これを書いている私はカトリック教会のただの信者で、専門的なことはよくわかりません。ただ最近いろいろと考えさせられることが多いので、ちょっとまとめてみようかと思っております。
きっかけになったのは、twitterで知りあった方のブログを読んだことでした。fc2ブログで『本を枕に―スピリチュアルな日々』と言うタイトルで、ここではクレオパさんと名乗っておられますが、キリスト教関係の出版社さんの個人ブログです。そこに最近の記事で“ロナーガンが取り持つ出会い”と言うのがあり、それを読んでこちらもさまざまなことを思い出したのでした。
バーナード・ロナーガンと言う名前も初めて見る名前で、ましてや邦訳の出ていない本のことではどうにもならないのですが、あめんどうさん自身、その大著「インサイト(洞察、閃き)」の日本語の解説書を読んでいるところとありました。これはユングの言葉からとったタイトルのようです。ユングなら多少はわかります。(言いたくはないけれど今の当方の複雑な状況の原因でもありますから)
これを書きながらこの記事の前に当たる“ロナーガン講座を修了したにはしたが、道はまだまだ・・・”を読んでみると実際、どうもかなり難しい内容のようで、やたらなことを言ってよいものかどうか危ぶむ思いも湧くのですが、自分の直感でまったく無関係のことではないはずだという気がするので話を続けます。
インサイト(洞察、閃き)というのは、引用すると・・・自分の未来がかいま見える瞬間のことで、神から、また魂の根底から来るビジョン・・・とあります。これだけ見ても多分何もわからないかもしれませんが、人生のある時に、それまでわからなかったこと、見えていなかったことがいきなり全部結びついて全体が見えてくる、自分が何者なのかが見えてきてとやかく言う気がしなくなる、そんなことではないかなと、自分の貧しい体験で想像します。
ロナーガンの名前も、インサイトのことも何も知らないまま、私はその経験をカトリック信者として聖霊の働きかけ、聖霊の導きと呼んでおりました。聖霊といっても、別に聖霊カリスマ運動の方々とは関係ありません。遥か大昔、イエズス会の故カール・ライフ神父さまが、相談に行った時に、本当の指導者は聖霊です、とおっしゃっていたのが始まりです。それで、思い出すと聖霊について考えておりました。天地万物の創造主なる神とか、救い主キリストならまだわかりやすい。でも、聖霊となるとまるでイメージが思い浮かびませんでした。何十年もかけてわかってきたというしかありません。
この続きはまたそのうちに書きたいと思います。いや、書きかけたのですが非常に長い話になってしまうことに気がついて、一旦中止しました。内容自体は以前一部の方々にはごらんいただいた自分史に重なるようなものです。長い長い話でも全体をご存じない方は私の話を信用してくださらなかったり、あなたは自分を実際以上に大きく見せようとしているとか、まるで見当違いなことをおっしゃったりなさいますから、簡単には端折れないことのように思うのです。