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終戦記念日

2010-08-16 07:16:10 | 日記
写真は未来への贈り物 「写真好きみんな仲間」
デザインフォトムービー Photo Produce の お茶目な今井です

毎年やってくる8月15日 終戦記念日
悲惨な戦争の終結の喜ばしい日と いうにはあまりにも悲しい

戦後65年を迎えたこの年
今迄頑なに 口をつぐんでいた老人たちが やっと言葉を
揚げるようになってきた

正しく判断できる年齢を20歳としたなら その語りべの年齢は
85歳以上の方々・・・・

南の島の戦地では 生きて捕虜になること自体が許されず
飢えるか自決かの選択であったという
逃げるのに 病気の者 身動きできないものは 列から離れさせられ
銃の音が聞こえたとも・・・・
生きることも・死ぬことも苦渋の中での出来事である

ゆえに 自決もできず生き残った人は自ら戦争の日悲惨さを
語ることができなくなってしまったことは 理解できよう

1972年グアム島で生きていた 横井庄一氏は 帰国の際
「恥ずかしながら生きて帰ってまいりました」と語った
今から30年前のことだ・・・・・
負け戦の中で 生きていることがいかに重罪なのかを
思い知らされる・・・・・

玉砕と聞くと南の島を思い浮かべてしまうのだが
アラスカからロシアのカムチャッカ半島にある「キスカ島」も
悲惨であった 本国から 食糧・銃・弾薬・要員を要請するも
拒否され・・・実質的な玉砕命令・・・日本から見捨てられても尚
圧倒的な力を持つアメリカと 見捨てられた日本国と狭間で
生き延びることは 今の日本の生活では計り知れないこと

我家の亡くなった父は 国内で海外派兵の命令書の発行をしていたという
中には 長男で泣きわめく兵士も・・・・・
実は 生活環境等を見ながら順番を決めていたとも聞いたことがある

母からは 飛行機の機銃掃射が逢った時
危ないのは前方45度の角度に入った時・・・・
動けば 動いた方向に機銃を掃射してくる為
身動きせずじっと伏せていることしか出来なかったと

幸いにも昭和3年生まれの母は まだ健在である
今も内に 戦争の中での国内の実情を
聞いておこうと思う