おっはようございま~す。マリーで~す。
うちのおばはんときたら、日曜日半日歩いただけで月曜日は風邪ひいて具合悪くなっちゃってるのよ。梅雨時なんだもん、昼間いくら汗をかいたからって、夜はまた気温が下がるんだからさ、ちゃんと暑さ寒さの調節くらいしなくちゃね。夏掛け一枚でおへそ出して寝てれば風邪ひくのも当たり前よねえ。まあ、今朝は大丈夫みたいだけどさ、油断ばっかりしてちゃこっちだって本当に困っちゃうわよ。
そんなんだから昨日はあの人、仕方ないから一日おうちにいて本を読んだりパソコンを開いたりしてたの。日曜日に四ツ谷の教会の案内所で買ってきたカトリック生活って言う雑誌の特集が高山右近だったからよ。
あの人、テレビは持っていないけどNHKだけはオンデマンドをパソコンで見られるのね。ほんでもって今、NHKオンデマンドで昔の大河ドラマの「黄金の日々」を流していて、高山右近の話が出てきてるわけよ。ほんとを言うとあの人、つい最近まで高山右近についてなんて殆ど知らなかったの。せいぜい、戦国時代のキリシタン大名だったことくらいしか覚えてなかったのよ。だけど、ツイッターのほうで知り合いの、大阪教区の川邨神父様の書き込みを見てなんとなく興味が湧いて調べてみたわけよ。
そしたら高山右近て、なるほどたいした方だったのねえ。あの時代の日本は相当面白いというか、大変な時代だったのよ。中心的な政治勢力が崩れて各地に群雄割拠の時代でしょう。その時代に日本に初めてキリスト教が伝わってきたり、それまで見たこともなかった鉄砲とか新しい武器も伝わってきたし、鎌倉以来の武士のあり方も変化してきた時代よね。そんな時代にキリスト教に出会って信仰を持った人たちがいて、その中には武士や大名もいて、高山右近やその家族もその一人だったわけよ。
すごいのは、この人、高山右近の信仰がただの時代に合わせた流行とかファッションとかのレベルじゃなかったのね。本当に心からキリスト教を信じてこの教えに従って生きてた人だったのよ。他の大名たちが自分に都合が悪くなると、キリスト教も捨てちゃったりしてもこのお人はそうじゃなかった。
こんな人格高潔な人物だったから上の人も何とか右近を助けようとしてきたのだけど、結局フィリピンに流されることになって、飛行機も何もない時代だから、船で長い旅をして海を超えてフィリピンにたどり着いたんだけど、疲れきってたんじゃないかしら、フィリピンについて間もなく亡くなったの。切腹もしなかったし、首も切られなかったけど、この高山右近の死って長い長い時間をかけた殉教だったのよねえ。
だから結構ずっと前から、日本のカトリック教会でも高山右近の列福を願っていたんだけど、最近本格的になってきてるのよ。川邨神父様のツイッターのおかげでうちのおばはんも、「黄金の日々」を見て、ただテレ朝の「相棒」を思い出すだけじゃなくて真面目にちゃんと日本のカトリック教会の歴史とか人物にも思いを馳せているってわけよ。
ん? お前が話すと大事な話もふざけて聞こえる? ま、そう言わないでよ、これでも案外大変なんだからさ。とにかくそんなわけで今日の話はおしまいよ。ほんじゃまたね。