2021年 9月7日(火)
パラリンピックって素晴らしい!
パラリンピック、素晴らしかった。パラがこんなエキサイティングで楽しくて感動できるスポーツイベントだったなんて。恥ずかしながら、今までパラはオリンピックのオマケぐらいの認識しかなかった。
オリンピックは東京で開催されたのに、観戦もできず自分のなかで不完全燃焼のままだったこともあり、パラも観てみようという気になった。こちらも観戦の道は閉ざされてしまったが、テレビで観ているうちに日に日にハマってきた。最初は「障害を抱えているのに凄いな~」という「感心」だったのが、競技そのものに夢中になり「感動」に変わっていった。ドキドキしながら画面に見入っていて、「そういえば選手たちはそれぞれ大変な障害を抱えていたんだっけ…」とふと気づく。障害のことを忘れて競技そのものに夢中になっていた。
こんなレベルにまで到達し、更に上を目指している選手たちがパラリンピックの舞台に立っていることに気づくと、益々競技から目が離せなくなった。ジーンとくる瞬間が何度もあった。
輝くアスリートたち
印象的だったのは、笑顔がステキなアスリートが多かったこと。真剣勝負を楽しんでいるようにも見える。僕たち凡人の感覚とは別次元の世界を持っているのかも。ブラインドサッカーを観て、目が見えないのになんでこんなことができるんだろう、と驚いたが、目の不自由な人には、見える人が見えていない世界が見えているのだ。障害を抱えつつも、失ったもの以上に豊かな世界を獲得して輝けるということを教えられ、「障害者は不自由」というこれまでのイメージが間違っていることに気づいた。そのことで、障害者が生きやすい社会の仕組み作りやインフラ整備、助け合いの大切さも実感した。
パラも終盤の頃、お台場で開催されていたパラリンピック・ファンパークを訪れた。会場はビックリするほどガラガラ。存在自体が殆ど知られていなかったのでは。でも楽しかったし役に立った。杉村をはじめ、日本が大活躍して話題になったボッチャを実際に体験してゲームの楽しさと奥深さを知ったり、競技用車椅子に乗って操作性の高さを体験したり、パラがより身近な存在になり、競技への関心も高まった。
ファンパークはガラガラ
子供たちも親たちもボッチャに夢中だった
ボッチャは様々な重さや硬さの玉を使い分ける頭脳ゲームでもある。
試合の結果は僕たち赤の勝ち!
テニス用(左)とバスケ用(右)では仕様が異なる
車いすテニスの上地や大谷、そして国枝。本当に凄い試合をしたしカッコよかった。男子バスケットボールのスピードと高度な技にもしびれた。アメリカとの決勝戦での日本の大健闘、負けて超悔しかったのは、「障害があるのに頑張ってる」というレベルを超えて試合にのめり込んだからだろう。悔しかったけど本当に感動の試合だった。香西、鳥海、藤本… 何人もの素晴らしいプレイヤーの名前も胸に刻まれた。こういう試合をもし観客席で観ることができたら、興奮も感動も衝撃的だったんだろうな。選手だって、拍手と歓声に包まれたなかで競技ができたら更に輝けたはず。無観客となった代償は計り知れない。
子供たちの未来を潰した学校観戦の中止
それでも、パラリンピックでは小中学生の学校観戦が認められたのが救いだった。それなのに、観戦を中止にしてしまう自治体が相次ぎ、実際に観戦したのは予定の半分以下とは。おまけに千葉県は、ある学校の引率教員が陽性だったという理由で、知事が県の学校観戦を全て中止にしてしまった。陽性者を罪人として吊るし上げ、連帯責任を全体に強いるようなことが教育の場で行われるなんて。これに対するSNSなどのコメントが「当然の決定」といった声で溢れたのも驚きだった。ウイルスに感染していなくてもウイルスに洗脳されてしまった人たち。こんな人たちの声で、子供たちが豊かな感受性で多くを吸収し、未来に羽ばたく絶好のチャンスを奪ってしまった日本の社会に戦慄さえ覚える。
ニュースで読んだある学校長の「PCR検査を受け、定員の半分以下でバスを利用し、競技会場もほぼ貸し切り。普段の学校生活よりも感染リスクは低いと思う。イメージで『感染を広めるのか』と批判されているよう」という至って真っ当な声にこそ耳を傾けたい。巨大なスタジアムに観客がいない異常な光景。本当ならここに大勢の人たちが集い、選手たちを応援し、感動を共有できたはずなのに。
沿道での観客とアスリートの交感
そんななか、唯一市民が直接応援できたのがマラソンだった。沿道での観戦自粛が呼びかけられていたが、行かなければ絶対後悔するという気持ちから応援に出かけた。そもそも僕は、沿道での観戦を禁じることに反対だった。実際行ってみたら、人が少ない場所を選んで応援することは十分可能で、これのどこが感染拡大に繋がるのかという気持ちを益々強くした。
選手が走ってくるたびに、国籍に関係なく沿道からは大きな拍手が湧き上がった。笑顔や手を上げて応えてくれる選手や伴走者もいた。フェロー諸島代表のホーバル・バトンハマー選手が沿道の観客に手を振り、立ち止まってお辞儀をしながら走ったというニュースを見た。タイムが遅れることを承知で、大勢の人が応援してくれたことに感謝を伝えたかったという彼の言葉こそ、全てを物語っているではないか。
ゴールまであと少し(新宿御苑附近)
交通規制で通れない自転車をボランティアスタッフ?が地下経由で運んでくれる
声援も、拍手さえない大会には反対だったが、選手の力走をこの目で見て、沿道に集まった人たちと一緒に拍手を送れたことは貴重な体験だった。素晴らしい走りを見せてくれた選手たちにも感謝。沿道に配置された警官やスタッフが観戦を制止することは全くなかった。これを理解と共感と受け止めたい。
無観客で多くのものを失ってしまったが、それでもパラリンピックが東京で開催されて得たものは大きい。ここまでパラリンピックの素晴らしさを知ることができたのは日本で開催されたからだし、同じ思いを持った人は大勢いるはず。
世界中から集まったアスリートたちにとっても、数は僅かでも生徒たちや沿道に集まった人たちの応援、親身のサポートが評判を呼んだボランティアスタッフなど大会関係者との触れ合いを通じて、日本で行われた大会が心にずっと残るものとなってくれたら嬉しい。
ファンアリーナに飾られていた選手たちのメッセージ入りサイン(クリックで拡大)
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