ベガッ太さん、やりすぎです
羽生結弦 始球式
久しぶりに新寺にあるこみち市へ行ってきました。毎月28日のイベント。
仙台サンプラザをまっすぐ南へ行って駐車場にイン。宮城野通りと新寺通りの
間にある散策するには気持ちいい場所です。左はお寺が並んでるし、墓地もあったりで
落ち着く通りですよー。仙台駅方面に歩くとしばらくして
こちらの看板が見えてきます。今回お店は少な目でしたのでここに集中してました。
手づくりのパンやスイーツ、焼き物や雑貨、野菜など、県外からもお店を出してたので
私は山形のリンゴとカブの漬物。他にバウムクーヘンとワッフル購入しました。
スタート地点のお店。往路は品定め。ぐるーっと全部チェックしたら復路は買い物モード。
皆さん、お店の方と会話を楽しんでました。いいですよねこういうの。ハンドメイドのものが
並んで、個性もあって選ぶの楽しいもん。暖かくなったらもっとお店も増えていくのかな。
こみち市はまだ歴史が浅いのでまだまだ周知されていないのも寂しいかな。地元の人が
通りかかって興味深そうに立ち寄ってたりしてましたから。盛り上がっていってほしいイベントです。
(画像お借りしました)
Pちゃんが亡くなった日、南東の空にものすごい大きな天使の階段が見えました。
写真のような美しいものではなく、黒く立ち込めた雲は生きもののように恐ろしく、
その口から吐き出される何筋もの光が大事な命をもぎ取って連れて行かれる。様な感覚が
あって病院の6階から見ていて動けませんでした。みんなが来るまで立っていられるかなと。
ガラスの向こうに見える街はいつもの日常なのに、ガラス1枚隔てただけで景色が違って見えたな。
四十九日までは、3人でPちゃんと同じ部屋に布団を並べて寝ました。電気は消せなかった。
しっかり夢にも出てきてお話もしたし、一緒に観戦予定だったベガルタの試合を遺影と共に見たり。
数多い夢の中でも最後に見た夢が1番きつかった。短い夢だったよ。Pちゃんが礼服を着て「法事に
行ってくる」って出掛けたんだけどすぐ帰宅して、ポケットからお悔やみの封筒を無造作にテーブルに置いて
怒ってる風でもなく、だけど強い口調で「なんで俺なんだよ」って言ったとこで目が覚めたの。泣いたなー。
四十九日が明ける前、元気付けにベガルタの試合に子供たちを連れて行った時は、てっぺんの座席に
陣取りながら1人になった時(子供たちはとっとと売店へ)、寂しすぎて急に苦しくなって倒れそうになりフラ
ついてたら、前触れもなくバケツをひっくり返したような雨がスタジアムの屋根に叩きつけて、音の凄まじさに
意識を覚醒させられたみたいになって。Pちゃんに叱咤激励された気持ちで我に返る事ができました。ドモ。
兄くんはいつも優しく声をかけてくれる。弟くんは中学に入るまで耳かきしてくれた。おかげで泣き暮らす事は
ありませんでした。Pちゃん、2人の宝物ありがとう。いきものがかりの「さくら」はサイゴの思い出の曲だよね
四十九日過ぎてから夢も見なくなったけど、義母の夢で「お米ヨロシク」は大笑いしたなあ。Pちゃん面白過ぎ。
暗い話だったけど、初めて全部吐き出せた。次のお墓参りは笑顔で行くからおいなりさん一緒に食べよ
大っ嫌いな2月。写真は2007年2月のカレンダー。子供が熱を出した時かな。
平凡な毎日なはずのに、この年の2月は怖くて怖くて早く時間が過ぎてほしかった。
子供のサッカーを応援していても、ベガルタの話題で笑っても、お出かけしても
バレンタインのチョコを買ったり、Pちゃんに財布を買っても取り除かれなかった不安。
その矢先Pちゃんに近しい叔母が亡くなった時、この胸騒ぎはこの事だったのかな?
と思ったけどイヤな空気は続いていて・・そのうち弟くんが高熱でうなされたり、私の見た
夢がまさか現実になるなんて。後から気付いた事だけど。弟くんは高熱の中、私を恐ろしい
ものでも見るように怯えて「おっか置いていかないでえええ」って大泣きしたり、私は私が
喪主の夢を何度も見せられて。遺族席には私と子供2人しかいなかったから、失礼だけど
じっじが亡くなる夢なのかな?と勝手に思ってた・・あと少しで2月終わる。春が来る。Pちゃんの
バースデーをパッと祝って。そしたら苦しくて怖い胸騒ぎは嘘のように晴れるはず。って思ってたのに。
3月に入って間もなくPちゃんは体調を崩し、それでもベガルタの開幕戦をテレビで見ながらお喋り。
2~3日熱が下がらず、休み明けに再度病院へ行ったら肺炎です。ってすぐに日赤を紹介されて。
月曜の昼に検査して、夕方には2人で告知を受けて、翌日のお昼あっという間に召されてしまった。
瞬間的に現実を拒否したので涙は出なくて葬儀が終わるまで夢中で動いてました。義母が危うくなって
支えないといけなかったし。私が声出してワンワン泣けたのは3回忌を過ぎた心療内科でした。今でも
あの2月と3月が夢みたいです。だから毎年2月は見えない何かに怯えてた時間として頭に摺り込まれて
キライになっちゃった。早く終わって2月! もう8年・・Pちゃん幸せに暮らしてますか?だったらいいんだ。
(病気の事は2014・12・29に書いたので省かせていただきました)
歯医者さーん。レプリカといえど立派な額にも入ってトイレ横の洗面台にあるなんて
いやだいぶ前から気にはなってたんですけど。とても和む絵、ヨハネス・フェルメールの
「手紙を読む青衣の女」 船に乗ってるダンナさまからの手紙でしょうか。穏やかだけど
一心に読んでる姿がステキだなと思います。たぶん、後ろにあるのは海図かな。歯医者さん
ホントはランチのお店チェックしてたんだけどお昼時すぎて入れなかった。残念。
で帰り道、矢本のベニマル向かいの「蔵しっくパーク」へ。ひな祭りのイベント開催中。
お雛様も七段飾りがいくつもあったり、立ち雛、歴史を感じる味わい深いものまでいっぱい。
上からは吊るし雛があったりとお座敷は春爛漫です。その他お茶ができたり、駄菓子屋さんも
あって大人の皆さん買い物楽しんでました。季節ごとにいろいろイベントが行われてるようです。
東松島の矢本エリアは魅力的なお店が多いのでこれからもあちこち探検していきたいですね
パン屋さんの後は陸前小野駅周辺に戻りまして「おのくん」ショップへ。
いつお邪魔してもお客様がいらしてて笑い声が聞こえていいな。
写真の看板が目印ですかね。仮説住宅と一緒なので見つけるの大変かな。
こういうまったり感スキだわー。「めんどくしぇ」ってw
先日はブルーインパルスのパイロットさん達が訪問したニュースやってたな。
そいえば今日もかっこよくブルー飛んでましたが、私の後にやってきた女性2人が
ぐんぐん飛びまくるブルーを見て思わずインター降りてしまったって言ってました。
こちらはいつものブルーで曲技飛行見てるけど初めて遭遇しちゃった人は感動するよね。
週末ごとに全国のイベントでどっかの空を飛んでるのでしょうけど。何度見てもカコイイ
おのくんは、とにかく人気でほとんど棚は空っぽ状態。やっと小さいのゲットできました。
これでうちには4兄弟が揃ったで。今度行くときはどっさり靴下持って行こうっと。
野蒜駅から1キロちょいくらい西に走ると隣の東名駅。
こちらは何も残っていません。潮干狩りで大勢の人が来てたよね。
今日はここから右に入って住宅街へ。一般のお宅でやってるパン屋さんを目指します。
が看板も何もなくぐーるぐるしてたらやっと遠くにのぼりを立ててる人発見着けてよかった。
11:30オープンです。なくなり次第閉店らしいので1番に伺う。理由がわかりましたワ
玄関スペースだけがショップとなっております。棚とかディスプレイを工夫されていて
美味しそうなパンがたくさん並んでおりました。500円福袋的なセットもあって選ぶの楽しー
私がモタモタしてる間に次なるお客様がいらしたので、狭くしてしまうぜい。と気を利かせてお会計。
新しいお店を見つけてお店の方といろいろ話すの楽しいな。どんどん友達に紹介しちゃおう
私が買ったのはコチラ。すでに2個食べちゃいましたヒャハー。
じっじデイサービスのため、さて午前中どっか行こうってことで野蒜方面へ。
5月になれば仙石線も再開し、バス乗り換えもなくなりますがここ野蒜駅は
通過しません。ちょっと奥まった山あいに移設しました。寂しいけど
今は駅舎はコンビニと広いイートインスペース(だっけかな)かカフェに
なっておりまして、壁には震災当時の写真が貼ってあって被害の凄まじさに
驚きましたが、この辺りは津波に遭ったままの家も残っているのでまだまだ
遠い過去でも何でもないと実感させられます。故郷を離れた人の気持ちを思うとね。
それでも新築された家もチラホラ。絶対にここを離れないぞ。という強い気持ちも見えます。
きっと撤去されるであろう野蒜駅のホーム。いっぱい通ったし降りたなあ。
まっすぐ歩けば海水浴場だしね。長ーい間ありがとうございました。バイバイ。
これは新しい仙石線。以前はこの手前を田んぼに沿って走ってました。5月からよろしくね。