こんばんは~、マリーで~す。
今日はうちのおばはん、四ツ谷の昼ミサに出かけたんだけど、知り合いの人に出会ってちょっと話をきいてもらったおかげで、かなり問題点がはっきりしてきた感じよ。その後、今度は夕方にはいつもの真生会館の聖書の集いに行って、ここでもまた他の方たちの話を聞いたり、自分も話したりしているうちに、今必要なことがだんだんはっきりしてきたの。
あの人さあ、年齢こそ還暦過ぎてるけど、中身はいまだに世間知らずの女の子ってとこがあるのよ。変てこかもしれないけど、口で言うことと実際のすることが違う人に出会うとどう反応したらいいのか迷ってしまって動けなくなっちゃうの。
なんていうか、嘘や誤魔化しっていうのがどうも理解できないところがあるのよ。表面は大人の振りをしてるけど、内心は、人が嘘をついてるときや、誤魔化してる時の適切な対応ってのがわからない、出来ないの。
ちゃんと相手の本音がわかってるのに、あきらかに本当ではないことを言われるともうその人には何にも言う気がしなくなっちゃう、というか言っても仕方が無い相手にはもう何も話さないって思っちゃうのね。教会の中でもそれよ。今は重要な時なのに、他の人に相談しなさいって言われれば、もうその人には話せない、だめなんだって思っちゃうの。
あたしが何を言ってるのかわかる? うちのおばはんてさあ、かなり物事に馬鹿正直なのよ。自分はいつも本音で生きてるの。だけど他の人はどうも裏と表が違ったりするじゃない。言ってることと心の中で思ってることと違うのを感じると、あの人、どうしていいかわからなくなっちゃうの。だからあんまりやたらに誰でもと付き合ったりしないし、出来ないの。
司祭に相談するったって、そんなあの人を見抜ける人がいないみたいなんだもん、話すに話せるわけもないわよ。たださあ、日本語の理解がちょっと心配だけど一人だけこの人はどうかなって思う方はいるけど、どうしようかなあって迷ってるのよね。まあ、たぶん近日中に多少の動きはあると思うわよ。今日の聖書の集いでメンバーのスミスさんのお話を聞いていて、心にすんなり入ってくるのはどうしてかって考えててたどり着いたのが今日のこの話なの。
たぶん、アメリカ人のあの司祭もスミスさんとおんなじものを持っているんだと思うの。なんというか、あんまり裏表のないこころとかよ。どれだけはなしが通じるかよくわかんないけど話に行ってみるしかないんだと思うわ。うん、そうなんだわさ。