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バッハ・コレギウム・ジャパン:バッハのモテット全曲演奏会

2009年06月10日 | pocknのコンサート感想録2009
6月10日(水)バッハ・コレギウム・ジャパン 第85回定期演奏会
~J.S.バッハ モテット[全曲]~ 
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
J.S.バッハ/モテット~ 
1.「御霊は我らの弱きを支え助け給う」BWV226
2.「おおイエス・キリスト、わが命の光よ」BWV118
3.「恐れるな、私はあなたと共にいる」BWV228
4.「イエス、わが喜びよ」BWV227
5.「私はあなたを離しません、私を祝福してくださらなければ」BWV Anh.159
6.「主を讃えよ、すべての異邦人よ」BWV230
7.「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229
8.「歌え、主に向かい新しい歌を」 BWV225 +

【演 奏】
S:野々下由香里、松井亜希/カウンターT:ダミアン・ギヨン/T:水越啓/B:ドミニク・ヴェルナー
鈴木雅明指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン


バッハのモテットの全曲演奏会というのはとても珍しいが、演奏時間的にも1回の演奏会分にぴったりだし名曲揃いだし、BCJが今までやらなかったのが不思議なくらい。折りしもこの演奏会のチケットを買ったあとに久々に夫婦で合唱のステージに乗ることになり、その曲目がバッハのモテット(BWV225と229)というタイムリーな巡り合わせとなった。

バッハのモテットの多くはバッハの作品のなかでは珍しく作曲当時から途切れることなく歌い継がれてきたということだが、今夜のBCJによるこの全曲演奏はそんなモテット演奏の歴史の中でも一際輝きを放っているのではないかと感じる素晴らしいものだった。

多くが葬儀のために書かれたと推測されているバッハのモテットは、死への恐れから最後には解き放たれ、神に身を委ね永遠の命を授かることへの感謝で閉じるという、見方によってはドラマチックなものだが、BCJの演奏からはことさら死への恐怖を煽ったり、逆にまた神様に召される喜びを強調したりといった、いわゆる演出効果的なものではなく、死と直面した人間の弱さやはかなさ、それゆえに神という大きな存在に身も心も委ねたいという純粋で謙虚で敬虔な祈りが伝わってきた。

そこには聖句を含むテキストの「言葉」に払われる細心の気配り、ひいては演奏者一人一人の心の持ち方まで関わってくる言葉への思いやりが根幹にあるように思う。更にはそうした言葉の魂をいかに音に乗せて聴くものに届けるか、ということへの鈴木雅明とBCJのメンバーの取り組みの結晶が、聴く者の心のひだの深くまで入り込み、敬虔な祈りとなって「救済」へと導いてくれるのではないだろうか。

BWV118「おおイエス・キリスト、わが命の光よ」の全曲を支配する癒しと安らぎ、BWV227「イエス、わが喜びよ」での悪しきものに立ち向かう決然とした信仰告白、BWV230「主を讃えよ、すべての異邦人よ」の最後に出てくる”Ewigkeit”(永遠)という言葉に乗って響く永遠の平安、BWV229「来たれ、イエスよ、来たれ」から伝わる人間の苦悩と、そこから解き放たれて満ち足りた気持ちで死を受け入れる人の静かな姿… どのモテットからも深遠でデリケートなメッセージが「光」を伴って届いてきた。

そしてプログラム最後に置かれたBWV235「歌え、主に向かい新しい歌を」 では眩いばかりの光が放たれ、それまでの静寂な世界から一転して溢れんばかりの活き活きとした「命」の謳歌が聴こえた。第2曲ではコラールは合唱で、自由詩のアリアはソリスト達によって歌い分けられ、会衆と内なる声とのデュエットが音響的にも明確に表現されていた。そして最後の"Alles, was Odem hat"(全ての息あるものよ…)での躍動感!ブランデンブルク協奏曲第3番の第3楽章にとても良く似ていることに気がついたのは、軽快なスピード感あってのことだろう。鈴木雅明の明確なコンセプトとメンバーの心と技が一体化した「饗宴」に酔いしれた。モーツァルトがこれを聴いて感動したというエピソードがあるが、モーツァルトにこの演奏を聴いてもらいたい!

バッハのモテットはどのような楽器伴奏が付いたか、そもそも楽器演奏が伴われたかということも不明な点が多いということだが、BCJの演奏では鈴木雅明氏によれば「BWV225、226、228については、BWV226の資料を基にして、第1群には弦楽器、第2群には管楽器を重ね、その他のものは弦楽器と通奏低音によって種々の組み合わせを…」(プログラムより)ということで多彩な楽器編成で演奏された。これは響きという点でも、歌詞の内容を明確に伝えるという点でも非常に好感が持てた。これも長年培ってきた研究成果の賜物なのだろう。

このような演奏に接すると、譜面に、そしてテキストに真摯に向き合うことがいかに大切であるかということを改めて実感し、自分達も合唱に加わって同じ曲を歌うに当たって、アマチュアであることに甘んじてそうした「勉強」を怠ることはやはり許されない、という思いを強く持った。

コール・ヴァフナ 第25回記念定期演奏会

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