耳垢除去は耳鼻科医の守備範囲? 2019-01-19 21:42:48 | 医療 耳垢がよくたまる。 それで、3か月に1回は、耳鼻科に行って、 除去してもらう。 以前は、綿棒を使っていたが 自分では取り切れないので、 耳鼻科でとってもらった。 耳鼻科の主治医の意見では、 「ぼくのところに来なさい」 ということだ。 それで、耳鼻科にはよく行く。 他の方は、耳垢はどうしておられるのだろうか。 綿棒を使うと、 かえって、垢が内耳迄入り込んでしまうことがある。 しかし、 世の中の人がみんなそのために 耳鼻科に通うとは思えない。 耳垢をどうやって取り出すのだろう。 哲学的問題?(笑)
親殺しは重罪?~憲法における法の下の平等~ 2019-01-19 20:02:21 | 憲法 かつて、 刑法は、 尊属殺という規定を設けていた。 自分や、配偶者の直系尊属の殺人は重罪、 として、200条で、 特に重い刑を定めていたのである。 この問題には、 最高裁判所が違憲判決を出した。 そして、 1995年に刑法を漢字ひらかなに直す機会にあわせ、 国会での審議により、 尊属殺は刑法上存在しなくなった。 確かに、尊属を大切にすることは 重要だが、法律上、そうしたことを規定するのは、 憲法違反だ、 という結論を出したのである。 憲法第14条1項 すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済 的又は社会的関係において、差別されない。
表現の自由はどこまで許されるか~憲法の立場~ 2019-01-19 19:36:18 | 憲法 日本では、よほど極端でなければ、 表現の自由は保障されているといえるだろう。 オウム真理教事件とか、 悪のマニュアルとか、 自殺の推奨とか、 特殊な場合を除き、 表現の自由は保障されている。 検閲の禁止、 出版の自由。 後者については、 「悪徳の栄え」や 「四畳半襖の下張り」 などの問題は、 例外的である。 政府を批判する意見は、 堂々と表明されている。 某国のように、 政府を批判すると獄に入れられるとか、 死刑を宣告されるとか、 ぶっそうなことは、 まず起こらない。 過去の大統領が、 次々に犯罪者にされてしまうような国に生まれなくてよかった、 というのが、日本人の共通した感想であろう。 憲法第21条 第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。 第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
将棋は因果な趣味? 2019-01-19 19:14:35 | 将棋 将棋は、因果な趣味だ。 なぜなら、勝つか負けるか、 で、すべての結論が出てしまうからだ。 勝てば、100点。 負ければ、0点。 どちらか、である。 これが、絵画、文学、陶芸などと違うところだ。 絵画なら、 選者の好みがあるとか、 選者の批評眼に問題があるとか、 時期が悪かったとか、 さまざまな要因が考えられ、 まあ70点だな、とか、 これなら90点だな、とか、 相対化することができる。 文学、陶芸なども同じである。 これらと違い、 将棋では、 勝つか負けるかということで、 結論がはっきりするから、 言い訳が効かないのである。 100か0かの評価。 これが、将棋を指す人の宿命である。
対局日誌~その41~地域にて 2019-01-19 18:52:34 | 将棋 地域の将棋サークルで指した。 初めは、Sさんと2局。 1局目は、 四間飛車対居飛車。 端から攻めてきたが、 角と香2枚の2枚換えながら、 成香をつくって徐々に有利になり、 中押し勝ち。 2局目は、 四間飛車穴熊志向対居飛車。 穴に入ることを拒否し、 駒得を拡大。 右四間飛車に組み、 有利を拡大。 そのまま押し切り、 詰めてしまった。 3局目は 高段者Hさんとの 駒落ち対局。 勝勢から、 竜を活用して 勝ったと思ったが、 頓死してしまった。 駒を与えてはいけない。 4局目は、 会長のHさんと対局。 32金型四間飛車対純粋四間飛車。 棋勢は膠着状態で、 混戦となり、 中盤で思わず20分の長考。 さすがに考えすぎたかな、 と思ってHさんをみると、 目が怒っている。 怒ったところを見たことがないから動揺したのか、 そこから 坂を下りるように 悪くして、 即詰みに打ち取られてしまった。 明日は、読書コンクール表彰式。
なぜ短歌や歌人評伝を読むのか 2019-01-19 10:30:04 | 短歌 短歌や歌人評伝を読む意義は? 古典和歌を読むと、その時代の問題が良くわかる。 歴史学の本より、真実をつかめることが多い。 政治史や経済史、民俗学を学んで、 ある時代を分析することはできる。 しかし、そうすると抽象的な理解に頼ることが多くなる。 それに対し、 歌集を読むと、その時代の雰囲気や 時代を生きた人の感覚がうつされており 学問を修めるだけではわからない事実が 多く、わかってくるのである。 歌人には、 貴族、支配階級の人、庶民などある。 明治以降、作家に庶民が加わるようになった。 古今集の時代は、 貴族の間で、 技巧を凝らした歌が多く作られた。 ただ、4人の選者は社会的に恵まれていたとは言えない。 紀貫之など、あまり出世しなかった人たちである。 新古今集の時代の選者6人も、 そういう意味では、傑出していたとはいえない。 明治以降、 正岡子規らにより、 短歌は革新された。 庶民も詠むようになった。 そうした歌や歌人の評伝から、 時代と歌人のかかわりが見えてくるし、 具体的な生活・時代の思想が いきいきと伝わってくる。 現代の歌を読むと、 おもしろい視点に気づかされたり、 普段意識しないことを発見したりする。 そうしたことが、 短歌や歌人の評伝を 読んでいくことの楽しみに繋がるのである。