サルエルパンツのことから妙なことを思い出してしまった。明治になってそれまでのキリスト教禁止令が解かれ、欧米から宣教師も派遣されてくるようになって、カトリック教会でもシスター方の会が日本にやってきて、ヨーロッパの気候にはちょうどよかった修道服も日本の蒸し暑い気候の中では非常に苦労の種だったという話を聞いたことがあった。
第二ヴァチカン公会議以前の女子修道会の修道服やベールは見た目にも厳かで神秘的で美しく見えるのだが、実態はベールの姿をすぐそばで見ると、耳のところに黴が生えていたのだとか。昔の長くて大きいベールの時代は砂漠の修道生活に習って水を節約する習慣があったりした時代だから、洗濯も簡単には出来なかったし、昔々は特殊なベールはクリーニングやアイロンは海外に発注するしかなかったという話も聞いたことがある。
被服の歴史をみても、世界各地でそれぞれの気候風土にあうようなデザイン、材質が選ばれてきたことがわかる。日本の着物も現在のようなきちんとした着付けが中心になる前の時代は、もう少しラフな着付け、暑さ寒さに合わせた着こなし方がなされていたのだ。今のように普段は洋服が当たり前で着物はよそ行き用が主という時代ではなく、着物しかないのだからそれなりの着こなしというものがあったわけだ。
今の時代の着物はごく手軽な浴衣か、下手をすると自分で着付けができないようなよそ行きかどちらかになってしまっているような気がするが、当方の母親の時代はそうではなかったと思う。母は普段着の着物は自分で縫っていた。洗い張りも自分でしていた。その人の子のこちらになるとすでにそんな技術も忘れられてしまっているが、せめて着物の機能を今の服装で生かすことはできないだろうかと考えるわけだ。着物の身八つ口や、おはしょりを一つの機能として取り入れることができたら、洋服も面白くなりそうな気がするのだが。
もっとも中国のベビー服が排便用に初めからお尻が出るようにつくられているような、実質本位のものを連想させてしまうのは困る。もっとデザイン的にも美しさと機能性が両立しないとだめだとも思う。さて、どんなものなら可能なのだろうか。