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ティル・フェルナー ピアノリサイタル

2019年10月18日 | pocknのコンサート感想録2019
10月15日(火)ティル・フェルナー(Pf)
トッパンホール

【曲目】
1.シューベルト/ピアノ・ソナタ第20番イ長調D.959
2.シェーンベルク/3つのピアノ曲 Op.11
3.シューベルト/ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960
【アンコール】
1. シューベルト/楽興の時 第2番変イ長調D.780/Op.94-2
2.シェーンベルク/6つの小さなピアノ曲 Op.19~第6曲

ティル・フェルナーは2014年にマリナー/N響との共演で聴いたモーツァルトのコンチェルトのピアノが非常に好印象で、「リサイタルを聴きたくなった」と感想に書いていた。これを書いたことは忘れていたのだが、その望みが実現したことになる。プログラムはシューベルトの晩年の大好きなソナタ2つがシェーンベルクの無調の作品を挟む構成。フェルナーも含めて全てウィーンの音楽家によるステージとなった。

第20番は堂々とした華やかな導入部を持つ最晩年のソナタだが、フェルナーはスタインウェイから堂々とした華やかさよりも、温もりのある柔らかな音を響かせ、それを大切に包み込むようにして客席に届けた。フェルナーはシューベルトの演奏でこのアプローチを基本姿勢として貫いた。シューベルトの音楽に盛り込まれている様々な気分を、ベートーヴェン的なアグレッシブな対比、対決としてではなく、穏やかな「問い」と「答え」のやり取りとして表現するスタイル。

そして、シューベルトの晩年の作品から聴こえてくる底知れない孤独感や寂寥感よりも、穏やかな語らいを伝える。時代は違えども同郷の音楽家として、作曲家に対峙するという気負いよりも、心の深いところで通じるものがあるよう。このためか、20番の第2楽章の孤独の極みのような歌や、中間部での堰を切ったような慟哭も控えめで物足りなさも感じたが、第4楽章の最後に冒頭のモチーフが再現されたとき、実は音楽全体が常にこの冒頭の主題に見守られていたんだと感じ、じわっと鳥肌が立つ感動を覚えた。全体を俯瞰する包容力に満ちた演奏だった。

これは後半に演奏した21番でも同じ。それぞれのシーンの感情表現に没入してリアルに表現するのもいいが、フェルナーはもっと大きく、そしておおらかに音楽を捉え、全体像を聴き手に伝えようとしたのではないだろうか。この最後のソナタがこんなに平和でいいのだろうか、迷いや孤独や衝動がもっとあってもいいのでは、という気もしたが、大きな存在感のある演奏だった。

プログラムの中間に置かれたシェーンベルクは無調ではあるが、後期ロマン派の香りを色濃く漂わせる音楽で、フェルナーは迷いや苦悶といった悶々とした気分をクローズアップさせ、聴き手の心を引き寄せた。シューベルトへのアプローチよりも深刻さを感じた。

アンコールの「楽興の時」でも、ソナタのときよりも寂しさが心の内面に入り込んでくるのを感じた。最後のシェーンベルクの短い曲は聴衆に問いかけたまま去っていくような感じで、「次もまた聴きに来てね」と言っているようだった。

ティル・フェルナー(Pf)/ネヴィル・マリナー指揮NHK交響楽団(2014.2.20 サントリーホール)
♪ブログ管理人の作曲♪
金子みすゞ作詞「積もった雪」
MS:小泉詠子/Pf:田中梢
金子みすゞ作詞「私と小鳥と鈴と」
S:薗田真木子/Pf:梅田朋子
「子守歌」~チェロとピアノのための~
Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美
合唱曲「野ばら」
中村雅夫指揮 ベーレンコール
金子みすゞ作詞「さびしいとき」
金子みすゞ作詞「鯨法会」
以上2曲 MS:小泉詠子/Pf:田中梢
「森の詩」~ヴォカリーズ、チェロ、ピアノのためのトリオ~
MS:小泉詠子/Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美

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