どうせなら信じてみようと私は思った。うぐいすのさえずりで目を覚まし、薄手の布団を横へどけ障子を開けた。ガラス窓の向こう側には針葉樹が等間隔に並び、そのうちの1本の杉の木の枝にうぐいすはのっていた。さえずりをするたびに体を震わせ杉の葉が風で揺れる。
その宿は箱根にあった。歩き回りひと気がない場所に高級な幽霊屋敷みたいな風体で周りの生い茂る草木と同一化して建っていた。普段ならそんな辺鄙な宿などには泊まることなどない。しかしその日はちがった。峠を上っていく道路が近くにあったのだが、往来な少なくまだ寒さの抜けない初春の風に落ちた松の葉が飛ばされ、その匂いだけが漂っている。
私にとって3回目の箱根の旅は温泉につかることではなく、山林で鹿の写真を撮ることだった。一眼レフの凸レンズを布巾で磨きながら、朝食が運ばれるのを待った。勤める出版社から久しぶりに命ぜられた出張は生物の参考書に必要な鹿の写真を沢山撮ってこいというものであった。30年も経たのだがすっかり窓際族であり、私は今回の任務はもしかしたらていのいい嫌がらせではないかと勘ぐっていた。社内では人員整理の噂が絶えることなくある。宿の仲居が、静かに階段を上がってくる足音でハッと我に返った。
「白岩さまよろしいでしょうか?」という瑞々しい声に、ふすまを自ら開けた私は驚いた。そこに白米の盛られている茶碗とにしんの塩焼きの皿、ひじきの入った小鉢、そして味噌汁のおわんの入った盆を持って正座していたのは、目もとの涼しげな色白の娘であった。
「君いくつだね?」と聞くと、仲居は「16になります」と言い、機敏な動作で盆を窓際の木机に運び込み「ごゆっくりどうぞ」と音の鳴らぬよう静かに襖を閉めた。階段を下る足音は軽く鍵盤を弾くような音色であった。
私は木机の前に座り、盆の上のひじきやにしんの塩焼きの色味があまり良くないなぁと思ったが食べてみると意外に美味しくすぐに平らげてしまった。とりあえず一眼レフの凸レンズをまた磨きだした。仲居は16と言ったな、私には18かそれ以上の年齢に見えた。あの娘はなぜ、あんなにも透き通っていたのだろう。もしかしたら山林から這い出た狐が娘の姿をしているだけなのではないかと私は思ってしまった。
ホーホケキョとタイミング良くうぐいすが鳴いた。「そうだ」と私の勘ぐりに相槌うっているに違いない。私は盆を持って、ふすまを開けて階段を下っていった。台所にそれを置くと玄関から外に出てみる。
杉の木はうぐいすの立ち位置を確保してあげていて、こちらのことなど全く意に介さずという佇まい。宿主が草履を手に「お客さん裸足では困ります」と私の横に下宿から出てきた。
私は「なぜ花粉が目の敵にされるのに杉の木そのものはこんなにも悠然といるのでしょうかね?」と宿主に草履を履きながら言った。「それは都会の人がアレルギーの原因を花粉に結びつけ過ぎだからじゃないですか?」宿主は老齢に刻まれた深い皺の笑みを浮かべながらそんなことを言った。
私は「そうですか?」と訝しげに尋ねた。
「そうですよ都会には、アスファルトの粉塵や車の排気ガス、アスベストそして単純に塵やほこりもそこらじゅうに舞っています。私はもう何十年もこの杉の木のたもとに暮らしていますがアレルギーを感じたことは実はないのです不思議なものですね」と宿主は言う。
「あなたが特異な体質なのではないですか」と私は少し早口に尋ね杉の木を見上げる。
「いや格別、わたしだけが丈夫であるわけではありません。ほら春先というのは昔からよく風が強いでしょう。春風とか落語家の名前にもなっていますし、なあ、より子、お前もアレルギーになったことなどないよな」と宿主は奥座敷でテレビを見ていた私がさっきまで仲居であると認識していた娘に言った。宿主の孫なのだろうか。いやもしかしたら年老いてから授かった子供なのかもしれない。
より子は「うんアレルギーになったこはないよ」と玄関を越えて外の私たちに聞こえるような大きい声で答えた。極めて健康な娘である。
「なので私はもしかしたら、春の強い風にのった様々な粉塵やほこりが、アレルギーを引き起こしているのではないかと思っています。粉塵に、比べたら花粉は微々たる刺激物です。げんにあなたもいまくしゃみをしていないでしょう」そう宿主が言う。たしかに私は杉の木がすぐそこにあるのに鼻がうずくことはない。元々花粉症になったことはなかったが、ひどく苦しむ友人がいたので、宿主の話をまだ信じることはできなかった。
「たしかにそうかもしれません。いわゆるプラシーボ効果というやつですね。以前マーフィーの法則という本がありました。テレビではネガティブなことを考えると自ずとそうなってしまうという余興本をよく紹介していました。しかしマーフィーの法則とはテレビで紹介され売れた余興本とは少しおもむきの違う成功哲学が本筋なのです。
だからおそらく花粉の本筋というのも花粉症という現象にあるのではなく、やはり森林を大地に繁らすことにあるのだと」そう言うと私は宿主の朗らかな笑みに包まれた柔和な顔を見つめた。
「おそらくそんなところでしょう。やはり思考というものは人間にしか与えられていない。杉の木はただそこにあるだけなのです。だからいまでは箱根では希少な鹿なども存外たくさんいたりするものなのですよ」そう言うと宿主は下宿に戻っていった。私は一旦、2階の部屋に戻ってカメラを取り、また草履を履いて外へと出てみた。鹿が何処かにいるような気がしてならなかった。
杉の木をかき分けて針葉樹の林へと足を踏み入れ、上を見上げるとうぐいすは既に飛び立っていた。駆け足で林を奥へと入っていった。ぐっと切り立った岩の前に鹿はこっちを見て佇んでいた。私は一眼レフのシャッターを何回も切った。フィルムが終わり巻き戻し音がなると鹿は何処かへと去っていった。
東京の出版社に戻ると上司は私の捉えた鹿の写真に満足したようだった。
そして私はなんとか人員整理の危機を逃れることができたみたいだ。
いやそもそも私の人員整理という取り越し苦労こそがおそらく幻だったのである。
その宿は箱根にあった。歩き回りひと気がない場所に高級な幽霊屋敷みたいな風体で周りの生い茂る草木と同一化して建っていた。普段ならそんな辺鄙な宿などには泊まることなどない。しかしその日はちがった。峠を上っていく道路が近くにあったのだが、往来な少なくまだ寒さの抜けない初春の風に落ちた松の葉が飛ばされ、その匂いだけが漂っている。
私にとって3回目の箱根の旅は温泉につかることではなく、山林で鹿の写真を撮ることだった。一眼レフの凸レンズを布巾で磨きながら、朝食が運ばれるのを待った。勤める出版社から久しぶりに命ぜられた出張は生物の参考書に必要な鹿の写真を沢山撮ってこいというものであった。30年も経たのだがすっかり窓際族であり、私は今回の任務はもしかしたらていのいい嫌がらせではないかと勘ぐっていた。社内では人員整理の噂が絶えることなくある。宿の仲居が、静かに階段を上がってくる足音でハッと我に返った。
「白岩さまよろしいでしょうか?」という瑞々しい声に、ふすまを自ら開けた私は驚いた。そこに白米の盛られている茶碗とにしんの塩焼きの皿、ひじきの入った小鉢、そして味噌汁のおわんの入った盆を持って正座していたのは、目もとの涼しげな色白の娘であった。
「君いくつだね?」と聞くと、仲居は「16になります」と言い、機敏な動作で盆を窓際の木机に運び込み「ごゆっくりどうぞ」と音の鳴らぬよう静かに襖を閉めた。階段を下る足音は軽く鍵盤を弾くような音色であった。
私は木机の前に座り、盆の上のひじきやにしんの塩焼きの色味があまり良くないなぁと思ったが食べてみると意外に美味しくすぐに平らげてしまった。とりあえず一眼レフの凸レンズをまた磨きだした。仲居は16と言ったな、私には18かそれ以上の年齢に見えた。あの娘はなぜ、あんなにも透き通っていたのだろう。もしかしたら山林から這い出た狐が娘の姿をしているだけなのではないかと私は思ってしまった。
ホーホケキョとタイミング良くうぐいすが鳴いた。「そうだ」と私の勘ぐりに相槌うっているに違いない。私は盆を持って、ふすまを開けて階段を下っていった。台所にそれを置くと玄関から外に出てみる。
杉の木はうぐいすの立ち位置を確保してあげていて、こちらのことなど全く意に介さずという佇まい。宿主が草履を手に「お客さん裸足では困ります」と私の横に下宿から出てきた。
私は「なぜ花粉が目の敵にされるのに杉の木そのものはこんなにも悠然といるのでしょうかね?」と宿主に草履を履きながら言った。「それは都会の人がアレルギーの原因を花粉に結びつけ過ぎだからじゃないですか?」宿主は老齢に刻まれた深い皺の笑みを浮かべながらそんなことを言った。
私は「そうですか?」と訝しげに尋ねた。
「そうですよ都会には、アスファルトの粉塵や車の排気ガス、アスベストそして単純に塵やほこりもそこらじゅうに舞っています。私はもう何十年もこの杉の木のたもとに暮らしていますがアレルギーを感じたことは実はないのです不思議なものですね」と宿主は言う。
「あなたが特異な体質なのではないですか」と私は少し早口に尋ね杉の木を見上げる。
「いや格別、わたしだけが丈夫であるわけではありません。ほら春先というのは昔からよく風が強いでしょう。春風とか落語家の名前にもなっていますし、なあ、より子、お前もアレルギーになったことなどないよな」と宿主は奥座敷でテレビを見ていた私がさっきまで仲居であると認識していた娘に言った。宿主の孫なのだろうか。いやもしかしたら年老いてから授かった子供なのかもしれない。
より子は「うんアレルギーになったこはないよ」と玄関を越えて外の私たちに聞こえるような大きい声で答えた。極めて健康な娘である。
「なので私はもしかしたら、春の強い風にのった様々な粉塵やほこりが、アレルギーを引き起こしているのではないかと思っています。粉塵に、比べたら花粉は微々たる刺激物です。げんにあなたもいまくしゃみをしていないでしょう」そう宿主が言う。たしかに私は杉の木がすぐそこにあるのに鼻がうずくことはない。元々花粉症になったことはなかったが、ひどく苦しむ友人がいたので、宿主の話をまだ信じることはできなかった。
「たしかにそうかもしれません。いわゆるプラシーボ効果というやつですね。以前マーフィーの法則という本がありました。テレビではネガティブなことを考えると自ずとそうなってしまうという余興本をよく紹介していました。しかしマーフィーの法則とはテレビで紹介され売れた余興本とは少しおもむきの違う成功哲学が本筋なのです。
だからおそらく花粉の本筋というのも花粉症という現象にあるのではなく、やはり森林を大地に繁らすことにあるのだと」そう言うと私は宿主の朗らかな笑みに包まれた柔和な顔を見つめた。
「おそらくそんなところでしょう。やはり思考というものは人間にしか与えられていない。杉の木はただそこにあるだけなのです。だからいまでは箱根では希少な鹿なども存外たくさんいたりするものなのですよ」そう言うと宿主は下宿に戻っていった。私は一旦、2階の部屋に戻ってカメラを取り、また草履を履いて外へと出てみた。鹿が何処かにいるような気がしてならなかった。
杉の木をかき分けて針葉樹の林へと足を踏み入れ、上を見上げるとうぐいすは既に飛び立っていた。駆け足で林を奥へと入っていった。ぐっと切り立った岩の前に鹿はこっちを見て佇んでいた。私は一眼レフのシャッターを何回も切った。フィルムが終わり巻き戻し音がなると鹿は何処かへと去っていった。
東京の出版社に戻ると上司は私の捉えた鹿の写真に満足したようだった。
そして私はなんとか人員整理の危機を逃れることができたみたいだ。
いやそもそも私の人員整理という取り越し苦労こそがおそらく幻だったのである。