こんにちは~、マリーで~す。今日は木曜日だからうちのおばはん、出かけるのは夕方だし、なんか朝からのんびりしちゃってるのよねえ。あんまりのんびりしていると、またブログを書くのがおそくなっちゃうぞって脅かしたんだけど、だめねえ、あの人。今日もあたしに任せるって逃げちゃってるのよ。
このところあの人、毎週木曜日はだいたい真生会館の「聖書の集い」に行ってるのよ。だけど今週は主宰の幸田司教様も、グループの重鎮も、国際聖体大会でアイルランドに出かけてお留守なんだわさ。国際聖体大会って何だって? ケータイのあたしにそんなのわかるわけないじゃないの。さっきあの人も検索で何かわかりやすい説明はないかって調べてたわよ。キャッシュみたいだからちゃんと出るかどうか怪しいけどこんな記事が見つかったみたいよ。岩島神父様が書いてらっしゃるらしいし、いい加減なことは出てないと思うけどさ、どうかなあ。
http://homepage3.nifty.com/t-iwasi/np/09.html
うちのおばはんだって、その昔、十代から二十代の初め頃はプロテスタントだったから、カトリック教会ではご聖体がどうしてそんなに大事にされてるのか、最初、意味がわかんなかったのよ。
ある時にねえ、知り合いの人に連れられて行った小さい修道院の聖堂で赤ちゃんの姿のイエス様のご像を見たんですって。ニコニコ笑ってて、まるでだっこしてちょうだいって言ってるみたいに両手をこちらにさしだしている赤ちゃんの姿のイエス様よ。それであの人、何でこの赤ちゃんはニコニコ笑いかけてるんだろうって不思議に思ったの。だってさあ、プロテスタントの教会で教わっていた苦悩のイエス様の姿と全然違うじゃないの。
それでずっと心の中でそのイエス様のことを考えていたら、あるとき、ぱっとわかったの。赤ちゃんの姿のイエス様は誰でも怖がらないでご自分のそばに来てほしいんだ。この宇宙、この世界全体をおつくりになった転地万物の造り主は、こんなちっちゃな笑っている赤ちゃんの姿で人間たちの前にあらわれたんだ。誰もみんな怖がらないで近寄ってくることが出来るようにって。そうか、だから同じこころでイエス様はちっぽけなパンの形にもなっておいでなのか。イエス様は、すべての人が怖がらないで安心してご自分のところにくるようにって、ちっちゃな赤ちゃんになったり、ご聖体になったりしたんだ。やっとわかったぞって。
ほんでもってあの人はカトリックに改宗しちゃったんだし、国際聖体大会には行かなくてもご聖体がどんなに大事なものかはよくわかってるんじゃないのかなあ。とにかくそんなわけで今日は残った人たちでお留守番だけど、イエス様がどんなことをおっしゃったのか聞きに「聖書の集い」には出かけるみたいよ。あの人さあ、こんなことくらい自分で書けばいいのにもう。
とにかく今日はこんなところでおしまいよ。ほんじゃまたね。