5月16日(月)エレーヌ・グリモー(Pf)
東京オペラシティ コンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
~ニュー・アルバム『ウォーター』より~
1.べリオ/水のピアノ
2.武満 徹/雨の樹素描 II
3.フォーレ/舟歌 第5番
4.ラヴェル/水の戯れ
5.アルベニス/アルメリア ト長調(「イベリア組曲」より)
6.リスト/エステ荘の噴水
7.ヤナーチェク/アンダンテ (霧の中で)
8.ドビュッシー/沈める寺
♪ ♪ ♪
9.ブラームス/ピアノソナタ 第2番 嬰へ短調 Op.2
【アンコール】
1.ラフマニノフ/音の絵 Op.33-2
2.ラフマニノフ/音の絵 Op.33-3
3.ショパン/エチュード(遺作)
エレーヌ・グリモーは、世界の名だたる指揮者やオーケストラと共演を重ね、大活躍を続けている。チャーミングで魅惑的な容姿も手伝って、今や人気絶頂のピアニストだ。演奏歴も長いが、実演に接した覚えはない。家でCDを真面目に聴くことが滅多にない僕は、グリモーがどんなピアニストなのか知らないままだった。アバドとのトラブルで話題になったことでも興味はあったし、N響と共演したブラームスのコンチェルトで強い意思を感じる堂々とした演奏をテレビで観てからは、実演を聴いてみたいと思っていた。 日本でのリサイタルは5年ぶりとのこと。
プログラム前半は、先ごろリリースされたグリモーのアルバム、「ウォーター」から8曲が選ばれた。「水」にちなんだ音楽を並べ、殆ど曲間で間を置かずに弾き進んだが、まずグリモーのピアノの音の美しさに耳を奪われ、迷いのない音楽への真っ直ぐなアプローチに引き込まれた。
「ウォーター」にちなんでピアノの音を水に例えるなら、透明度抜群の冷たい水で、ミネラルをたっぷり含んだ「おいしさ」がある。その水はとめどなく湧き出て、決して淀むことなく縦横無尽に行き渡り、辺りじゅうを豊かに潤す。岩間をしぶきを上げて勢いよく流れ落ちる水のように潔く、しかもその流れは一本の単調な流れではなく、水の一粒一粒が生き物のように踊ったり跳ねたりして、多彩な姿を見せてくれる。
イメージはあくまで清新にして清澄。それが武満の世界などにはとてもマッチする。タッチの鋭さと強靭さも只者ではない。堂々たるフォルムと輝かしい鳴らしっぷりは、ホロヴィッツばりなんて言ったら言い過ぎだろうか。フォーレの「舟歌」など、しなやかで多層的な構造がくっきりと浮かび上がり、輝きを放っていた。
「エステ荘の噴水」は、庭園の至るところで繰り広げられる水のパフォーマンスが、 太陽 に照らされて光り輝く様子が鮮やかに描かれ、虹色の眩しい光に照らされた極楽浄土のような夢幻の世界を見る思いがした。その反面、最後の「沈める寺」でのあっけらかんとした表現には、もう少し奥深く深遠な空気に浸りたい気がしたが。
後半のブラームスも、グリモーのアプローチは前半同様に堂々と、輝かしく、美しい音を鳴らしまくった。クララに恋をした若きブラームスの溢れる真っ直ぐな思いを表すには理想的な演奏なのかも知れない。ただ、ブラームスの若書きの作品でも、ナイーブで屈折した感情や、一種のクセのある濃厚な香りも存在するはずだが、それらもとにかく明瞭闊達に、誇らしく輝かしく片付け、聴き手を圧倒した。
グリモーの音は全てが外向的。弱音であっても内に沈み込むことはなく、はにかむこともなく、常に「外」を向いているように感じた。何分、グリモーを聴くのは初めてなので、これまでのこのピアニストの変遷の過程は知らないが、コンクールで優勝して輝かしいデビューを飾ったばかりの新進気鋭のピアニスト、というイメージを持った。
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1.べリオ/水のピアノ
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3.フォーレ/舟歌 第5番
4.ラヴェル/水の戯れ
5.アルベニス/アルメリア ト長調(「イベリア組曲」より)
6.リスト/エステ荘の噴水
7.ヤナーチェク/アンダンテ (霧の中で)
8.ドビュッシー/沈める寺
9.ブラームス/ピアノソナタ 第2番 嬰へ短調 Op.2
【アンコール】
1.ラフマニノフ/音の絵 Op.33-2
2.ラフマニノフ/音の絵 Op.33-3
3.ショパン/エチュード(遺作)
エレーヌ・グリモーは、世界の名だたる指揮者やオーケストラと共演を重ね、大活躍を続けている。チャーミングで魅惑的な容姿も手伝って、今や人気絶頂のピアニストだ。演奏歴も長いが、実演に接した覚えはない。家でCDを真面目に聴くことが滅多にない僕は、グリモーがどんなピアニストなのか知らないままだった。アバドとのトラブルで話題になったことでも興味はあったし、N響と共演したブラームスのコンチェルトで強い意思を感じる堂々とした演奏をテレビで観てからは、実演を聴いてみたいと思っていた。 日本でのリサイタルは5年ぶりとのこと。
プログラム前半は、先ごろリリースされたグリモーのアルバム、「ウォーター」から8曲が選ばれた。「水」にちなんだ音楽を並べ、殆ど曲間で間を置かずに弾き進んだが、まずグリモーのピアノの音の美しさに耳を奪われ、迷いのない音楽への真っ直ぐなアプローチに引き込まれた。
「ウォーター」にちなんでピアノの音を水に例えるなら、透明度抜群の冷たい水で、ミネラルをたっぷり含んだ「おいしさ」がある。その水はとめどなく湧き出て、決して淀むことなく縦横無尽に行き渡り、辺りじゅうを豊かに潤す。岩間をしぶきを上げて勢いよく流れ落ちる水のように潔く、しかもその流れは一本の単調な流れではなく、水の一粒一粒が生き物のように踊ったり跳ねたりして、多彩な姿を見せてくれる。
イメージはあくまで清新にして清澄。それが武満の世界などにはとてもマッチする。タッチの鋭さと強靭さも只者ではない。堂々たるフォルムと輝かしい鳴らしっぷりは、ホロヴィッツばりなんて言ったら言い過ぎだろうか。フォーレの「舟歌」など、しなやかで多層的な構造がくっきりと浮かび上がり、輝きを放っていた。
「エステ荘の噴水」は、庭園の至るところで繰り広げられる水のパフォーマンスが、 太陽 に照らされて光り輝く様子が鮮やかに描かれ、虹色の眩しい光に照らされた極楽浄土のような夢幻の世界を見る思いがした。その反面、最後の「沈める寺」でのあっけらかんとした表現には、もう少し奥深く深遠な空気に浸りたい気がしたが。
後半のブラームスも、グリモーのアプローチは前半同様に堂々と、輝かしく、美しい音を鳴らしまくった。クララに恋をした若きブラームスの溢れる真っ直ぐな思いを表すには理想的な演奏なのかも知れない。ただ、ブラームスの若書きの作品でも、ナイーブで屈折した感情や、一種のクセのある濃厚な香りも存在するはずだが、それらもとにかく明瞭闊達に、誇らしく輝かしく片付け、聴き手を圧倒した。
グリモーの音は全てが外向的。弱音であっても内に沈み込むことはなく、はにかむこともなく、常に「外」を向いているように感じた。何分、グリモーを聴くのは初めてなので、これまでのこのピアニストの変遷の過程は知らないが、コンクールで優勝して輝かしいデビューを飾ったばかりの新進気鋭のピアニスト、というイメージを持った。
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