 心理スタディ

2021年10月16日

おはよう~。

今朝、夕方から雨が降ると言われているけど、どうしても窓を拭いてスッキリしたいという気持ちになり、足の痛みと腰の痛みがある中で1時間ほど頑張った。

綺麗になった窓を見て、思わず『ありがとう』と呟いた。

薄汚れている窓越しに見る景色と、綺麗になった窓越しに見る景色は全然違う。

きっと、心もこの状況に通じるものがあるのではないかと思って綴っている朋友ママです。

 

最近、私の脳裏から離れない言葉がある。

いつも以上に『ありがとう』という言葉が気になっている。

フト、『一日の内で何回呟いているのだろう?』って。

じっくり数えたことは無いが、何かに対して『ありがとう』『有難うございます』『どうもありがとう』と、気がついたら誰かに対して言っているなぁ~と思った。

私が他人『ありがとう』と言う場面を思いだしてみると、まず最初に思いついたのが買い物をしてレジをして貰った店員さんに『どうもありがとう』と必ず言うなぁ~と。

そのあとに、一寸店員さんにゆとりがありそうだと感じた時に、私が何気ない世間話をする事を繰り返していると、

次第に、私の顔を見たら『こんにちは』『ご苦労様です』『今日は一寸忙しくて・・・』と、向こうから話しかけて下さるわけだ。

この『ありがとう』の言葉を通して「繋がる縁」というものを私は感じている。

他人との話の切り出しにも(きっかけにもなる)、この『ありがとう』は本当に役に立つ。

つくづく、この『ありがとう』の5文字の素晴らしさを感じているのである。

(日本の言葉、万歳だね)

あとは、バスに乗って降車するときには必ず運転手さんに『どうもありがとう』と言うし、

娘たちが積極的に行動してくれたことに対して『ありがとう。助かるわ~』と言うし、

たまに、患者さんと遭遇したときに『たくさんある接骨院の中で我が家を選んで下さって有難うございます』という事もある。

 

私は、この言葉の中で一番重みを感じている出来事がある。

何度も綴っているが、私の母親は2015年2月24日に他界している。

胃ガンだった。

実は、母親とは仲良くなかった。『犬猿の仲だった』と言っても良いだろう。

小さい頃にされたことに対して、私はずっと恨んでいたし、憎んでいたし、なんと言っても母親の行動を許すことが出来なかった。

今でも、鮮明に思いだすことがある。

その時に『まだ、私の中で許せていない部分があるなぁ~』と感じるが、心理学の勉強をしてから受け取り方が変わった。

『まだ、許せていないんだね。(その事に対して)良いんだよ』って。

その気持ちを味わい尽くしたあとで、『こういう自分の素直な気持ちに気付かせてくれて「ありがとう」』と思うことが出来るのである。

随分楽になったのである。

そして、ずっと昏睡状態に陥っていた母親が他界する3時間前に目を覚まし、私に向かって『有難うございました』と言ったのである。

その言葉を聞いたときに『これが本音だったんだね。本当は私に対して感謝していたんだね。素直に言えば良いのに・・・』と思った。

私の前では強がりを見せ、恐母を見せていた。(演じていたんだね)

その強がりは、何故このような行動をしていたのか?という事を、母親の妹から聞くことになったのである。

(又、別のタイトルで綴るね)

それを聞いたとき、私は初めて号泣した。

悔しかったなぁ~。解ってあげることが出来なかった。『無理だよ~』って思った。

誰が見ても「虐待」にしか見えない行動をして、『私に理解しろ・・・』は・・・ね。

まだ、この光景を思いだすと泣けてくる。

ヤバいなぁ~。

 

でも、今はハッキリと言える。

『あなた(母親)のお陰で心理学の勉強をするきっかけになったんだから、今は感謝だよ。ありがとう』って、堂々と言える。

きっと、そのようなことが無かったら私は全く違う人生を歩んでいただろう。

 

今日は、いつも以上に心を込めて『ありがとう』を伝えたい。

そして、感謝の心を忘れてはならないね。


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