私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

昨日の朝

2021年12月06日 | 日々つつがなし
流しっぱなしのYouTubeから、占い動画の声が流れてきて、
思わず、嗚咽してしまった。

この方の動画はいつも、心に刺さるので、調子の悪いときには
スルーしていたのだが、別の誰かのYouTubeを聞きっぱなしにして
寝てしまい、そのまま流れてしまったようだ。

何を言われたのかはもう定かではないのだが、
それはおそらく父のこと、そうして、弟の事だったのだろう。

それを聞くと、ふと、父が今までいた病院から転院し、別の病院へいくまで間に、
黙って車窓の風景を眺めていた小さくなった父の姿を思い出したのだ。

その時、涙が溢れて、私は思わず、

お父さん、ごめんなさい!

と言ってしまっていた。

けれど、明け方で、乾燥している鼻の奥からは涙が出て来ず、
苦しくて目が覚めたのだけれど・・・。

あのときの父は、全てを諦めて、ただなすがままにされていた。
まるで自分の死期を悟っているかのように。

その切ない心持ちを感じて、感極まったのだ。

けれど、同時に、私は、父を助けてあげられなかった自分の不甲斐なさも感じていた。

私は、父を何度も助けるチャンスがあったのに、弟との争いが嫌で、
それを避けてきたのだ。

だから、弟ではないのだと思った。
弟が原因でこうなったのではない。
私が弱かったからなのだ。

私の弱さが父を助けられなかったんだ、と思った。

私は泣きながら、布団の中で、何度も父に謝った。

許して欲しい、と、謝った。
自分の弱さのせいで、父を助けられなかったのだ。

弟ではない。
弟は悪くないのだ。
弟を悪者にはしているが、私の中の根本的な原因は、
やはり私が弟とぶつかりたくなくて、父を擁護できなかった事なのだ。

そう思った。

自分の情けなさに、苦悶した。

しばらくそうしていると、また占い動画から声がした。


あなたのせいではない

と。

仕方がなかったのだ

と。

けれど、私だって、何度そう思った事だろう。

でも、私の心の中は不完全燃焼だった。

いつも自分が父を助けられなかったことが気になっていた。

そして、それを弟のせいにしていたけれど、
本当は、自分の弱さを許せなかっただけなのだと、
ようやく気がついたのだ。


私は弟の事も許し、謝った。

本当は私の問題だったのに、彼に罪を被せてしまったと。

だからといって、弟とこれから仲良くしたいのかと言われたら、
それはお断りだけれど、少なくとも心の中では彼への執着を手放そうと思った。

今日はこれから墓参りして、
今までのことを父に謝ってこようと思う。

そうして、スッキリとして、また前を向いて行こうと思います。

家族とのしがらみや執着はこれでお終い。

私の実家家族との長い長い物語は、ここで一旦終わりになります。

これからは、新しい、何も執着のない状態で歩んでいきます。

そうなります。
そうなりました。
ありがとうございました。


私は、自分の弱さを認めます。
受け入れます。
許します。

そうして、そんな自分を愛します。


そうなります。
そうなりました。
ありがとうございました。


☆それでは今日も良い1日を。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さあ、しっかりしろ!

2021年12月06日 | 日々つつがなし
仕事しろ!




☆それでは今日も良い一日を。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の友達から

2021年12月05日 | 日々つつがなし
昨日、宅急便が届いた。

中身は、自分で作ったお米とみかん、そして柚子だった!

ありがたい〜。

彼は映画学校時代の友達で、今は一緒に私原作の時代劇を
一緒に映画化しようと頑張っている仲間だが、
故郷の京都に帰って、お百姓さんをしている。

お百姓をしているからといって、
映画化を諦めているわけではなく、
ずっとこの企画を色々なところへ
提出してくれている。

今年も三件出したけれど、二件はダメだったのですが、
後の一つはどうなったのか?

本当は、そろそろ諦めてもいいのだけれど、
二人の夢だったから、どちらも言い出せないでいる。

このままでいいのかな?とは思いつつも・・・。

私たちは夢追い人だ。

今、キーボードを打ったら、

夢老い人と出た!

本当にその通りだ、と笑った。

夢老い人か・・・。

このままで終わるのかしれないけれど、
諦めなければ、いつかは叶う。

そう信じてー。




☆それでは今日も良い1日を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人が苦しんでいるときに、なぜか寄ってくる人

2021年12月05日 | 日々つつがなし
他人が苦しんでいる時に、
なぜか寄ってくる人がいます。

別に相手に寄り添うためではありません。
相手のエルネギーを奪うためです。

相手が弱っているのに、
励ますのではなく、

だからあなたは〜
とか、
私は○○だったんだよね、こんな時〜

などと言い、
相手貶め、さらに相手を苦しめるのです。

目的は何か。

当然、自分が有利に立ちたいからです。
相手のダメなところを指摘して、自分がいかに優秀か、
いかに幸せかを誇示するためです。

なので、自分が苦しんでいるときに、
近づいて来る人には要注意。

必ず嫌な思いをさせられます。

そもそも、付き合っていて嫌な思いをする相手とは
仲良くはなれないですよね。

そこはやはり自分の感覚を信じた方が良いでしょう。

第一、相手には同情心などありません。

あるのは、自分の自負心だけです。

相手より自分の方が上だという傲慢さだけです。

まあ、そんな相手に関わりあっている間に、
自分の人生を生きた方がいいなぁ・・・と思う
今日この頃です。


☆それでは今日も良い1日を。

弱っているときに、自分の話ばかりをするのは要注意人物です。
こちらの話を何も言わずに、黙って聞いてくれる人が、本当の友人です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝がた夢を見た

2021年12月04日 | 日々つつがなし

もう亡くなってしまった伯母さんの夢。

 

この間三回忌だったから、二年前だな・・・。

 

私が地元の小学校の運動会を見に体育館へ来ていて、

知り合いが誰もいないなぁ~と思っていたら、

伯母さんが現れた。

 

伯母さんが、子供の頃のように、

「ミー」と呼んで(私の名前に〝み〟がつくので、そう呼ばれていた)、

にこにこしながら来てくれた。

あまりのことに嬉しくて、胸が熱くなり、あったかい気持ちになった。

 

しばらくすると、伯母さんの娘である私の従姉妹も来てくれて、その他、

親戚の従兄弟のお兄さんやら、懐かしい顔も現れた。

この方たちは、ご存命。

 

そうしているうちに、児童たちも居なくなり、誰もいなくなって、

お昼かな?と思い、近くの食堂へ食べに行った。

 

そこでも知った顔はおらず、食事が終わると、

再び、体育館へ。

 

そうしたら、また伯母さんが現れて、

また嬉しくなると言うもの。

そこには、従姉妹のお姉さんも現れたのだが、

私は伯母さんを独占したくて、

少し二人の時間を楽しみたいと思っていた、

というもの。

 

夢が覚めて、あまりのなつかしさに涙が溢れた。

心がじ~んと温かくなった。

と同時に、優しく丁寧に扱われていた子供時代の幸せさを噛み締めていた。

 

そして、伯母さんが戻って来た時、

なんで、「どこへ行っていたのよ」と言えなかったんだろうと後悔した。

 

私って、いつもそうなんだよね。

寂しいのに、寂しいって言えないんだよね。

なんでもなーい、私は大丈夫って、装っちゃうの。

 

それがいけないなぁ~と思った。

 

今度から、そういう時があればそう言おうと思った。

 

目が覚めて、あれは伯母さんの姿を借りたお母さんだったのかも・・・?

とも思ったが、やはり、今感じても、伯母さんのオーラだったと思う。

 

何故、伯母さんが私の夢の中に出てきてくれたのか?と

疑問に思ったけれど、この間鹿児島へ行って、夢にも出てきた伯母さんの末娘である、私の従姉妹のお姉さんにお世話になり、ずいぶんと伯母さんの話も聞いたので、そのせいかとも思った。

 

伯母さん、優しかったなあ~。

決して怒らなかった。どんな悪さをしても。

だから、いっぱい悪さをしたなぁ~。

そして、美味しい物をたくさん食べさせてくれた。

 

いつも行くと最初に言う言葉は、

「ミー、お腹空いておらんね?」だった。

そして、次々と美味しいものを作って食べさせてくれた。

幸せだったなぁ~・・・子ども時代。

 

なんでだろう?涙が溢れて止まらない。

 

きっと墓参りのお礼に来てくれたのかな?

 

寂しいなぁ~。伯母さん達が居なくなって。

可愛がられていたなあ。

大切にされていた。

 

私はそんな幸せな子ども時代を過ごしてたのだと

改めてそう感じた。

 

 

☆それでは今日もよい一日を。

 

これを書いていても、涙が止まらない。

 

寂しいよ~、伯母さん。

 

でも、こういう風に、ご先祖の方々や亡くなったご縁のある方たちは

私たちを温かく見守っているんだね。

そう思いました。

 

いつもありがとうございます。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする