私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

忘れてた!今日は結婚記念日

2020年03月01日 | 日々つつがなし

忘れていました!

今日は結婚記念日。

29回目の―。

 

なんだか皮肉だなあ~…と思いました。

 

 

 

☆それでは今日もよい1日を。

 

 

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父の娘

2020年03月01日 | 日々つつがなし

父の娘―って、確か、ヒラリー・クリントンの自伝のタイトルだったような気がしますが、

私がここ数年、苦しんできた問題でもありました。

 

ヒラリーのは、父に〝男〟として育てられ、女性だけれど、男並みに出世しなければならないと、頑張ってきた成功譚だったと思いますが(読んではいませんが、おそらくそうではないかと…)、

 

実は私も似たような思いで、ずっといたことに気がついたのです。

私は父のお気に入りで、父はいつも私の事を弟と性別が反対だったら良かったのに…と

言っていました。

弟は、男だから、実家を継がなければならないけれど、

正直出来が悪い…。私は女だけれど、まあ出来は良かったので、いつもそう言って比較されていました。

けれど、この性差がひっくり返る事は絶対にありませんでした。

 

どんなにポンでも、男は男。家の田舎はそれが歴然としてある地域だったのです。

どんなに出来なくても、男が家長して一族を率いていかなければならなかったのです。

 

なので、この父の介護問題が起きた時、私は、自分が無理してでも、父の面倒をみなければいけないだろうと考えていました。

何故なら、弟にはそれが出来ないということが、重々分かっていたからです。

 

待てば成長するだろう…と言う時期はとっくに過ぎていて、このままだと、

〝虐待〟とか、父のの意図に反する最期になるだろう、

という事が分かっていたのです。

 

それは、母の介護の時に、思い知らされたからです。

弟は嫁に踊らさせて、私たち姉妹を攻撃しただけでなく、

余命いくばくもない母に対しても冷たく当たりました。

 

母はそれをずっと悲しんでいました。

どうしてあんな子を産んだんだろう…

私の責任だ…とガンの痛みで苦しみながら、

病床でずっとそう言っていました。

 

そんな母に、私はかけるコトバもなかったのです。

 

母のお葬式の時、

挨拶で号泣している弟を見ながら、

葬式で泣くくらいなら、

せめて母の生きている間に、少しでも

優しい言葉をかけてあげればよかったのに…と

ずっと弟の事を責めていました。

 

そんな弟夫婦に父が自分の老後を任せると言った時には、

正直、仰天しました。

目の前で、母の最期を見ていたのに、まだそんな事を言うのか?と。

 

けれど、父には男の子に対する絶対の信頼感があり、

私が口を酸っぱくて、「弟は、しまいにはお父さんを

施設に入れるって行っているよ、それでいいの?」と

いいましたが、

父は、「弟がそんなことする筈はない」

また、「入れられても、老人は最後にはそうなるのだから、仕方ない」

などと言っていたのです。

そして、私に対して、もう二度とこのことを言うなと釘を差したのです。

 

父にとっては最も言われたくない言葉だったのでしょう。

 

案の定、今、父は弟や嫁から病気を理由に、

「外に出るな」「部屋から出るな」など、

強く言われているようです。

そして、楽しみにしていたデイサービスへの制限や、

食事も相変わらず、弁当をとらされており、

(嫁は父の食事を作らない)

味が合わないと受け付けず、

あんなに恰幅のよい人だったのにも係わらず、

今は、五十キロ代に入ろうとしています。

 

それも気の毒ですが、今となってはどうしようもありません。

私は、弟夫婦と三人で暮らしている父が心配だったので、

風通しを少しでも良くしようと思い、この三月には、少し長めに

帰るつもりでしたが、

それも弟から、迷惑だというような牽制電話がありました。

(嫁の連れ子が帰ってくるから、わさわさするから、あんた達は帰ってくるなと父ちゃんが言ってるよ。

父ちゃんが言ってるんどーと、最後には笑いながら言っていましたが…。)

 

まあ、おそらくは、嫁からのお達しなのでしょう。

嫌いな私が帰ってくるのを阻止したかったのでしょう。

 

先月はいよいよ父が危ないから、帰ってこいとパニックになり、喚いていたのに、

その舌の根も乾かぬうちにこの言いぐさ。

 

毎度の事ですが、呆れてしまいました。

 

こんな扱いをされても、それでも私は、父の事が心配でした。

父の事を最後までちゃんと面倒みたい、それが私の願いです。

 

それは、死ぬ間際に、母から託されていた事でもありました。

 

けれど、それを貫こうとすればするほど、その壁の厚さに阻まれて、

どうにもできないのでした。

本当はこんな事、父が一言、私に面倒をみてもらいたいと言ってくれれば、

解決することなのです。

けれどそれは絶対に言わない。この期に及んでも言わないのです。

もう私としては正直、お手上げ状態です。

 

だから、あとは、穏やかな老後を願うだけです。

 

でも、ふと、この父に対する執着を手放してみようと思いました。

私には、父に認められたいという気持ちがあり、父の期待に応えなければならないという、強い思いがあるなあ…という事に気がついたからです。

 

それは、私の元編集者さんだった、スピリチュアルカウンセラーの方に言われたことでした。

それはもう二年も前の事だったのに、私にはその意味が全然わかりませんでした。

こういうことは、渦中にいると、何の事だか分からないものです。

 

私には、ポンの弟より、私の方が父の事を大事に思い、

その期待に応えられるという自負があったのです。

 

父の期待とは、有名な大学に入って、大企業でバリバリお給料を稼ぐこと。

キャリアウーマンとして活躍することでした。

 

でも、私はそうはしなかった。

私は映画の学校へ入り直し、シナリオを勉強し、卒業と同時に結婚、出産し、

仕事はパートを転々として落ち着かず、すぐに辞めては本を書き、

それも物にならず…と、父に言わせると、ロクでもない人生を送ってきたのです。

(父の価値観では、お金を稼ぐ人が〝一番偉い!〟のです)

 

なので、実は今の今迄、父の期待に私は一つも応えられなかったのです。

お金を稼ぐ事は出来ないけれど、それでも私は弟よりは遥かに出来るという自負心もあり、やっぱり父は私の方が可愛いんだと思っていましたが、

その感情も、ここ数年、父の頑固さに遭うと、もろくも崩れ去っていました。

 

私は男でもないし、仕事も出来ないし…なんの役にも立たないんだなあ…と。

 

それでも私は父に認められたい、と思っていました。

キャリアウーマンにはなれないけれど、物書きとして一人前になって、

お金を稼ぐようになりたいと考えていたのです。

 

ちゃんとした仕事、仕事、とうるさく言う父を黙らせて、

やっぱり姉ちゃん、日本一、と言わせたかったのです。

 

でも、そんな事無理だったんですよね~。

私は相変わらず、稼げない物書きで…。

 

でも、もう父の期待に沿えず、自分を責めていた自分自身を

許そうと思いました。

 

もう父の期待に沿えなくてもいい、と思ったのです。

父の期待に沿えなかったけれど、私は私で、

ちゃんと自分の道を生きて行こうと思ったのです。

 

そして、この問題は、実は夫との関係でもそうなのでした。

夫も私に、「ちゃんとした仕事をして、稼いでこい」、

「大口叩くのは、金を稼いできてからにしろ」、

とよく言っていました。

 

とくに、この七年、私が物書きとしてデビューしてからが酷かった。

デビューしても、二作目を生み出すのに苦労していた私は、

その頃、仕事も辞めて、これだけに専念していたので、

事あるごとに、「金を稼いでこい」とばかり言われていました。

 

私が離婚を決意したのも、実はこの、金、金、金、金…ばかり

言われることに辟易したからです。

 

私は自分の夢を優先したかったのに、夫にとって、

そんなもの金を稼いでからすることであって、

遊んでいるのは許せないという事だったのです。

 

父と夫はなんとリンクしていたのです。

 

まあ、娘は父に似た人を選ぶと言いますが、

私も無意識に、父とそっくりな人と結婚していたのです。

 

そういう事に、実は昨日、気がつきました。

 

なので、私は、ここ数年、「稼げない」というコンプレックスを

嫌と言うほど味わって、苦しんでいたのです。

なので、もう離婚したい、苦しい…と思っていたのは、

単なる私の我儘ではなくて、

父の娘たる私の苦しみ…。

 

父や夫の期待に沿えない、自分自身を責めていた、

その苦しさだったのだという事に、

ようやく気がついたのでした。

 

出雲大社に行ってから、やっと気がついたのは、この事。

 

私は、父からの期待、夫からの期待に沿えない自分、

お金を稼げないという自分を、自分の中で、

ずっと責めていたのでした。

 

だから、夫との離婚話も強く出られなかったのです。

自分が悪いのではないか?

と、心のどこかにそんな思いがあったから…。

 

今、夫に離婚届を預けてありますが、

「もう書いた?」と気軽に聞けないのは、

そういう理由があるからだったのです。

 

そして、もう一つ肝心な事は…。

 

私は、父から夫へと、スライドして、

保護される立場でした。

 

私にはOL経験もありますが、

それは上京してくる前の話。

結婚してからは、一度も正社員で働いた事はありません。

 

私は、一人では生きていけないと思っていたのです。

学校を卒業する頃、私のような気弱な人間では、

この生き馬の目を抜く都会では生きていけないと、

感じていたのです。

誰か側にいて、私を守って欲しいとそう願っていたのです。

 

なので、夫を選び、結婚したのです。

 

あの当時、そんな計算がなかったとは言えないのです。

その私が、三十年の時を経て、やっぱり原点に戻らざるおえない。

 

〝自立〟というテーマが、私には、まだ残っていたのです。

 

ただし、それは、父や夫の期待にそう事ではなくて、

私は、私のやり方で、自分の道を切り開かなければならないのです。

真の自立です。

 

でも、お金を稼げるのか…と言う不安もあり、

離婚話も進めなければならないのに、いざとなると、

二の足を踏んでいたのは、そういう訳だったのです。

 

そんな事にここ数日、思い至りました。

 

これが出雲大社に行ったお陰なのかどうかは

分かりませんが、

あれこれ考えて、ようやく二年前の宿題、

「あなたは、お父さんの瞳に映る自分を見ている」という

カウンセラーさんの言葉の意味が分かったのでした。

 

長い年月がかかりましたが、

やっと私にも理解できました。

 

そうして、父への執着、夫への執着を手放す時期だと

改めて思いました。

 

 

私もようやく来ましたよ、ここまで、ここまで…。

本当に長かった。

 

私は「父の娘」ではなかった。

私は、私、だったのです。

父のお気に入りでなくてもいいのです。

父の期待に応えなくてもいいのです。

 

私は私で歩いて行きます。

今度は自分の道を歩いて行きます。

私ひとりが経験する、新たな、そして、

おそらく楽しい道です。

 

それを歩んでいきたいと思います。

 

まだ少し、怖いんですけど、

遅まきながら、〝自立〟したいと思っています。

 

勇気を振り絞って―。

 

 

 

☆それでは今日もよい一日を。

 

*なので、父のへの執着ももう手放します。

父が今後どういう老後を送るのかは分かりませんが、

よほど呼ばれるまで行く事もないかと思います。

 

弟夫婦を選んだのは父の責任です。

なので、私はもう手を出さなくてもいいのかな?とも考えています。

父の介護をしたいのは山々ですが、父が承知しない限りは無理でしょう。

 

なので、私はもう手放します。

けれど、父の幸せだけをいつも祈っています。

 

そうなります。

そうなりました。

有難うございました。

 

卒・父の娘 です。

 

有難うございました。

お父さん、愛しているよ。

いつまでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鳥取砂丘

2020年03月01日 | 日々つつがなし
これだけは、たくさん撮ったので、
アップしておきますね。












☆それでは今日も良い一日を。



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今、はてなブログの方の小説をアップし終わったとこ…。

2020年03月01日 | 日々つつがなし

いよいよ物語は佳境へ入る。

 

ホラーな彼氏の真骨頂だわ…。(^^;)

 

今まで小説だけで見てくれる人があんまりいなかったのだけど、

この話だけは面白いのか、コンスタンスに見てくれる人がいる。

 

まだ読んでないよーという方は、こちらからどうぞ。

 

 

トナリのサイコパス

どこにでもいるヤバイ奴。そうあなたの隣にも―。さて、今宵あなたの下へ訪れるサイコパスは―?

トナリのサイコパス

 

 

さてさて、先週私は、出雲大社へ行ってきました~。

先月に「出雲大社」というビジョンを見てから、

どうしても行かねばなるまいと思っていたのです。

 

なので、妹と一緒に、岡山、鳥取、島根、広島と一泊二日で、

四県回るという弾丸ツアーへ行ってきました~。

チョー過酷でした。

移動距離、長い、長い…。

 

でも、飛行機の中でもバスの中でも爆睡に次ぐ爆睡。

 

先々週辺りから、なんだかえらい疲れていて…

まっすぐ歩けないって感じだったのですが、

それがピークに達したという感じ。

 

なので一緒に行った妹の態度が、やけにとげとげしかったです。

あんまり私がぼーっとして話をしないので…。(^^;)

 

でも、面白いのは、出雲大社へ行く前に、岡山の最上寺(サイジョウジ)というお寺で、

縁切りをしてきたこと。

 

新たな縁を結ぶまえに、古いご縁を切らなければならないんですね~。

それも面白かったです。

 

そのあと鳥取砂丘へ。

砂丘を見るのも初めてで…。

はじめて尽くしの旅でした。

 

さて、肝心の出雲大社では、何をお願いしたかというと…

なんか、もう頭がごちゃごちゃして、

ひたすら〝ありがとう、ありがとう〟と唱えていた気がします。

 

だって、私、今八方ふさがりで、正直、頭パニック状態だったので…。

 

なんかヤケクソ…。

 

行く前までは、あれもお願いして、これもお願いして…とか

考えていたけれど、いざその場に行くと、もうパーン!と

なくなってしまうんですもの…。

世話ないや…って感じですね。

 

でもまあ、父の老後が穏やかに過ごせますようにと祈ってきましたよ~。

 

もう、それくらいですね。

私の望みと言えば。

 

あとは、仕事の成功と生活の安定。

そんな感じですかね?

 

まあ、ご縁のある方とは、これから出会わせてくださいってかしら?

 

…って、盛りだくさんの願いごとですね。

ま、いっか。

 

あまりの弾丸だったので、写真なんて撮る暇もなく…。

 

とくに出雲大社のは、一枚もないんです。

 

後でそれを知って驚きましたね。

 

唯一、ツアー客全員で撮った写真だけが、一枚残されていましたが…。

 

(私、なんか観光地で写真を撮っている業者の人を見ると、なんか・・・

気の毒になって買ってしまうんですよね…。

同情するのもなんだか失礼な話なんですが・・・)

 

なので、今となっては、それが行った証しとなってしまいました。

 

父のために、お守りを買ったので、

それをこれから送らなければなりませんが…。

 

そんな感じですかね…。

 

帰ってきてからは、仕事や畑でジャガイモ植えたりしたので、

昨日は一日、ダウン…。

今朝までずっと寝てました。

 

やれやれ…こんなことではどうなるのか…。

これからの生活は…

 

などと思いながら、少しずつですね。

やって行かねば…。

 

 

☆それでは今日もよい一日を。

 

 

 

 

 

 

 

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さあ〜

2020年03月01日 | 日々つつがなし
やっと起きて、
動かなきゃ…。

凹んでいられないわ。



☆それでは今日も良い一日を。



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