落語 「がまの油」 三遊亭圓生(六代目)
ちょっと古くなってきた写真ですがそれでも2014年の春の中山。夢にも忘れない懐かしい先祖代々の慣れ親しんだ土地ですからね。たまにはアップしておきたい思い出いっぱいの土地。
今これを見てふと思った。700年の昔、父方の先祖の使えていた主君は鎌倉幕府に仕えて、お馬に乗っておそらく行徳あたりからだろうか、そこまで行くと今度は船に乗り換えて水上交通で鎌倉の役所に出勤していたと聞いたことがある。主君の富木常忍が日蓮上人に出会ったのも船でだったとか。千年以上の昔、東海道も陸路ではなくて海路、海を越えて西と東はつながっていたのだそうだ。だからこそ海の安全と守りを願って上陸地に近い鹿島、香取には鹿島神宮、香取神宮が建てられたわけだ。
市川市の中山と鎌倉も海でつながっていた。昔の日本というのは海上交通なしにはどうにもならなかったわけで、今の時代はすっかり忘れられているが、このことは記憶にとどめておいてよいような気がする。
中山法華経寺参道 京成中山駅~祖師堂~鬼子母神③
今これを見てふと思った。700年の昔、父方の先祖の使えていた主君は鎌倉幕府に仕えて、お馬に乗っておそらく行徳あたりからだろうか、そこまで行くと今度は船に乗り換えて水上交通で鎌倉の役所に出勤していたと聞いたことがある。主君の富木常忍が日蓮上人に出会ったのも船でだったとか。千年以上の昔、東海道も陸路ではなくて海路、海を越えて西と東はつながっていたのだそうだ。だからこそ海の安全と守りを願って上陸地に近い鹿島、香取には鹿島神宮、香取神宮が建てられたわけだ。
市川市の中山と鎌倉も海でつながっていた。昔の日本というのは海上交通なしにはどうにもならなかったわけで、今の時代はすっかり忘れられているが、このことは記憶にとどめておいてよいような気がする。
中山法華経寺参道 京成中山駅~祖師堂~鬼子母神③