エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

一般人ブロガーになるべく邁進するのみです

2013-04-22 17:32:58 | エッセイ
たぶん僕は物書きになったりはできない。書くことでお金を稼いだりできる能力は僕にはないといまそんなことを思った。いい意味での諦めで、作家になると意気込んでいた自分の甘さを恥じたい。たとえば本はやはり読まれてしかも読んだ人になんらかの価値みたいなものを与えるから代価を得られるのだと思い、僕には人をエンターテイメントさせるような刺激溢れる話しとか学術書ほどの高度な知識の詰まった物も書けない。悔しいけれどそれが現実であり、ポジティブに諦めたい。
でも僕は気付いたんだ。4年前でも3年前でも文章自体が書けないときに、一般人でもブログを書ける人を羨んだり憧れたりしていた。僕は別にたいそうな物も書けないし、いまだに文章は苦手だけど、もしかしたらいまブログを書くことに僕の生きる意味はあるのではないのかもしれないと思った。
本はそのメッセージが届くのにとても手間がかかるゆえに、やはり内容も詰まっていて高度であったりエンターテイメントしていなければならない。
だけれどブログは、そんなに高度である必要はなく、すぐメッセージが届く。もちろん見てくれている人がいればの話だけれど、だから僕は作家になんかなれないけれど、一般人ブロガーとして遠くの友人とか身近な人になんらかの価値を発信できれば、もうそれでいいかもしれないと思った。やはりそう思わせてくれたのは三宅ひとみちゃんことひぃちゃんのhealing spaceを見ていた時だった。もちろんひぃちゃんのブログである。
ひぃちゃんのブログからはじまった僕の書くというダイナミズムな冒険はやはりあくまでブログの中でしていこう。あまり役に立たなくても割とすぐに必要な人に安全だったり安心だったりのメッセージを届けられたのなら僕の生きる意味もそれなりにあるのかもしれない。だからあえて作家になってやるなんてもうやめて、一般人ブロガーとして良い記事を日々発信できたらいいのではないかと思った。
下手くそな絵でも文章でもブログというおもちゃ的な文章フォーマットであっても僕はそこに価値を見出したい。
だからこれからは一般人ブロガーとして良い記事をなるべくたまに発信しようかなぐらいな感じでやっていこう。
32歳にも今年はなるのだし、コンビニかスーパーの品出しでも久しぶりにバイトでもするかな~。なんかそんな風に思った。というか思えた。きっと色んな人のお陰だ。ブロガーなんて作家よりも格好悪い響きだけれど、ブログというフォーマットであっても文章を書くということには変わらないのだし、僕はやはり即時性を求めてしまう。フリーに誰でも見れるようなブログでフリーな事をある程度の責任で書いていく事が僕にはおそらくあっているのだろう。なぜなら僕は20代のほとんど、とくに20代の前半は人と交流することそしてその関係になんらかの意味があることを味わった。小説なんてほとんど読んでいなかった。いつも人と話していた。そして自分の抱えていた病のようなものもだいぶ柔らいだ。いろんな人のお陰であった。両親もそう姉もそう交流場所の代表の方もそう交流場所のメンバーの方々もそう。沢山の人との出会いと別れがあって交流があって話したりすることがあって自分をそれなりに客観視することができた。もし一般人のブログが誰かの心に少しでもお役に立てたのなら、僕は自分のことをブロガーだ!と宣言しちゃおうと思う(≧∇≦)☆♪!