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プロボクサー 輪島功一氏から学ぶこと

2010-04-12 09:23:14 | 日記
写真は未来への贈り物 「写真好きみんな仲間」
デザインフォトムービー Photo Produce の お茶目な今井です

過日 良くいく喫茶店で プロボクサー 輪島功一氏の対談記事を
呼んだ 今では団子や「だんごの輪島」で有名 芸能人の物まねで
お笑いの貴重な存在になってもいます 

   

私の15歳の時 彼は25歳でプロデビューし 何と3年という短い期間で
1971年10月31日 世界初挑戦。WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者
カルメロ・ボッシ( イタリア)に挑み 
15回を戦い判定勝ちで 世界王座を獲得した

この時のことが記事に載っていたのです

ボッシはローマ五輪の銀メダリストであり いわゆる距離をとって戦う正統派の
カッコいいボクサー 誰もが輪島に勝ち目はない・・・と思われていた

彼の負っていたハンディーは
①25歳からのボクサーーでアマチュア経験もない 素人と言われていた
②リーチの短さ 同志討ちになっても相手のパンチが先に当たる
  ダメージは大きい

彼はこれを克服するための秘策として「カエル跳び」なるフェイントで
パンチを浴びせかけたのであった

18歳の血気盛んな私は ボクシングといえば学習塾を休んででも必ず
TVの前にいた その時の光景が思い出される・・・
試合中 腰を落としたとき 終わる・・と思っていたことを

この記事によれば輪島氏は「腰を低くすることで相手のパンチを受けず
低い姿勢から一気に飛びあがって襲いかかる」これを作戦として
臨んでいたということだ

そして彼の言葉に
「必死になって知恵を絞れば不可能を可能にすることができるんだなって・・・」
体力は有限だが 千恵は無限である 先入観や固定観念を捨てたとき
新しい可能性が開けてくる・・と

益々彼のことを知りたくなった
彼は樺太生まれ3歳の時ソ連領となるのと同時に 父母と北海道へそして養子に出された
中学の頃夕方から朝までイカ釣り漁船で働き 昼間は学校で居眠り・・・
この頃からスタミナと根性は並外れていた・・・

ボクシングジムの会長は
「苦労人にありがちな暗さがなく ひょうきんなところに人が集まって来ていた」と

現在の日本 ぬくぬくと居心地の良い環境で生活してきた私たち
そして何かに脅え卑屈になってる前に

輪島氏の言う
「必死になって知恵を絞れば不可能を可能にすることができるんだ」を
心に刻んでいきたいものだ