1月18日(金)沼尻竜典指揮 東京都交響楽団
~都響1月定期公演Aシリーズ~
東京文化会館
【曲目】
1.武満徹/弦楽のためのレクイエム
2.武満徹/アステリズム
Pf:小川典子
3.武満徹/系図(ファミリー・トゥリー)―若い人のための音楽詩
アコーディオン:御喜美江/語り:水谷妃里
4.ベリオ/シンフォニア
声楽アンサンブル:二期会マイスタージンガー
都響の1月定期公演は武満とベリオをやるAシリーズ、三善晃やブーレーズをやるBシリーズどちらもひかれたが、Aシリーズを選んだ。
武満の作品で最も上演回数が多いであろう「弦楽のためのレクイエム」、沼尻竜典が指揮する都響の弦はたいへん雄弁。発せられた音の線が微妙に色を変え、温度を変える生き物のよう。全体に柔らかな陰影に富み、深いところへと向かって行くような演奏だった。
続く小川典子をピアニストに迎えての「アステリズム」は武満の意欲作。オケの各パートの素材が全体を作り上げているような曲だが、プレイヤーの巧さが光り、音が立ち、光彩を放つ。小川の澄んだ美しいタッチとしなやかにコントロールされたピアノが全体の光りを際立たせる。
この曲の山でもある終盤の長いクレッシェンドが行きつく眩い音の炸裂とその後に訪れる静謐で柔らかな終結部の見事な対比。似たような効果を狙った現代曲は後に山と書かれているが、1968年に作られたこの作品の斬新さはそれらとは次元の違う鮮やかさを持っていることを認識した。
武満の3曲目は晩年に書かれた「系図(ファミリー・トゥリー)」。初演当時の遠野凪子のピュアな朗読で聞きなれたこの曲だが、水谷妃里の朗読はそれと比べるとずっとマチュアー感が漂う。印象は違うがこれもいい。谷川俊太郎の印象的な詩と色彩豊かで情感溢れる音楽とが織り成す世界は、次々と映し出される静止画を眺めているよう。記憶が定かでないほど幼い頃の埋もれた心象をのぞきこんでいるような、不思議でノスタルジックな世界に連れて行かれる。
前の2曲とは違うロマンティックな雰囲気を漂わせる音楽だが、沼尻/都響の演奏は、遠いノスタルジックな世界をぼやけた情景にはせず、音の輪郭をくっきりと描き、磨かれた凛とした輝きを作り出していた。生々しいほどにピュアな音が心の原風景を鮮やかに浮かび上がらせているようでとても印象的。ホルンやオーボエ、フルートといったソロ楽器、デリケートな弦楽合奏も素晴らしかったし御喜美江のアコーディオンがまた郷愁を誘った。
こうして日本を代表する「世界の武満」の音楽が3曲並んだあとに、西洋を代表する作曲家の一人であるベリオの代表作を聞くと、武満の音楽がいかに日本的であるかということを感じずにはいられない。それは自然と共存し、調和しながら、その中で絶妙なバランスを保ちつつ佇む日本の建築や庭などの美しさと、自然と対峙し、それに打ち勝ち、人間の力を謳歌しているような西洋建築や庭園の華やかさや力強さとの違いに似ている。
過去の名曲の断片を散りばめ一見カオス的なベリオの「シンフォニア」だが、それが実はいかに綿密な計算によって構築され、その積み重ねによって巨大なエネルギーを獲得し得るかということを示したという意味で、今夜の沼尻/都響の演奏は大いに成功していたと言えると思う。
~都響1月定期公演Aシリーズ~
東京文化会館
【曲目】
1.武満徹/弦楽のためのレクイエム
2.武満徹/アステリズム

Pf:小川典子
3.武満徹/系図(ファミリー・トゥリー)―若い人のための音楽詩
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アコーディオン:御喜美江/語り:水谷妃里
4.ベリオ/シンフォニア
声楽アンサンブル:二期会マイスタージンガー
都響の1月定期公演は武満とベリオをやるAシリーズ、三善晃やブーレーズをやるBシリーズどちらもひかれたが、Aシリーズを選んだ。
武満の作品で最も上演回数が多いであろう「弦楽のためのレクイエム」、沼尻竜典が指揮する都響の弦はたいへん雄弁。発せられた音の線が微妙に色を変え、温度を変える生き物のよう。全体に柔らかな陰影に富み、深いところへと向かって行くような演奏だった。
続く小川典子をピアニストに迎えての「アステリズム」は武満の意欲作。オケの各パートの素材が全体を作り上げているような曲だが、プレイヤーの巧さが光り、音が立ち、光彩を放つ。小川の澄んだ美しいタッチとしなやかにコントロールされたピアノが全体の光りを際立たせる。
この曲の山でもある終盤の長いクレッシェンドが行きつく眩い音の炸裂とその後に訪れる静謐で柔らかな終結部の見事な対比。似たような効果を狙った現代曲は後に山と書かれているが、1968年に作られたこの作品の斬新さはそれらとは次元の違う鮮やかさを持っていることを認識した。
武満の3曲目は晩年に書かれた「系図(ファミリー・トゥリー)」。初演当時の遠野凪子のピュアな朗読で聞きなれたこの曲だが、水谷妃里の朗読はそれと比べるとずっとマチュアー感が漂う。印象は違うがこれもいい。谷川俊太郎の印象的な詩と色彩豊かで情感溢れる音楽とが織り成す世界は、次々と映し出される静止画を眺めているよう。記憶が定かでないほど幼い頃の埋もれた心象をのぞきこんでいるような、不思議でノスタルジックな世界に連れて行かれる。
前の2曲とは違うロマンティックな雰囲気を漂わせる音楽だが、沼尻/都響の演奏は、遠いノスタルジックな世界をぼやけた情景にはせず、音の輪郭をくっきりと描き、磨かれた凛とした輝きを作り出していた。生々しいほどにピュアな音が心の原風景を鮮やかに浮かび上がらせているようでとても印象的。ホルンやオーボエ、フルートといったソロ楽器、デリケートな弦楽合奏も素晴らしかったし御喜美江のアコーディオンがまた郷愁を誘った。
こうして日本を代表する「世界の武満」の音楽が3曲並んだあとに、西洋を代表する作曲家の一人であるベリオの代表作を聞くと、武満の音楽がいかに日本的であるかということを感じずにはいられない。それは自然と共存し、調和しながら、その中で絶妙なバランスを保ちつつ佇む日本の建築や庭などの美しさと、自然と対峙し、それに打ち勝ち、人間の力を謳歌しているような西洋建築や庭園の華やかさや力強さとの違いに似ている。
過去の名曲の断片を散りばめ一見カオス的なベリオの「シンフォニア」だが、それが実はいかに綿密な計算によって構築され、その積み重ねによって巨大なエネルギーを獲得し得るかということを示したという意味で、今夜の沼尻/都響の演奏は大いに成功していたと言えると思う。