おっはようございま~す。マリーで~す。家のおばはん、昨日はパソコンを開いたと思ったらウォークマンに入れてある曲の入れ替えを始めちゃったの。ずっと同じ曲であきちゃったんだっていうけど、ほんとは仕事したくなかったんだと思うな。あの人、大きい問題にかじりついてまだ自分でもうまく噛みこなせていないもんだから少し時間をおきたいのよね。
だけど、下手をするとそのまま書くのをやめて遊び始めちゃうからしっかり見張ってなくちゃ。あたしが傍についていてガーガー言わないとすぐ怠けるのよ、あの人。昨日は音楽プレーヤーの更新をして、後は夜に「聖書の集い」っていうのに出かけたんだわ。あたしもいつもついていくんだけど、このところK司教のお顔を見るといつもくたびれたお顔なのよねえ。どうも神様が今、K司教様を特訓中みたいなの。
ほら、生きてると毎日いろんなことが起こるじゃないの。相手は人間だから考え方も人それぞれだしさ、めためたになるようなことだってあるじゃない。すっごく大変なことってそれぞれ誰にでもあるのよね。でもそれってその最中は大変でも本当は神様のテストだったり、特訓だったりしてるのよねえ。そこを通りぬけてテストに受かると、その人はもっと広々とした世界に出て遠くまで見えるおめめを持つようになるんだわ。その最中は大変だけど永久のそのままなわけじゃないし、時が来ればその状況も終わる、変わるのよ。うちののおばはん自身だっていまだにそうなのよ。まだまだ先は長いんだわさ。
遥か昔になっちゃったけど、あの人がカトリックに改宗してからなぜか信じられないような変なことばかり起こって本当に大変だった時期があったの。何故そうなるのかまるでわからないまま大変な状況になっちゃったのよ。それでその後しばらくたって、初めて読んだ河合隼雄先生の書いたユング心理学の入門書で、(中公新書で出ていた「無意識の構造」と言う本よ)日ごろの自分自身の経験している状況にぴったりなのに気がついて、これは普通のことじゃないと思って精神神経科の仕事をしている親類に相談に行ったのね。
そしたら話を聞いたその人が、専門家だから状況を判断して、事件のショックでこれまで自分で築いた心の壁が崩れて危ない橋を渡りかけているところだから一人では危険だ。専門家の助けが必要だ、ということで1年以上かけて心理の先生のところに毎週通って話しながら、自分をまとめなおす作業をしたの。そのときに親類がうまく橋を渡りきるとどうなるか、簡単に教えてくれたの。それで、今、あの人にも橋を渡れればどうなるか、だんだんその意味がわかってきているのよ。(親類は、カリタスの家にも知ってる人はいるはずよ。精神神経科のほうでは結構知られた人だから。亡くなった霜山徳爾先生も関係者だったのよ)
うまく橋を渡れればこの世界の見え方が全然違ってしまうの。一人一人人間は同じじゃないからみんな誰でも同じ経験が出来るわけじゃないし、ひとつ間違って橋から落ちるとご病気系の世界にいっちゃうことだってあるわけだし、やたらなことはいえないけれど、もし、神様がその人にそれをお望みならば橋を渡れるように守ってくださるみたいよ。それは簡単な道じゃないのよ、えらい大変なとんでもないものかもしれないわよ。あの人の今の状況を見たってそうだわ。普通の道じゃないの。
案内役は聖霊でも、心理学とか宗教学とか、民俗学とかいろいろな知識を持っているほうが何かと役に立つかもしれないわよ。だって、キリスト教国でもなければ、キリスト教の伝統があるわけでもない国で、キリスト教の立場で自分の感じているものを判断し、表現していこうとしたら生半可なことではないもの。
ああ、やっとここで聖霊の話に戻れたわ。とにかく簡単に説明できないのよね、このはなし。と言うところで本日はおしまい。ほんじゃ、またね。