今朝、ジャックの散歩をしている時に
近くの小学校の横を通ったら
どうも運動会当日のようで、
父兄の方々が集まり、場所取りを始め
校門前には警備の方も出て交通整理をしていました。
校庭にはテントが張られ
跳び箱や大玉ころがしの玉がいくつもスタンバイ。
運動会準備はもう、ばっちりといった感じでした。
そういえば。自分も〇十年前
こういう親が見に来てくれるような行事の時は
一種独特の雰囲気にテンションも上がり
なんともいえない気分になっていたことを思い出しました。
なんと表現したらよいのか、適切な言葉が見当たりませんが
いつも家にいる時の自分とは違う自分を
親(母)に見せる、見られることの誇らしさ。
大勢の中で私だけを母が見てくれている嬉しさ、喜び。
なんかそういう気持ちだったように思います。
誰よりも背筋を伸ばし、動きも機敏にして。
しゃんとしている様子を
母は歓んで見てくれている。。。そんな思いでした。
ま、二つ上の兄がいますので「私だけ」なんてことは
実際にはなかったのですが。
母が亡くなって17年。
ホントの所を確認する術はもうありません。
運動会といえば
母の最後の運動会を記念の一冊にまとめたことを思い出しました。
母は保育園の園長をしており
今年いっぱいで定年、という年の運動会、最後の運動会。
有給を取って専属カメラマンをしました。
当時私はサービス業に就いていたので
土曜日曜は出勤が当たり前。
でも、なんとなく撮っておかなければと休みをとって行きました。
園長だったので、
来賓対応やPTAとのやり取り、最初の挨拶など
表舞台や裏舞台、
忙しく動き回る母のさりげない表情やしぐさを
ストーカーのように(笑)撮ってまわりました。
母へのプレゼント、自分なりにまずまずまとまったかな。
今のようにデジカメがまだ普及しておらずフィルムの時代です。
フォトブックみたいに良いものはまだないので
手作りの小さなアルバムでした。
結局その約8か月後に母は亡くなり
遺影を選ぶ際、
その運動会の時のとても良い、母らしい表情が好きで
イチオシしましたが、選ばれず別の顔が遺影になりました・・・。
可愛そうに思ったのか周囲の大人がもう一つそれで遺影を作ったらいいよ、
「その代りこれから先、どこに引っ越してもお嫁に行っても
その写真は持っていくんだよ」と。
私だけの遺影になりました。
もちろん今もこの家にあります。
あの時のアルバム、きっと母は喜んでくれていたんだと思いますが
どんな反応だったのかよく覚えていません。
生きていれば色々確認したいことや聞いてみたいこと、
たくさんあるのですが。多くはわからないままです。
近くの小学校の横を通ったら
どうも運動会当日のようで、
父兄の方々が集まり、場所取りを始め
校門前には警備の方も出て交通整理をしていました。
校庭にはテントが張られ
跳び箱や大玉ころがしの玉がいくつもスタンバイ。
運動会準備はもう、ばっちりといった感じでした。
そういえば。自分も〇十年前
こういう親が見に来てくれるような行事の時は
一種独特の雰囲気にテンションも上がり
なんともいえない気分になっていたことを思い出しました。
なんと表現したらよいのか、適切な言葉が見当たりませんが
いつも家にいる時の自分とは違う自分を
親(母)に見せる、見られることの誇らしさ。
大勢の中で私だけを母が見てくれている嬉しさ、喜び。
なんかそういう気持ちだったように思います。
誰よりも背筋を伸ばし、動きも機敏にして。
しゃんとしている様子を
母は歓んで見てくれている。。。そんな思いでした。
ま、二つ上の兄がいますので「私だけ」なんてことは
実際にはなかったのですが。
母が亡くなって17年。
ホントの所を確認する術はもうありません。
運動会といえば
母の最後の運動会を記念の一冊にまとめたことを思い出しました。
母は保育園の園長をしており
今年いっぱいで定年、という年の運動会、最後の運動会。
有給を取って専属カメラマンをしました。
当時私はサービス業に就いていたので
土曜日曜は出勤が当たり前。
でも、なんとなく撮っておかなければと休みをとって行きました。
園長だったので、
来賓対応やPTAとのやり取り、最初の挨拶など
表舞台や裏舞台、
忙しく動き回る母のさりげない表情やしぐさを
ストーカーのように(笑)撮ってまわりました。
母へのプレゼント、自分なりにまずまずまとまったかな。
今のようにデジカメがまだ普及しておらずフィルムの時代です。
フォトブックみたいに良いものはまだないので
手作りの小さなアルバムでした。
結局その約8か月後に母は亡くなり
遺影を選ぶ際、
その運動会の時のとても良い、母らしい表情が好きで
イチオシしましたが、選ばれず別の顔が遺影になりました・・・。
可愛そうに思ったのか周囲の大人がもう一つそれで遺影を作ったらいいよ、
「その代りこれから先、どこに引っ越してもお嫁に行っても
その写真は持っていくんだよ」と。
私だけの遺影になりました。
もちろん今もこの家にあります。
あの時のアルバム、きっと母は喜んでくれていたんだと思いますが
どんな反応だったのかよく覚えていません。
生きていれば色々確認したいことや聞いてみたいこと、
たくさんあるのですが。多くはわからないままです。