エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

日記 6月14日(金曜日)皮膚と書くこと痩せること歩くこと

2013-06-14 19:38:31 | エッセイ
自転車で隣町まで久しぶりにいってきました。太陽がサンサンと照ることを意識することもできないくらいにもう暖かさは雨のあとだって安定して存在していて、ブックオフ店内を歩き回ってなまっていた身体をウォームアップしたわけです。
くまくまちゃんという絵本が100円で売ってたけど買わずに出ました。定期的に訪れるクマブームに翻弄されながらいまはくまモンという謎のゆるキャラに戸惑いを隠せないのです。何であんなにくまモンは黒っぽいのでしょう?野生のデフォルメされないクマを新しいキャラクターとして生み出したことは発想の妙ですがここまではたして人気が出るような代物かな!?とも懐疑もします。くまくまちゃんという絵本は2001年に出版された絵本でリラックマより前のくまキャラクターでけっこうぼくは気に入りました。源流はテディーベアーとかくまのプーさんなんだと思うけれど、最近までに映画のTEDとかも含めてずいぶんとたくさんのくまキャラクターが世にでている。有名、無名問わずに。くまくまちゃんという絵本は有名ではないどちらかというと無名のくまキャラクターですが、Amazonのレビューをみたらなかなか良かったわけです。これからもくまキャラクターは定期的に新しく産み出されていく。くまモンの次はあと何年後にどんなものが出るのか楽しみであります。
cwニコルさんの本を読んでクマは共生すべきかけがえのない動物なのだけれど、やはり攻撃力のある危険な動物でもあるということがよくわかります。
極真空手のウィリーウィリアムスが闘っていたくまは麻酔などでだいぶその戦闘能力が下げられたのだと何かの本かネットページで見たのですが、真相はよくわかりません。でもなかなかいくらヘビー級の格闘家でも素手で倒せるほどに野生のくまは、安全な存在ではない気がします。
ブックオフを出てからはコンビニに寄って家に帰ってきました。自転車の後輪はパンク寸前。もう空気がほとんどなく自転車屋に行こうか判断が難しいところです・・。
あまりの暑さにあせもが背中や胸や腕などにできてかゆい。ムヒホワイティーを塗ればもしかしたらそのかゆみは治まるかな。

とりあえず、シャワーを浴びて皮膚科でもらった薬を全身に塗り塗りしました。アマチュア相撲並みに体表面積が多いので塗るのにとても疲れます。
昨年の夏は頭皮のあせも(湿疹)で苦しみました。太ってからは毎年、夏は肌のかゆみとのたたかいです。太るとやはり皮膚が伸びて毛穴が開いてそれがかゆみの原因になり、肌が荒れやすくなる。ぼくの場合は荒れているどころではなく湿疹やあせもと皮膚科で治さないといけないのですが、関取も近くで見るとお肌はあまり綺麗でないとか。
アマチュア相撲体型としてはやはり皮膚が荒れて汚肌になってしまいました。夏の本番はムヒホワイティ、皮膚科の軟膏薬、市販のかゆみ止めと塗り塗りするものが多くて大変そうです。ももの葉エキスとかもたまにかけたりあとKOOLボディーシートとかで肌を安定させなくてはなりません。保湿が大切らしいですが女子ではないし、またタバコも吸ってしまうのでけっこうずさんな肌管理になりがちです。開いた毛穴にタバコの煙が染み込んでそれをニコチンの付着した指・爪で掻いてしまう。部位によってはちょい出血します。でも最近は薬やエアコンの温度調節とタバコの本数制限や食事をなるべく気を付けるようにしてからましにはなりました。
野菜ジュースよりも生野菜を食べると肌はだいぶ短期間安定するのですが、やはり肉や米が好きで怠りがちで駄目ですね。とにかく痩せれば、100kgを切ればたぶん、かいかい虫は治まると思いますので頑張ります。
アトピーでは子供のころなかったから湿疹だとは思うけれど、皮膚科の医者にはアトピーみたいなもんだと言われています。昔から温室育ちなので(・・;)
刺激には敏感なのです(・・;)たぶん・・。だから夏はぼくにとってはけっこう厄介なんです。夏に生まれたのですけれどね・・・。まだ痩せていたころは薄着の女性を街で見かける喜びに打ち震えるようなことか多かったのですが、いまのアマチュア相撲体型になってからは完全にアトピー的な湿疹の辛さとその肌管理の大変さに夏がきてしまったか・・・。と思っているのです。
冬の方が好きになってしまった。前からそういう傾向はあったのですが、冬は暖房をほとんどつけなくても過ごせます。でも夏はクーラーなしには過ごせません(・・;) 過ごせないというのは温室育ち小僧(@_@)!的な言い訳をはらんだことなのですが、東京は世界的にも夏の体感温度が高いんです。アスファルトの照り返しや交通量や建物の密度が関係しているのでしょう。ニューヨークの気温とだいたい似てるとか!?
深夜のNHKラジオで聴いた事があるのですがほんとのとこはどうなのかはわかりません。

そんなわけで夏は、皮膚・肌管理にとても神経を使わざるを得ないわけです。タバコをやめて、100kgをきるくらいに痩せてしまえば、たぶんそんな大変さはかなり軽減すると思うのでやはり今年も頑張ります(・・;)!
文章を書くことが今年は運がいい事に加わったのでなんとかなりそうな気もします。文章を書くことに集中すると肌を掻くことが減ります。まさに言葉の綾であり、ダジャレですがこれが、嘘から出た誠のようにあっていたりするんです。
言霊とも言うくらい、言葉はやはり不思議なものであるのだと思います。
痩せること、書くこと、歩くことが今年の夏の相変わらずの目標です(@_@)!
♪( ´θ`)頑張ります☆!

日記 6月13日(木曜日)

2013-06-14 01:25:51 | 日記
自分の性格の偏りをすこしでもマシにする為に、原稿用紙にせよWeblogにせよ書き続けることをしなくてはならないと強くきょう思いました。
雨がしとしとと降っていて、ブックオフに行ってきたのですが目当ての本はありませんでした。雨が降ると落ち着く日もあれば、面倒くさいと思う日もあり天気も人の心も変わりやすいと感じ、秋の空のように女性も男性もその心性は無常(常ならぬ)なのだと梅雨を想っても理解させられるわけなのです。
あと5年はこれからも書き続けることをしなくてはならないと強く思いました。書くことになんの意味があるのかわからないけれど自己治癒のアプローチとして選択し続けなくてはならない人間なのだとぼくは自分のことを思います。性格的な偏り(凸凹)を平板化する為には心象風景を文字に書き出して、客体視してみなくてはぼくの場合前に進めない。
それができた時はじめて社会人として本質的な自立ができるような気がする。ぼくはまだまだあまちゃんだし、未熟であり力がないのです。
このままなにもしなくてそのまま死んで行くのも人生ですが、書き出してせめてまともな人間になってから死にたい。でないと駄目な気がする。
絶えず学ぶ事は、センスとは相反することの方が多いかもしれないが、生きるためにぼくは書き続けるし、書かなくてはならない気がする。
Weblogでも原稿用紙でも同じこと。小説でもエッセイでも日記でもとにかくノスタルジーをアイデンティティーへの足掛かりに変換しながら生を推し進めてゆくにはペンにしろ、iPhone4にしろどっちでもいいから書いていくしかない。その先には別に何もないだろうし、目指しているのは日常であり普通の生活である。
惑わされやすいけれど、今後も他人に汲みする事なく自分の為に5年は書き続けなくてはならないと思っています。運命というより宿命に近い事柄がぼくにとって書くことになるのかもしれない。
でもそれで他人への価値が生み出せる訳ではないけれど。
過信はせず、自己卑下もせずやれたらもっと視野が広くなるかもしれない。
つまらないもしくは下手なもしくは駄目な散文であってもそれをしていかなくてはいかないくらい見えない壁に囲まれている。
それらは一見親切なのだが、とても残酷な壁であってぼくはいつもそれにたくさんの事を阻まれてきた。
しかし自己の視野をより解放できたのなら狭い窓からも大きな世界が見えてそれを描写することもできるようになるかもしれない。
とにかくもうあんまり人に期待せずに頑張りたい。
相変わらずの混乱はぼく個人ではなく社会全体に覆っているような気がする。それはぼくの気のせいだろうか?